第14話 旅立ちの朝

「華慈が投獄されたのは本当か」

 孫景は鳳桜宮で起きた事件を何でも把握している。地獄耳というやつだ。人脈を駆使して裏の情報屋としても暗躍している、と劉玲が補足する。

「面会してきた。一層に監禁されている」

 曹瑛の口ぶりから華慈の処遇や体調には問題がないことが読み取れる。


「しかし、妙な話や。毒蛇事件の疑いをかけるにしては理由が雑すぎる」

 劉玲は今回の華慈の捕縛は異例だと考えているようだ。

「訴状もない。あまりにも話が早い」

 通常なら審議を行い、裁審府の発行する訴状を持って連行されるはずだ。それをすっ飛ばすことができるのは皇帝の命令か、承書令の長官くらいだ。

 現場に居合わせた曹瑛もこの件には違和感を覚えていた。


「狙いは他にあるということか」

 真剣な眼差しで耳を傾けていた榊が長くなった煙草の灰を慌てて灰皿に落とす。

「お前や、曹瑛」

 劉玲が険しい目線を曹瑛に向ける。曹瑛はまるで他人事のように二つ目の桃饅頭に手を伸ばす。

「瑛さんがなぜ狙われるんですか」

 伊織が深刻な表情で尋ねる。曹瑛は大きな欠伸をしている。


「俺は寝る」

 腹が満たされて満足したのか、曹瑛は立ち上がり二楼への階段を上っていく。二楼は曹瑛が寝泊まりしている居室だ。

「曹瑛と俺は一緒に暮らしてた。冬は凍えるほど寒い貧しい農村や。両親は畑仕事の傍ら、薬草を調合して生計を立てとった」

 劉玲が遠い目をして語り始める。


「両親が薬師だったのか」

 榊は茶葉を追加し、足し湯をする。確かに曹瑛は茶芸の腕だけでなく、人体に効能のある茶葉にも詳しい。

「正式な薬師やない。いうたら民間療法、つまりもぐりというやつや」

 両親が薬草を調合するのを曹瑛はいつも興味深く眺めていた。草花にも詳しく、聞けばすぐに名を言い当てたという。

「俺はからっきしやったけどな、曹瑛は賢い子や」


 町に薬を買いにいく金のない村人は、両親の調合する生薬を頼りにしていた。薬師の薬よりも効き目があると評判だった。

「俺がとおであいつが八つのときや。効き目の高い生薬の噂を聞きつけた役人がやってきて、両親を連れ去った」

 そして、戻ってくることはなかった。劉玲と曹瑛はそれぞれ別の里親に引き取られ、育てられることになった。


 残酷な話だ。並みならぬ苦労もあっただろう。伊織は兄弟の過去を想像すると、やるせない思いに駆られる。

「それじゃあ、瑛さんが狙われているのは」

「あいつは認めないが、優秀な薬師や。少なくとも並みの薬師よりも知識がある」

 朱鷺山の仙人の噂は伊織の耳にも入ったくらいだ。そもそも茶と薬は同源と言われる。鳳桜宮の毒蛇事件を見事解決したことにより、曹瑛を狙う者がいる。


「兄貴、余計な話はよせ」

 二楼へ上がったはずの曹瑛が階段に足を掛け、不機嫌を露わにしている。

「伊織、お前の師の歳と性別、病の症状を教えろ」

「歳は六十二、男です。少し動いただけで息切れがして、いつも怠そうにしています。咳き込むことも多く、食欲もなくて寝たきりです」

 曹瑛は腕組をして考えを巡らせる。


「足はどうだ」

「そういえば、いつも腫れている気がします」

 伊織は記憶を辿る。師は足がむくんで歩くのが辛いといつもこぼしていた。

「お前の師は心臓を患っている」

 曹瑛が師の病の原因を言い当てたことに伊織は驚く。

「約束を果たす。しかし、言っておくが、霊薬など存在しない。症状を緩和する茶を調合しておく」

 曹瑛は階段を上っていった。無愛想だが律儀な男だ。


 烏鵲楼では天陽国方式の茶席も楽しめるよう、台座の上に畳を敷いた席を用意してある。榊と高谷は烏鵲楼で寝て朝帰るという。二人ともよく飲んでいたので、宿に帰るのが面倒になったようだ。榊は座布団を枕に横になる。

