第16話 砂漠の月季

 帰りの露店で榊は高谷と宿で飲むため、葡萄酒の瓶と駱駝肉の塩漬けを買い求める。民芸品の露店で雑貨を見ていた伊織が息を呑んで目を見開く。

「これ、見て」

 籠に付いている値札を指差す。そこには砂漠の月季と書かれていた。

「お兄ちゃん、負けておくよ。彼女へのお土産にどうだい」

 威勢の良い店主が声をかけてくる。彼女などいない、伊織は乾いた笑いを浮かべる。


 籠の中には投げ売りとばかり砂漠の月季がごろごろ放り込まれている。曹瑛はそれをひとつ取り出す。

「これが砂漠の月季なのか」

 それは二寸(三センチ)ほどの大きさの薄紅色の小石だった。石の表面が重なり合った花びらのような作りで、薔薇の花に似ている。

「そいつは砂漠でしか採れない貴重な石だよ」

 その割にはさほどでもない金額で投げ売りしている。

 綺羅の道でも条件に合う場所でしか形成されない珍しい鉱物だという。かすかな塩分を含み、かつて水のあった場所にしか現われない。


「これで目的達成か」

 過酷な砂漠を彷徨しなくとも見つかってしまった。榊は拍子抜けしている。

「霊薬の調合に必要な素材だ。これは砂の結晶だ。塩分が含まれているとはいえ、素材になるとは考えにくい」

 曹瑛は思い悩む。千都の食堂で注文する昼定食程度の値段だ。伊織は珍しいさにひとつ購入することにした。


 宿に戻り、砂漠の植物が茂る中庭で曹瑛と榊は煙草を燻らせる。見上げれば満天の星空だ。千都で見たことのない赤い輝きを放つ煌星や、無数の星が点在しまるで川の流れのように見える銀天河が明瞭に見えた。思えば遠くに来たことをしみじみ感じて、高谷は感傷に浸る。


「乳茶でもいかがです」

 宿の主人が牛の乳で茶葉を煮込んだ乳茶を運んできた。砂漠の街の夜は冷える。主人の気遣いはありがたい。

「湯ではなく、乳で煮込んだ茶か」

「はい、濃い茶の味と乳のまろやかさが良く合いますよ。お好みで黒糖をどうぞ」

 曹瑛は茶の淹れ方に興味をそそられ、主人にあれこれ尋ねている。素材は深い赤色が出る紅茶だ。


 伊織が手持ち無沙汰に砂漠の月季を手に取って眺める。見れば見るほど複雑な形状だ。

「自然の力でこんな形になるなんて、面白い」

「砂漠の月李ですか、瑯蘭土産にいいですよ」

 主人が茶のお代わりを注ぐ。分厚い陶器には極彩色の文様が施してある。千都では見ない異国情緒溢れる意匠だ。


「この地方ではこれを砕いて飲むとか、そんな使い方をしますか」

「これは砂の塊ですよ、飲めません」

 主人は豪快に笑う。

「ですよね」

「あ、でもね。砂漠の月李ってもう一つあるんですよ。この辺の古い人間しかその名で呼ばないけどね」

「なんだって」

 全員が主人に注目する。主人はその勢いに押されて愛嬌のある目を丸める。


「もう一つは何だ」

 曹瑛が立ち上がり、主人に立ちはだかる。長身の曹瑛の圧力に、小柄な主人は怯えて後退る。

「花です。雉隠きじかくしとも呼ばれます。砂漠地帯に自生する花で、乾燥と暑さに強いんです」

 間違いない、それが華慈が求める素材だ。曹瑛はさらに詰め寄る。

「そいつはどこに咲く」

「希少な花です。どこに咲いているのか私も知りません。ああ、でも陽門関の先にある沙羅寺の住職なら知っているかもしれません」


 主人の話では、沙羅寺は瑯蘭郊外の陽門関から駱駝で二刻、南西へ進んだ位置にあるという。明日早朝、沙羅寺に向けて宿を出発することにした。


*** 


 陽が昇り始め、巨大な石造りの関所が砂漠に長い影を落とす。陽門関脇にはこれから旅立つ者たちの最後の身支度のため、生活用具を扱う露店が並ぶ。

 駱駝屋で駱駝を借りた。戻ってこられないことも想定して駱駝一頭分の金額を一度支払う。返却できたら借りた日数分の金を差し引いて戻ってくるという仕組みだ。


 駱駝はつぶらな目をした大人しい動物だ。長い睫毛は砂はが入るのを防ぐため、おおきな背中のこぶは脂肪が詰まっており、何も食べずとも数ヶ月は生きられるという。

「唾液がかかるとなかなか匂いが落ちないよ」 

 駱駝屋の若者が駱駝の正面には立つな、と注意する。


 巨大な門をくぐると、目の前は一面焼けた砂の海だ。遙か遠くに風で形成された砂山が波打っているのが見える。ふと、寂しげな調べの二胡の演奏が聞こえてきた。

「陽門関から出発すれば、そこは異国だ。盗賊の襲撃や飢えで倒れ、もう二度と遼河国へ戻れないかもしれない。それでも行くのか、と恋人の背中を見送る歌だ」

 曹瑛は言う、これは別れの歌なのだと。伊織は砂漠の風に掻き消されるまで、切ない歌に耳を傾けていた。


 陽が昇れば、砂漠の気温は一気に上昇する。強い太陽光から身を守るために、全身の肌を覆い隠す服に身を包み、頭にも被り物をする。砂の上を歩く駱駝は意外に揺れが強く、尻や腰への負担が思いの外辛い。


「こんな場所で方角を見失ったら終わりだ」

 伊織はどちらを向いても砂しかない世界を見渡し、不安にかられる。

「太陽の位置を把握して進む必要があるな」

 榊は皮袋の水を口に含む。こう暑いと冷えた酒でも飲みたいが、酒は身体の水分を奪う作用がある。


「向こうにも旅人がいるね」

 高谷が指差す先、砂丘の稜線を駱駝に乗った商隊の姿があった。商人は五人、十五頭の駱駝を繋いで背中には山盛りの荷を積んでいる。

「規模が大きい。翡翠国からの商隊だろう」

 急に商隊が足を止めた。商人たちが次々駱駝から降り立った。

「様子がおかしい」

 榊は紺色の頭巾の隙間から覗く鋭い視線で商隊を見守る。


 商隊の周りに人影が集まり始める。太陽光を反射して白刃が光る。

「まさか奴ら、盗賊なんじゃ」

 伊織は青ざめる。綺羅の道を行く商隊は他国への交易のために高価な積み荷を大量に運んでいる。陽門関の衛兵の目の届かぬ場所まで進んだ途端に襲撃されることも多いようだ。

「間違い無い。武器の形状からして月牙族だ」

 三日月のような婉曲した刃物を持つ盗賊集団で、積み荷を差し出しても口封じに皆殺しにされるのだと曹瑛は言う。


「話に聞いたことがある。砂漠を根城にする盗賊の中で一番たちが悪いと」

 榊は駱駝から降り立つ。革細工の施された腰帯に付けた刀を手にして商隊の方へ向けて走り出す。

「お節介な奴だ」

 すぐ横に曹瑛が並ぶ。

「お前もな」

 榊はにやりと笑う。商隊を助ける気だ。伊織と高谷も後を追う。

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