第7話 蠱術師

「蠱術師は人里離れた集落に住み、その高度な術は門外不出。秘密裏に受け継がれてきた。遼河国の帝は蠱毒の使用を禁じた代わりに、蠱術師に薬師や医師としての地位を与えた」

 伊織は曹瑛が薬師と呼ばれるのを嫌っていたのを思い出す。何か複雑な思惑があるのだろうか。曹瑛は続ける。

「集落の中には帝の命に逆らう者もいた。しかし、悍ましい術を使う蠱術師は迫害され、表世界から消えた」


「この国では蠱術師は存在しないといわれとる。表向きはな」

 劉玲は空になった榊の杯に蓬莱酒をなみなみと注ぐ。榊も酒に強いらしく、平然とした表情で杯を傾ける。

「おそらく、鳳桜宮の敷地内に蠱の発生源がある。どうもキナ臭い、ぷんぷん匂うで。おっと、この話はここまでや」

 ここは鳳桜宮が近いからな、と劉玲は声を潜める。


 劉玲は天陽国に興味を示し、互いのお国自慢の話題で盛り上がった。

「異国は雰囲気が違うんやろな、いつか行ってみたい」

 劉玲の純粋な眼差しは無邪気な子供のようだ。

「俺は千都滞在の間、烏鵲楼で寝泊まりする。小雪を連れてきてくれ」

「わかりました、明日にでも行きます」

 ぶっきらぼうな男だが、身勝手な人間に捨てられた小雪の面倒をみる優しさが意外に思えた。不思議な男だ、と伊織は思う。

 曹瑛と劉玲は席を立つ。


「伊織くんに榊はん、高谷くん、楽しかったで。また飲もうや」

 劉玲はほの赤くなった頬に笑みを浮かべて手を振る。その手には酒瓶が握られている。曹瑛は振り返りもせずに店を出てゆく。愛想のかけらもない。見事に対照的な兄弟だ。

「面白い奴らだ」

 榊は胸元から小箱を取り出し、蝋燭の火で紙巻き煙草に火を点ける。


「宮廷を巡る陰謀か」

 榊は厚みのある唇を吊り上げ、不適な笑みを浮かべる。

「榊さん、また悪いこと考えてるでしょ」

 隣に座る高谷が気を揉んでいる。千都にやってきて平和な日々が続いており、活気盛んな榊はいたく退屈していたらしい。面倒ごとに首を突っ込むことを楽しみにしている節がある。

「俺たちも明日、烏鵲楼に行くとしよう」

 榊は短くなった煙草を机の金具に押し付け、もみ消した。


***


 花冷えの朝、曹瑛は医局へ赴き華慈に調合した茶を提出した。

「毒蛇の血清による解毒と薬膳の解熱効果がある」

「おお、九宝茶だな。一晩でこれを完成させたのか」

 華慈は曹瑛の才能に感服する。茶は庶民的な飲み物として消費されるが、調合する素材により健康促進、さらには薬効があるとされている。

 九宝茶は多数の素材を調合して作る茶だ。その組み合わせは無数に存在する。


「毒蛇の血を混ぜている」

「こんなものを飲んで大丈夫なのか」

 若い医者たちは曹瑛の記した調合書を見て騒然とする。それは平凡な医者たちの想像を超えた調合法だった。

 狼狽える外野を尻目に曹瑛は調合した九宝茶を蓋碗に入れ、沸騰した湯を注ぐ。薬膳茶の独特の匂いが漂う。しかし不快ではない。毒蛇の血の生臭さは朧月茸に染み込ませることで中和されている。


 曹瑛は蓋碗を手に取り、医者たちの目の前でひと口含んでみせる。医者たちは固唾を飲んで見守る中、曹瑛は平然と茶を飲み干した。

 医者たちはひそひそ耳打ちをしている。華慈の連れてきた得体の知れない男をまだ信用できないようだ。


 突如、回廊の方から怒号が響き渡る。医局の格子戸が荒々しく開け放たれ、甲冑を身につけた武官たちが桜色の着物の女を抱えて駆け込んできた。

燕姫えんき様を助けてくれ」

 駆け付けた医者たちは一斉に顔色を変える。燕姫は歳は十三、皇帝の従妹にあたる皇女だ。庭園で琴を弾いていたところ、叢から現われた毒蛇に咬まれたという。


「お前たちは医者だろう、どうにかできないのか」

 皇女に医術を施して万にひとつ何かあれば、一族郎党斬首が待っている。怖れをなして手出しするものはいない。遠巻きに見ているだけの医者たちにお付きの武官は苛立ちを露わにする。