 思いのほか話が盛り上がったため、ずいぶん遅くなった。畳の懐かしい匂いに、天陽国に想いを馳せる。伊織も今夜はここに泊まることにした。


***


 頬をなぞる冷たいものがある。くすぐったくなって伊織は寝返りを打つ。すると、また逆の頬を撫でられ、目を覚ました。

「小雪か、どうした」

 小雪が起こしにきたのだ。格子窓から差し込む朝日が石造りの床に幾何学紋様の影を落とす。ひやりと肌寒い。まだ陽が登り始めて間もないようだ。

 小雪が着いて来いとでもいうように歩き出す。


 小雪は格子扉の隙間から外へ出て行く。大通りに出たら馬に蹴られたり鴉に襲われたりしかねない。伊織は慌てて後を追う。

 小雪は烏鵲楼脇の庇の下へ向かう。

「瑛さん」

 そこには黒毛の馬に水を飲ませている曹瑛の姿があった。身支度から烏鵲楼を出立しようとしていることは一目瞭然だ。


「茶は置いている。持って帰るがいい」

「ありがとう、これからどこへ行くんです」

「お前には関係ない」

 曹瑛は小雪の脇を掴んで抱え上げ、伊織に差し出す。伊織ははたと気が付く。小雪を置いていくということは、朱鷺山の草蘆に帰るのではない。遠出するつもりなのだ。


「瑛さん、俺も一緒に行く」

 曹瑛の旅に同行してみたい。伊織は抑えきれぬ好奇心に目を輝かせる。危険な海を越えてはるばる遼河国にやってきたのは留学のためだ。下宿先の鶺鴒寺では机にかじりつき、学習に明け暮れていた。しかし、何か物足りなさを感じていた。寺を飛び出せば世界が広がる気がした。


「寝言は寝て言え」

 曹瑛はあからさまに不機嫌な表情になり、目を細める。翡翠路に馬を引いて軽やかに飛び乗った。

「連れていってください。何か手伝えるかもしれない」

「貴様に何ができる、手助けなど不要だ」

 食い下がる伊織だが、取り付く島もない。人の立ち入らない山に隠居するほどだ。曹瑛は人づきあいが嫌いなのだ。


 押し問答を聞きつけ、榊と高谷も大通りに出てきた。

「こんな朝早くからどこに行くんだ、曹瑛」

「邪魔だ、そこをどけ」

 曹瑛は面倒くさくなったのか、いきなり喧嘩腰だ。起き抜けの榊の頭に血が昇る。

「行き先を言え、さもなくばここは通さん」

「なんだと、馬に蹴られたいのか貴様」

 榊と曹瑛は睨み会う。


「貴様には宿を貸してもらった恩義がある。俺は不義理をかますのが嫌いだ」

 榊は鋭い眼光で馬上の曹瑛を見据える。要約すると、恩返しをしたいということだ。

「では、邪魔をするな。それで貸し借り無しだ」

 曹瑛は榊の剣呑な眼差しに怯むことはない。二人の殺気を感じ取り、黒毛が興奮して足踏みをする。今にも抜刀しそうな榊を慌てて高谷が止めに入る。


「油条が揚がったよ、食べていくかい」

 店主の李海鵬が格子扉から顔を出す。香ばしい匂いが漂い、伊織の腹が鳴る。曹瑛が黒毛の馬から降り立った。無言のまま馬をつなぎ、格子扉を開けて烏鵲楼に入って行く。曹瑛も食欲に抗えなかったようだ。

「出発するのは腹ごしらえの後にする」

 結局、烏鵲楼で朝食を囲むことになった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る