第21話 千都からの伝令

 広大な砂丘が金色に染まる。遠くをゆく商隊の影が蜃気楼に消えてゆく。彼らは陽門関を出て遙か西の翡翠国を目指すのだ。どうか無事で、そう祈らずにはいられない。高谷は初めて見る美しい砂漠の色を心に焼き付けた。


 瑯蘭へ戻り、宿に荷物を置く。夕食の前に榊の念願だった温泉へ向かうことにした。ちいさな公衆浴場は点在しているが、地熱を利用してくみ上げた水を使っているのは一箇所のみだ。

 綺羅夜市の開かれる大通りの四辻の角に温泉施設はあった。


「ほう、これはなかなか立派だ」

 異国の神殿を模した石造りの入り口を見上げ、榊は感嘆の声を上げる。石段を登り、列柱の間を縫って番台に声を掛ける。金を支払うと腰布と小さな石鹸を手渡された。

 男女は別のようだ。ここはよく管理されている。


 衣類収納棚で服を脱ぐ。今日は灼熱の砂漠で半日過ごした。気温が高く湿度は低いため、流した汗も乾いているが、やはり身体を清めて湯につかりたい。

「異国の人たちもいるね」

 伊織は周囲から聞こえる言葉に耳を傾ける。翡翠国の発音は遼河国とは全く違う響きがある。


 砂漠の常緑樹が茂る通路を進み、湯船にやってきた。広い湯船に列柱の並ぶ屋根、大理石の筋肉質の男の彫像が傾ける壷から湯が流れ落ちる仕掛けになっている。周囲は緑に囲まれ、開放感を演出している。

 洗い場で髪と身体を流す。石鹸は薔薇の香りがした。砂と汗を洗い落とし、長い髪は纏め上げて湯につかる。


「いい湯加減だ。生き返る心地だ」

 榊は腰布を頭に乗せ、上機嫌だ。腰布は移動するときに下半身を隠すために使い、湯船には浸けない約束となっている。

「今日は大変な日だった」

「まったくだ」

 曹瑛は両腕を伸ばし、ぐったりしている。劉玲が生まれ故郷は寒さの厳しい村だと言っていたのを伊織は思い出す。暑さに弱いのかもしれない。


「床が青色に光ってる」

 高谷が足元に注目する。床に貼られた青い石が松明の光を受けて煌めいている。幻想的な雰囲気を醸し出していたのはこの青い床だったのだ。

「これはタイルというんだ。」

 湯けむりの中から声がした。高谷は目を見張る。そこには昼間出会った翡翠国の使者、ライアン・ハンターの澄ました顔があった。


「ライアン、まさかこんなところで」

 よりにもよって、と高谷は警戒する。

「ここの湯は上質だ。毎日通いたいね」

 ライアンは両手で湯を掬い上げる。

「昼間は助かったよ。君たちとはまた会える予感がしていた」

 ライアンは榊に恍惚とした視線を送る。榊は温かい湯につかっているはずが、何故か背筋に寒気が走るのを感じる。


 ライアンが榊の傍ににじり寄る。日頃から鍛錬を欠かさないのであろう、逞しい胸板。滑らかな腹筋。見せるためではない、実用的な筋肉を纏う理想的な肉体だ。ライアンは微かな溜息をつく。

「私の故郷翡翠国では、同性と恋に落ちることは珍しくない。異性との恋愛より精神的結びつきが強いとも言われている」

「そうか、自由でいいな」

 榊は堪えきれず視線を逸らす。

「砂漠での出会い、情熱的だった。君に会いたくて焦がれていたよ、英臣。もっと君と分かりあいたい」


「湯あたりした」

 榊は慌てて立ち上がり、腰布を巻いて出て行く。

「ライアン、こういうの痴漢っていうんだよ」

 高谷が苦言を呈する。

「私は英臣に心底惚れた。何度でも気持ちを伝えよう」

「ほんと、面倒くさいやつ」

 何を言われてもへこたれないのは強い。高谷はしかし、兄を心から慕うライアンのことを憎めない気もした。


***


 砂漠の月季が入手できたことを祝い、屋台で打ち上げをすることになった。何故かついてきたライアンも一緒だ。

「私のおごりだ、飲んで食べてくれ」

「いただきます」

 ライアンは気前良く料理を注文する。さまざまな色と形、具材の餃子が順番に出てくる餃子宴だ。冷菜の盛り合わせがきて、蒸籠に入った蒸したての餃子が運ばれてくる。


「色とりどりだ。こちはあひるの形をしている」

 どれから箸を伸ばそうか迷う。伊織は透き通るような緑色の餃子を口に入れる。微かに茶葉の風味がして、さっぱりとした味わいだ。色味だけでなく、味もそれぞれ違う工夫が凝らしてある。

「餃子宴は瑯蘭名物で、その種類は六十以上に上る」

 曹瑛はひよこの形を模した餃子を凝視する。つぶらな黒い瞳を見つめ、しばらく逡巡している。


「乾杯」

 榊は玻璃の杯に注いだ綺羅星酒を掲げる。高谷と伊織、ライアンも杯を掲げる。下戸の曹瑛は控えめに薬膳甘味茶の器を掲げた。ライアンも飲めるくちのようで、榊に返杯している。

「白鷺帝が病に伏せているときいた。三年は長い。皇帝は交代しないのか」

 この件は異国の使者であるライアンの耳にも入っているらしい。

「先帝のときはこれほど重税を課せられていなかった」

 交易品の課税がここ数年で跳ね上がったという。最終決済者は白鷺帝の名だが、律令の量は膨大で全てを把握するのは難しい。


「何者かが利益を着服しているのかもしれないな」

 曹瑛は胸元から小箱を取り出し、煙草に火を点ける。

「これから千都を目指し、承書令の長官を訪ねることになっている」

「董正康か、皇帝の側近で切れ者だと聞く」

 しかし、良い噂を聞かない。今回の華慈の投獄もこの男が糸を引いており、黄維峰と繋がりがある。それに、交易を司る部署は別に存在するはずだった。


 酒を酌み交わしながら餃子宴を完食した。ライアンは頭の回転が早い男だ。隣人の飼い猫から国の情勢に至るまで、話術に長けており飽きさせることはない。

 最後に出てきた白黒熊を模した饅頭を曹瑛は上機嫌で頬張る。中身は卵と黍糖を煮たあんが詰めてある。

「千都でまた会おう」

 ライアンは一方的に約束をし、握手を交す。榊には抱きつこうとして高谷に引き剥がされた。

 

 宿に戻り、燭台の光の下で伊織は旅の出来事を日記に綴った。命の危険を感じる恐ろしい目に遭ったが、これまでの人生にはない胸が躍るような経験だった。この旅に来たことを後悔はしていない。

 瑯蘭最後の夜は静かに更けてゆく。


***


 朝陽が昇り、砂漠の街は活気づく。


「曹瑛どのはこちらですか」

 宿の中庭で朝餉を食べていたところに、千都からの伝令の竹簡が届いた。曹瑛は煙草に火を点け、竹簡を読み上げる。

「華慈からの伝文だ。砂漠の月李だけでなく、あと二つ素材が足りないと」

「ずいぶん人使いが荒いじゃないか」

 榊は訝しげに眉を寄せる。


「集めた素材が偽物だったようだ」

 街の市場には遼河国全土から様々な商材が集まる。中には胡散臭いものも多く、雑草の根を高級な霊薬だと言ってあり得ない根を付けて売る悪徳商人もいる。 

 高谷が宿の主人に頼んで借りてきた地図を机に広げる。

 

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