 小柄な燕姫は毒の回りが早いのか、蒼白な顔で呼吸は浅い。足首の咬傷は紫色に腫れ上がり、見るも痛々しい。華慈が額に手を当てると、ひどい高熱だ。

「熱い、苦しい」

 頬を真っ赤に染めた燕姫はうわごとのように繰り返す。曹瑛は調合した九宝茶に湯を注ぎ、華慈に差し出す。曹瑛を見上げる華慈の瞳には躊躇いの色が浮かんでいる。この茶を飲ませて彼女の状態が悪化すれば、曹瑛は即刻引っ立てられる。


「俺が責任を取る」

 曹瑛の態度は冷静そのものだ。揺るぎない覚悟と自信に、華慈は苦々しい表情で頷いた。若い医者たちは固唾を呑んで見守る。武官も緊張し、拳を握り絞めている。

「燕姫様、お薬です。飲めば楽になります」

 華慈は燕姫の頭を抱え、蓋椀を傾けて九宝茶を慎重に口に注ぐ。薄桜色の唇が開き、喉が鳴る。華慈は蓋椀の茶を全て流し込んだ。


 華慈は武官に燕姫を寝台に横たえるよう指示する。燕姫は悶えながら寝返りを打つ。額からじわりと脂汗が浮き出てきた。

「様子がおかしいぞ」

「貴様、何をした」

 二人の武官が曹瑛を囲み、凄味を利かせる。

「蛇毒が汗とともに流れ出ている。このまま寝かせておけ、目が覚めたときには熱も下がっていよう」

 曹瑛は武官の間をすり抜け、格子戸を開けて外へ出る。


 慌てて逃げ出す素振りもないことに、武官たちは落ち着きを取り戻して主の容体を見守ることにした。

 曹瑛は胸元から朱に塗られた小箱を取り出す。紙巻き煙草に火を点け、煙を燻らせ始めた。一本吸い終わる頃に、医局から歓声が聞こえた。曹瑛は石畳に煙草を投げ捨て、沓先で踏みにじる。


「燕姫様、ご気分はどうですか」

 跪いた武官に寝台に腰掛けた燕姫が微笑む。汗の引いた顔は涼やかで、血色も良い。

「気分は晴れやかです。痛みもありません」

 華慈が額に手をやると、平熱に戻っていた。足首の咬傷も腫れが引いている。

「なんと、奇跡だ」

「曹瑛殿の調合した茶で蛇毒に苦しむ者が助かる」

 医師たちは喜びに沸く。武官は曹瑛に向かって拱手の礼をする。


「お前たち、すぐに素材を集めるのじゃ」

 華慈が怒声を上げる。武官には鳳桜宮に潜む毒蛇を捕獲するよう依頼する。曹瑛の調合書に従って解毒、解熱効果のある九宝茶を量産するのだ。

「毒をもって毒を制する」

 曹瑛は帰り支度を始める。

「お主は薬師の才能がある。どうじゃ、ここで」

「俺は薬師ではない」

 曹瑛はそう言い残し、医局を後にする。若き医師たちは去りゆく曹瑛の背中を尊敬と畏怖の眼差しで見送った。


 その日の正午。後宮の床下に置かれた鉄製の棺桶から巨大な毒蛇が発見された。棺桶には呪いの文言が隙間無く彫られていた。毒蛇は卵を産み落とし、厄災を量産していた。棺桶の中で絡み蠢く真っ黒な蛇。あまりに悍ましい光景を見た武官の中には、その場に卒倒する者もいたという。

「間違い無い、蠱毒の術だ」

 年嵩の文官は恐怖に身体を震わせながら消え入る声で呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る