第20話 蠍使いの蠱術師

「そうだ、ここにいるのはただの蠍ではない。蠱術により生まれた毒蠍だ」

「そんな、こんな砂漠の真ん中でどうして」

 伊織は青ざめる。

「そこに転がっているのは毒蠍にやられたのだろう」

 三人の旅人は毒蠍に刺されたのだ。ぴくりとも身動きをしないところを見ると、すでに息は無いと思われた。


「駱駝に乗ってしまえば、この場から逃げられるんじゃ」

 伊織が身じろぎする。砂に潜んでいた毒蠍が一斉に姿を現わし、伊織に向かって距離を詰める。

「ひっ」

「動くな、音に反応する」

 曹瑛は伊織を制する。伊織は恐怖の叫び声を必死でかみ殺す。


「この陽射しが照りつける中、身動きしないとしても体力を消耗するだけだ。何か策はないか」

 榊が忌々しげに額から流れ落ちる汗を拭う。水滴が砂に落ちただけで毒蠍は反応する。榊の言う通りだ、曹瑛は考えを巡らせる。

 蠱毒の術は術師によりあらゆる生き物に応用できる。砂漠で蠱術を使うなら、もともと毒性を持っている蠍を使うのは賢明な手法だといえよう。


「そうだ、蠱毒の源を絶てば呪いが解かれる。源を探そう」

 高谷は熱と陽射しに疲弊しているが、座り込みたいのを我慢している。尻もちをついたら毒蠍の餌食だ。

「この砂漠のどこを探す。そもそも身動きができない」

 曹瑛は熱射に朦朧とする頭で考える。蠱術師の狙いは自分たちで間違い無いだろう。どこかでこの様子を覗っているはずだ。


 曹瑛は三人の遺体に注目する。そもそもこれが無ければここへ近付くことはなかった。沙羅寺と陽門関を結ぶ直線距離だ。ここを通るという目測は可能だ。このままでは体力の少ないものから毒蠍の犠牲になる。

「榊、頼みがある」

「なんだ」

 曹瑛は榊に目配せし、指さしで動きを伝える。曹瑛の意図を理解した榊は無言のまま頷く。


 曹瑛が砂上を滑るように駆け出す。毒蠍が音に反応し、一斉に砂に潜る。曹瑛の足音を追って砂中を移動しているのだ。榊が腰につけた青翡翠の玉佩を外し、曹瑛と真逆の方へ投げる。玉佩は砂上に落下し、毒蠍は玉佩の方へ向かう。

 曹瑛が目指すのは三人の遺体だ。帯にさした扇子を取り出し、走りながら仕込み刀子を放つ。一人目の背中に刀子が刺さる。反応はない。二人目の足に刀子が刺さるが、やはりぴくりとも動かない。


 そして三本目を放とうとした瞬間、死体と思っていた男が砂塵を振り払い立ち上がった。色黒の男は弧を描く短剣を抜く。

「ひっ」

 死体が生き返ったことに高谷は息を呑む。伊織も驚いて口をあんぐり開けたまま硬直する。

「貴様っ」

 曹瑛はすれ違いざま扇子の仕込み刀を薙ぐ。男はかろうじて短剣で攻撃を防いだ。


 砂の上を駆け回った曹瑛に、無数の毒蠍が猛烈な速さで襲いかかる。

「蠍毒に苦しみぬいて死ぬがいい」

 色黒の男が哄笑する。この男が毒蠍を操る蠱術師だ。黒光りする悪魔が鋭い毒針をもたげて曹瑛の足元に迫る。

「瑛さん、そんなっ」

 絶対絶命だ。伊織はこちらにおびき寄せようと足を踏みならす。しかし、毒蠍は曹瑛を囲んだまま動かない。足元には地面が黒く染まるほどに毒蠍がひしめいている。


「落ち着け、あれを見ろ」

 先ほどまで緊張していた榊が落ち着きを取り戻した。

 まるで曹瑛の周囲に見えない防御壁があるかのように、毒蠍は一定の距離を保っている。

「まさか、貴様」

 蠱術師は額から滝のような汗を流し、狼狽えている。曹瑛は動物の骨を削った白い笛を手にしている。自分の首から提げていたものだ。


「そ、それを返せ」

 蠱術師は必至の形相で手を伸ばす。男の汗が雫となり、砂上に落ちた。曹瑛を囲んでいた毒蠍が一斉に方向転換し、蠱術師に襲いかかる。毒蠍は尻尾をしならせ、蠱術師に針を突き立てる。

「ぎゃあああっ」

 蠱術師の絶叫が吹きすさぶ風に響き渡った。甘味に蟻がたかるように蠱術師の身体が毒蠍に埋め尽くされている。恐ろしい光景に伊織は思わず顔を背けた。


 笛を持つ曹瑛が蠱術師に近付いてゆく。曹瑛の周囲に毒蠍は近付くことができない。

「解毒剤を仕込んであるだろうが、想定以上の毒蠍にやられたら命はない。そうだろう」

 曹瑛が蠱術師の傍らに立つと、毒蠍は波が引くように蠱術師から離れていく。

「何が目的だ」

 蠱術師は嗚咽し、答えない。曹瑛は一歩後退る。毒蠍が近付く気配に、蠱術師は身体を震わせる。


「三日後にここを通る者がいるから蠱呪を仕掛けろと言われた。礼金は弾むと」

「誰に頼まれた」

「知らない、千都から来た役人のようだった」

 蠱術師は怯えて頭を抱えている。

「蠱術を解け」

「わかった、だから助けてくれ」

 蠱術師は連れていた駱駝を指差す。曹瑛は駱駝に向かって歩く。笛を所持しているだけで毒蠍は近付くことができない。


 駱駝の背に付けられた籠を逆さにすると、巨大な赤黒い蠍が砂の上に落ちた。針を突き出し、威嚇する。蠱術で生み出された蠍は強力な呪いの力を持つ。

 曹瑛は蠱蠍を扇子の仕込み刀で貫く。蠱蠍はしばらくのたうちまわったあと、動かなくなった。

 蠱呪から解放された毒蠍は敵意を失い、砂の中へ潜ってゆく。


「やったな、曹瑛」

 榊は腰の巾着から取りだした煙草を口に咥え、火を点ける。もう一本の煙草を曹瑛に差し出した。曹瑛は無言で受け取り、気持ち良さそうに煙を味わう。

「曹瑛さんのおかげで助かった」

 高谷はぺたりとその場に尻もちをついた。


「貴様らのせいで面倒な目に遭った。今度やったら置いていく」

 曹瑛は不満げに煙を吐き出す。

「ごめんよ、ありがとう瑛さん」

 伊織は頭を下げる。そしてふと気が付いた。今度は、ということはこの先も旅を続ける前提なのだ。


「その笛、持ってるだけで毒蠍避けになるの」

 高谷は曹瑛がすれ違いざまに奪った白い笛に興味を示す。

「そうだ、砂漠を吹き抜ける風で笛の音が鳴る」

「聞こえないけど」

 今も砂丘から強風が吹き下ろす。しかし、音は聞こえない。


「蠍だけが聞き分けられる微かな音が鳴る。蠱術師は蠱毒避けの工芸品を作る知恵を持っている」

 高谷は曹瑛の知識に感服する。蠱術師が死体の振りをしながら毒蠍を退けていたことに合点がいった。

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