第19話 砂に潜む毒蠍

 鶚真は小坊主に湯を持ってくるよう言いつける。曹瑛は円卓に茶盤を置き、茶器を並べる。小箱から茶葉を取り出し、茶壷に入れる。

「これは天宝茶といい、天からの賜り物と言われる極上の茶葉です。ぜひ鶚真どのに振る舞いたい」

 曹瑛は茶壷に湯を注ぐ。茶の香ばしい匂いが庭に漂う。

「なんという有り難きお心遣い」

 鶚真はこれ見よがしに手を合わせる。


 曹瑛は茶壷の湯を鳳凰の絵のついた蓋椀に注ぐ。色は深みのある茶褐色だ。両手で持ち、鶚真に差し出した。

「では、いただくとしましょう」

 鶚真は息を吹き、茶を含む。口の中に上品な苦みと微かな花の香りが広がる。

「素晴らしい茶です」

 鶚真は満足げな笑みを浮かべ、茶を飲み干す。


「この沙羅寺が建てられたのは何年です。随分歴史がありそうだ」

 伊織が五楼の塔を見上げて尋ねる。

「およそ千年の歴史があります」

「千年ですか。住職は何代目に当たるのでしょう」

「私は、三百二代目を務めております」

 鶚真は有り難いことだと手を合わせる。


「このくそ坊主」

 曹瑛が低い声で呟く。鶚真は驚き、目を見張る。次の瞬間、坊主頭を真っ赤にして椅子を蹴って立ち上がる。

「何と無礼な奴だ」

 鶚真は曹瑛を指差し、無礼な態度を非難する。それまで膝を合わせて行儀よく座っていた曹瑛はふんぞり返って脚を組む。


「貴様は偽物だ」

「なんだと」

 鶚真は拳を握り絞め、怒りに震えている。

「お前のような奴にくれてやる花はない。どうしても欲しいというなら有り金すべて置いていくがいい」

 曹瑛は立ち上がり、まだ湯気の立ち上る鉄瓶を掴んで高い位置から傾けた。頭から熱湯をかぶり、鶚真は絶叫する。


「この寺の歴史は五百年余り、現住職は六十三代目だ」

 曹瑛は伊織の何気ない問いに対する答えが違うことに気が付いていた。

「それに、ぷんぷん匂うんだよ。香ばしい羊肉と香辛料の匂いがな」

 榊は鶚真の衣から肉の匂いが漂っていたことで最初から怪しんでいたようだ。曹瑛もそれに気づき、尻尾を出させるために機を覗っていた。


「たばかったな」

「それはこっちの台詞だ」

 榊は空になった鉄瓶で鶚真を殴りつける。鶚真は庭石に頭をぶつけ、泣きわめいている。朱塗りの柱の影から様子を伺っていた小坊主は慌てて逃げだそうとする。

「お前も仲間なんだろう」

 高谷が足を引っかけ、小坊主は転倒した。


「お前が先刻飲んだ天宝茶は強い毒性がある。半刻もすれば臓腑が溶け出し、血を吐いて死ぬ」

「な、なんだと。助けてくれ。そんな死に方は嫌だ」

 鶚真は恐ろしい死に様を聞いて戦慄し、曹瑛の脚に縋り付く。曹瑛は鶚真を冷酷な目で見下ろしている。


「俺は解毒剤を持っている。助けてやってもいい」

「頼む、後生だ」

 鶚真は石畳に坊主頭を擦り付け、懇願する。

「本物の住職はどこにいる」

「仏像の裏に縛り付けてある」

 曹瑛は伊織に視線を向ける。伊織は住職を解放するためにお堂へ走る。


 鶚真はこの周辺を根城にしているけちな野盗であること、仲間は小坊主の他にごろつきが二人。ここへ立ち寄る旅人から寄付をせしめようという魂胆だった。

「せっかくの悪巧みだが、俺たちが来るとは不運だったな」

 榊は煙草を吹かす。鶚真と仲間たちは伊織と高谷が縄できつく縛り上げた。鶚真は死人のように血の気が引いている。


「解毒剤をよこせ、頼む」

