第18話 沙羅寺の住職

「榊英臣だ」

 榊が頭巾を取り去る。艶やかな黒髪に、健康的な薄褐色の肌、精悍な場数を踏んだ男の顔をしている。下ろした長い前髪から覗く鋭い眼光は硬派な色を湛えている。

「初めまして。英臣、会えて嬉しいよ」

「あ、ああどうも」

 ライアンは両手で榊の手を握りしめる。榊は戸惑いがちに頷く。ライアンは手を強く握りしめて離さない。


「突然こんな目に遭ってとても恐ろしかった」

 ライアンは澄んだ緑灰色の目を潤ませる。そして、まだ手を放していない。榊は手を引こうとするが、ライアンの手にはさらに力が籠る。

 冷酷な表情で銃をぶっ放していた男が急にしおらしくなるのはおかしい。高谷は感づいた。この男、同類の匂いがする。


「こんにちは、ライアン。私は高谷結紀といいます。榊さんの弟だよ」

 高谷が強引に二人の間に割って入り、ライアンに握手を求める。ライアンは笑みを絶やさぬまま仕方無しに高谷と握手を交す。

「ほう、英臣の弟なのか。目が似ている」

 英臣、と馴れ馴れしく名前で呼ぶのも気に入らない。高谷は上背のあるライアンを睨み付ける。ライアンが口の端を微かに吊り上げて挑発的な笑みを浮かべる。


 この男、兄に惚れている。その熱の籠もった視線で一瞬で勘づいた。高谷も密かに兄に恋慕にも似た想いを抱き続けている。兄は同性から見ても魅力的な男だ。こんな軽薄で得体の知れない男に渡してなるものか。高谷は敵対心を剥き出しにする。

 それはライアンも敏感に感じ取ったようだ。二人の視線がぶつかり合い、火花を散らす。


「宮野伊織です」

 険悪な雰囲気に堪えかねた伊織がライアンに握手を求める。ライアンは穏やかな表情に戻り、伊織に向き合う。

「積み荷を守ってくれてありがとう」

 伊織とライアンは友好の握手を交した。ライアンは我関せずとばかり離れた場所で煙草を吹かす曹瑛に近付いていく。


「ライアン・ハンターだ」

「聞こえている」

 曹瑛は振り向きもせずに煙を吐き出す。

「君の名はなんという」

 ライアンはその冷徹な態度にも笑顔を崩さず曹瑛に名を尋ねる。


「もう関わることはない、名乗ることなど無意味だ」

 曹瑛は短くなった煙草を指で弾き、そのまま駱駝に向かって歩きだす。

「瑛さんは人づきあいが苦手なんです」

 伊織が慌ててその場を取り繕う。曹瑛の無愛想な態度は誰であれ全く揺らがないのはある意味感心する。

「氷のような冷ややかさがたまらない、ぞくぞくするよ」

 ライアンは気を悪くする素振りもなく、目を細めて曹瑛の背中に熱い視線を送る。曹瑛はぞわりと鳥肌が立つのを感じた。


「英臣、これは我が国でも希少な青翡翠という石だ。愛、いや友情の証に受け取ってくれ」

 ライアンは腰につけていた佩玉を解き、榊に手渡す。これまで見たことのない美しい深みのある青色の石だ。石を結ぶ紐も品質の良い青色の綺羅の糸が使われている。これほどの石を身につけているとは、ライアンは高貴な身分であることが窺えた。

 ライアンは高谷に挑発的な笑みを向ける。高谷は暗い炎の揺らめく瞳で睨み返す。


「私たちはこれから瑯蘭の街へ向かう。今夜はそこで宿を取る。ぜひ改めて礼をしたい」

「ああ、気をつけてな」

 榊は手を振りながらライアンの熱い視線から目を逸らす。一応礼儀として、もらった青翡翠の佩玉を腰にぶら下げてみる。

「榊さん、気に入られちゃったね」

「ああ、もう会うことはないだろうがな」

 できればもう逢いたくはない、と榊は心底思った。


***


 駱駝は南西へ向かって進む。砂丘の上からすり鉢状の底に寺院の朱色の屋根が見えた。傍らに五楼の塔が立つ。

「あれが沙羅寺」

 砂漠の真ん中に現われた人工の建造物に伊織はほっと胸を撫で下ろす。

「そのようだ」

 曹瑛は寺院に向けて駱駝を進める。どうやら道を見失うことなく沙羅寺に辿り着けた。


 沙羅寺の周囲は小さな緑州になっていた。三日月の形をした泉がこんこんと湧き出しており、庭一面に背の低い植物が茂っている。砂漠の猫と呼ばれる小動物、雀猫が庭を走り回っている。すばしこく足元を駆け回り、伊織は慌てて飛びのく。

 あずまやに駱駝を繋ぎ、石畳の通路で砂を掃いている小坊主に声をかける。

「住職は寺の中です」

 ここでは風が吹けばすぐに砂塵が舞い込む。それでも掃除を続けるのは心の修養なのだろう。


「失礼します、住職はおられますか」

 お堂に伊織の声が響き渡る。艶のある黒木張りの床も掃除が行き届いており、ちりひとつない。正面には巨大な仏像が鎮座している。その顔立ちは千都で見るより彫りが深く、緩やかな弓なりの口元は憂いを帯びた笑みを浮かべている。

「お待たせしました、鶚真がくしんと申す」

 明るい橙色の衣の上に紫色の袈裟を着た坊主が仏像の背後から顔を出す。鶚真と名乗る住職は丁寧に頭を下げる。


「千都から砂漠の月李という花を求めて参りました。ここの住職ならどこに咲くかご存じと聞いています」

「千都から、それは遠路はるばるご苦労なことで。ではこちらへ」

 鶚真は寺院の庭に案内する。泉に面した緑豊かな庭は鮮やかな花が咲き、蝶や蜂も舞う。鶚真庭を望む円卓の席に着くよう促す。


「この泉は四千年もの間、枯れることなく湧き続けています」

 鶚真は泉を眺めて微笑む。この寺は泉を守るためにここに建てられたのだと続ける。

「砂漠の月李はどこにあるのです」

 曹瑛が珍しく殊勝な態度で尋ねる。榊は鶚真を鋭い眼光で捉えている。

「ええ、この沙羅寺にあります」

「ここにあるのですか、それは話が早い」

 高谷は歓声を上げる。これ以上、不毛な砂漠を歩き回らずに済むのが嬉しいのだ。


「砂漠の月李はたいへん貴重なものです。この月晶泉の水でしか育てることができません」

 鶚真は神妙な面持ちで眉を顰める。曹瑛はその芝居がかった口調に不快感を覚えた。

「皇帝を助ける霊薬の素材です。分けていただけないだろうか」

 曹瑛は鶚真を見据えたまま抑揚を欠いた声で訴える。


「それでは」

 鶚真はもっともらしくひとつ咳払いをする。

「相応の謝礼をいただきましょうか」

 伊織と高谷は呆れて顔を見合わせる。なんという強欲な住職だ。榊は鶚真を剣呑な眼差しで射貫く。鶚真はたまらず目を逸らす。


「わかりました。そのような貴重な花をお分けいただけるとは身に余る光栄。気持ちばかりですが、茶席を設けたい」

 驚くほど感謝の気持ちがこもっていない。伊織は何を考えているのかわからぬ曹瑛をちらりと見やる。

 曹瑛は風呂敷包みから茶盤を取りだした。鶚真は金が手に入ることになり、含み笑いを堪えている。

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