第15話 砂漠の街 瑯蘭
李海鵬が旅立ちの前にまかない朝食を用意してくれた。曹瑛に伊織、榊と高谷が朝食の机を囲む。
油条は粉状にした糸麦を捏ねて棒状にして揚げたものだ。朝の慌ただしい時間に歩きながらでも手軽に食べられる千都の定番の朝食だ。小豆入りの粥に酸味と辛味が効いた白菜の炒め物、山羊の乳を発酵させた固形物に干した果実を入れた酸奶。
出鼻をくじかれた曹瑛は不服そうに甘く味つけたした豆乳を飲んでいる。
「これからどこに行くの」
伊織が満面の笑みで尋ねる。
「行き先も知らずについてこようとしたのか」
「そういえば、そうだ」
伊織は真顔になる。曹瑛は机に頬杖を着きながら袖口から竹簡を取り出した。
「砂漠の月季、何ですかそれ」
竹簡に記された聞き慣れない単語に伊織は首を傾げる。
「月季って遼河国でいう薔薇のことでしょ」
絵師の高谷は薔薇を絵の素材として取り入れたとき、月季という別名があることを知ったらしい。
「投獄された華慈が求めている。砂漠の月季は綺羅の路と呼ばれる砂漠にある」
華慈は霊薬の素材の調達を曹瑛に託した。綺羅の路は遙か西に位置する翡翠国との東西交易路だ。遼河国と天陽国は人種の源流が同じで、肌の色が黄味がかっており、髪や目の色は黒か茶だが、砂漠を越えた翡翠国はまったく外見が異なる。白い肌に青や碧の目、毛髪は金色で体格ががっしりしている。
「行き先は綺羅の路か、ここからどのくらいかかる」
「馬を走らせて三日」
かなりの長旅になる。榊も遼河国の西端には足を踏み入れたことがない。
「面白そうだ。まだ見ぬ温泉に出会える」
温泉好きの榊は物見遊山の気分だ。
「綺羅の路は見渡す限り一面の砂、夜は星が美しく浪漫があると聞いています」
高谷も砂漠の壮大な風景を描いてみたいと意気込んでいる。
「それに、西域の関所付近には蛮族が跋扈していると聞く。俺は腕が立つ。用心棒になるぞ」
「貴様の手など借りる必要はない」
得意げに腕組をする榊に、曹瑛は鼻をフンと鳴らす。
「瑛さんて意外に武闘派なんですよ」
伊織が榊に耳打ちする。曹瑛の自信が強さに裏打ちされていることを知っている。
「足手纏いになるなら置いていく」
未知の地への旅に盛り上がる者たちに、曹瑛は折れた。
伊織は曹瑛の調合した薬膳茶を天陽国の師の元へ送る手配を李海鵬に依頼した。
「茶は毎朝必ず一杯、塩気のあるものは避けろ。喉が渇いて水を飲み過ぎるのも駄目だ。煙草と酒はほどほどにしろ」
曹瑛の助言を書いた竹簡も同封した。小雪は烏鵲楼で預かってもらえることになった。
***
綺羅の路へは砂漠の街、瑯蘭を目指す。
瑯蘭は砂漠の中でも水があり緑地になっている緑州と呼ばれる地形に作られた街だ。綺羅の路への分岐点として栄えており、街中に交易品を取り扱う市場や小売店が建ち並ぶ。千都に運搬される前の品が格安で入手できる。遼河国と翡翠国、砂漠の小国の文化交流が盛んだ。
瑯蘭の近くには大きな関所、陽門関があり、西域の異民族の侵入を防いでいる。関所の防衛には千都から左遷された将校や荒地に暮らす貧しい農民、犯罪者が当てられ、治安が良いとは言えない。
千都から瑯蘭までは整備された公道があり、中継地点の宿場町に宿泊しながら予定通り三日で到達することができた。今夜の宿は石造りの建物だ。ここまで来ると千都とはまったく違う文化圏だと感じる。
「よく頑張った」
伊織は長旅で疲れた芦毛の馬を労う。西へ進むほどに日陰が少なく陽光が厳しくなり、伊織もすっかりくたびれていた。
「近くで夜市が開かれるらしいぞ」
榊は宿の主人に評判の瑯蘭料理を出す店を聞いてきたらしい。その土地その土地の酒を飲むのも楽しみにしており、疲れ知らずだ。弟の高谷は細身で、三日間も馬に揺られて腰が痛いとぼやいている。
西の端に位置する瑯蘭は千都よりも陽が落ちるのが遅い。夜も戌の刻を過ぎてもまだ空が燃えるような橙色だ。紫と橙がせめぎ合い、ようやく夜が訪れる。
瑯蘭の中心部で毎夜開かれる綺羅夜市の賑わいは千都のそれを凌ぐ。翡翠国の交易品を販売する露店が並び、屋台から湯気と食欲をそそる匂いが漂ってくる。通りを歩けば翡翠国からの旅人なのか、多様な人種が入り交じり聞いたことのない言葉も飛び交う。
「すごい、目移りするよ」
遙か先まで並ぶ屋台には見たことのない料理が並ぶ。店先では羊をまるごと吊し、その場で削ぎ落とした肉を串に刺して焼いている。焼きたての新鮮な羊肉に香辛料をかけた羊串は人気で、行列ができている。呼び込みの声があちこちで聞こえ、伊織は喧噪の渦に圧倒される。
高谷は砂漠の生活を描いた鮮やかな色彩の絵皿に興味を惹かれている。
「色合いが大胆だ。きっと自然の光の強さが影響しているんだね」
天陽国は墨で描く筆運びの妙味を追求した絵柄が主流だ。くっきりした境界線に原色の色を載せた華やかな絵に触れて感心している。
「これはいい、酒が進む」
榊は美しい玻璃の器に目をつけている。商売上手な老婆に口説かれ、高谷と揃いで青と碧の器を購入した。遼河国出身の曹瑛もここまで足を伸ばしたのは初めてで、屋台を物珍しそうに物色している。
屋台で買ったものを机に並べて席につく。
駱駝肉をのせた卵を練り込んだ黄色麺、焼きたての羊串、糸麦を練って平たくして焼いたものに青菜と羊肉を挟んだ肉夾饃に焼餃子。榊と高谷、伊織は地元名産の葡萄を使った葡萄酒、曹瑛は薬膳茶で乾杯する。
「これは何の肉だろう」
駱駝肉は牛や豚よりも脂身が少なく、さっぱりしている。
「駱駝だ、明日から砂漠を探索するときに乗る」
曹瑛が通りを歩く駱駝を連れた商隊を指差す。馬に似た四つ足の生き物で、背中に大きなこぶがついているのが特徴的だ。間抜けな顔つきが愛らしい。
「足裏に脂肪がついていて、熱に耐性があり砂漠を歩くのに適している」
曹瑛も乗るのは初めてだという。高谷は絵皿に描かれていた駱駝を思い出す。馬にしては背中が異様な形だと思っていたので、合点がいった。
「砂漠の月季がどこに咲いているのか見当はついているのか」
榊は葡萄酒を気にいったようで、追加の瓶を注文する。
「ここは緑州でこうして水も緑もあるが、砂漠は砂だけの不毛の地だ。そんな場所に咲く花があるのか、実のところ不確かだ」
街で情報を集める必要がありそうだ。曹瑛は黒砂糖で甘く味つけした餅米を蒸した甘味に箸を伸ばす。
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