 鶚真は死への恐怖に戦き、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしている。

「二度とこの寺に近付かぬと約束するか」

「わかった、絶対に近付かない」

 その返事を聞いてき、曹瑛は胸元から黒色の丸薬を取りだした。鶚真は丸薬を受け取り、すぐに飲み込んだ。榊が腰縄で繋いだ仲間とともに砂漠へ放り出した。


「助かりました、御仏のご加護を」

 本物の住職が深々と頭を下げる。沙羅寺を野盗の手から取り戻した礼にと、庭に咲いていた砂漠の月季を譲ってくれた。濃い桃色の花弁を持つ小さな花だ。曹瑛は改めて茶席を設け、住職に天宝茶を振る舞う。

「そういえば、この茶には毒が入っているんじゃないのか」

 榊が皮肉な笑みを浮かべる。伊織は口に含んだ茶を吹きそうになる。高谷も手にした茶と曹瑛の顔を見比べる。

「これは本物の天宝茶だ。先刻偽物に飲ませたのは三文茶葉、解毒剤はただの胃腸薬だ」

 こともなげに言う曹瑛はフンと鼻を鳴らした。その顔が楽しそうなことに伊織は内心驚いた。


***


 沙羅寺を出る頃には太陽が真上にあった。強い陽射しが降り注ぎ、砂の放つ熱にたらたらと汗が滴る。砂丘を登り、瑯蘭の街へ帰るのみだ。駱駝は砂漠という環境に慣れており、ゆっくりだが屈強に歩みを進める。夕刻には辿りつけるだろう。


「瑯蘭にも温泉があると聞いた。帰ったら汗を流したい」

 榊は温泉につかることを楽しみにしている。夜市の通りの近くだと高谷が下調べをしているらしい。

「きっと冷えた葡萄酒が美味しいよ」

 一仕事を終えたあとの酒はうまい。さほど飲まない伊織だが、今日は祝杯を上げたい気分だ。呑気な道連れに、曹瑛は呆れて小さく舌打ちをする。


「あれ、人が倒れている」

 前方に砂に埋もれる三人の白い背中が見えた。離れた場所で三人が連れていたであろう駱駝が砂面に湧き出す水を飲んでいる。

「放っておけ、砂漠で行き倒れはよくあることだ」

 曹瑛は駱駝を進めようとする。榊と伊織は顔を見合わせ、頷き合う。砂の被り方から行き倒れてからまだ間も無いようだ。時間が過ぎるごと、砂が覆い隠してしまい、やがて墓標のない墓となる。


 伊織と榊は駱駝から降り、三人の様子を見るために近付いていく。高谷もその後に続く。

「大丈夫ですか」

 距離を取り、伊織が声をかける。しかし反応はない。もっと近付いてみようとしたその時、かさり、と砂が音を立てた。砂の上に黒い尻尾が覗く。それは砂を掻いて姿を現わした。体長は半尺約十五センチほど、両手に鋏を持ち、節くれ立った黒光する体幹に鋭い棘のある尻尾を持つ。


「蜘蛛がいる」

 高谷が怯えて後退る。砂が軋む音に反応したのか、砂中から黒い昆虫が出現する。

「動くな、結紀」

 榊が鋭い声で制する。

「これは蜘蛛ではない、おそらくさそりだ」

「蠍って何」

 伊織が小声で尋ねる。


「砂漠に住む毒性の虫だ。夜行性で昼間は砂に潜っている」

 いつの間にか背後に曹瑛が立っていた。気配を感じさせなかったことに伊織は驚く。

「夜行性って出鱈目じゃないか。今ここにたくさんいるよ」

 伊織は前後左右を見渡す。黒光りする無数の背中が周囲を取り囲んでいる。尻尾を曲げて棘を向け、威嚇しているかのような姿に背筋に嫌な汗が流れ落ちる。


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