第6話 若き皇帝
「そのまま動くな」
「えっ」
曹瑛は扇子から抜いた刀子を放ち、毒蛇を床に縫い付けた。あずまやの青年はのたうつ毒蛇を見て恐怖に肩を震わせる。上等な白藤色の着物に髪を高い位置で結い上げ、金色の唐草文様の簪で留めている。高貴な身分の者が身につける装束だ。
曹瑛は青年の顔を見た瞬間、形の良い切れ長の目を細める。
「伊織、何故こんなところにいる」
腕組をした高圧的な態度の曹瑛に怯えた青年は、困惑した表情で弱々しく首を振る。曹瑛は小雪の姿を探したが、見当たらない。
「貴様、小雪をどこへやった」
「し、知らぬ」
「なんだと」
曹瑛が怒りを露わに唇を歪め、襟を交差させて青年の首を締め上げる。
「おい、ちょっと待て。本当に知らないようだ」
見かねた孫景が曹瑛の腕を掴み、蛮行を止めた。曹瑛はチッと舌打ちをして手を離す。咳き込んだ青年はよろめきながら椅子に座り込んだ。
「お前、伊織ではないな」
「朕は伊織という者ではない」
曹瑛と孫景は顔を見合わせる。
「まさか、この男」
「
孫景はあわてて後退り、最敬礼をする。白鷺帝は遼河国の最高位に立ち、神に最も近い存在とされている。
曹瑛は腕組をしたまま若き皇帝の姿を観察している。確かに、顔立ちも背格好も伊織に似ている。だが、顔色は蒼白で着物から覗く腕も貧弱だ。
「人違いだ、悪かった」
「毒蛇から助けてくれて礼を言う」
「陛下、ご無事ですか」
後宮の方から
「貴様ら、何者だ」
「兵を呼べ」
宦官たちが裏声で騒ぎ立てる。
「待て」
白鷺帝は毅然とした佇まいで宦官たちを制する。
「今日は気分が良く庭を逍遙していたところ、毒蛇に襲われた。この男に命を救われたのだ」
宦官はふてぶてしい態度の曹瑛とばつが悪そうに頭をかく孫景を見比べる。
「疲れた。戻るぞ」
白鷺帝は曹瑛に頭を下げ、宦官を伴い後宮へ戻っていく。その足取りは雲の上を歩くように覚束ない。
「あれが白鷺帝か、死相が見えているな。長くは持つまい」
「おい、滅多なことをいうもんじゃねえ」
孫景は慌てて曹瑛の背中を突く。後宮の者に聞かれでもしたら、不敬罪で舌を抜かれて晒し首だ。そもそも、曹瑛本人は平然としているが、皇帝の胸ぐらを掴むなど八つ裂きにされても足りないほどの反逆罪に当たる。
「ご尊顔を初めてみたぜ。まだ二十歳そこらだろう、可哀想にな」
孫景も皇帝が長くは持たないことを感じ取っている。曹瑛は植え込みから這い出した毒蛇を捕獲棒で器用に絡め取り、籐籠に放り込んだ。
***
捕獲した毒蛇を持って曹瑛は華慈が用意した研究室にひとり籠る。
朱鷺山の草蘆の書庫から持ち出した書を広げ、調合を始めた。毒蛇の首を斬り落とし、器に血を注ぐ。朧月茸をちぎり、血を満たした器に入れる。白い朧月茸が赤黒い色に染まったら、取り出して火で炙る。
茶葉は解毒作用を助ける真観音を使い、それに菊の花、蓮の実、山査子、充分に蛇の血を吸った朧月茸を加えた。
格子窓から銀色の月が覗く。日暮れ前から調合を始め、休憩もせずに続けていた。曹瑛は袖口から紙巻き煙草を取り出し、燭台の炎で火を点ける。医局にもまだ明かりが灯っている。彼らは今夜も寝ずに奮闘しているのだ。
曹瑛は煙草を燻らせながら鳳桜宮の東門へ向かう。門兵に華慈から預かった特令通行札を見せ、通用門を抜けた。
千都では皇帝が病に伏せていることで、店の夜間営業を自粛することになっている。かつては不夜城とも呼ばれた神雀路周辺も明かりを落としている。しかし、民衆はしたたかなもので、裏路地では密かに店を開けていた。
曹瑛は油の匂いの染みこんだ食堂の御簾をくぐる。狭い店内は酒を煽る男たちで賑わっていた。
「遼河麺と肉饅頭、
「あいよ」
店主は威勢の良い返事をして麺を打ち始める。
椅子に座ってすぐに蒸籠に入った蒸したての肉饅頭がやってきた。大きな肉饅頭にかぶりつこうとしたとき、正面に無精髭の男が腰掛け、頬杖をつく。男は癖のある短髪で、柚葉色の着物に黒鳶色の羽織を肩にかけている。
「久しぶりやな、曹瑛」
特徴的な抑揚のある声、目を細めた愛想の良い顔は笑顔癖がついている。
「その薄ら笑いはどうにかならないのか」
曹瑛は男を一瞥して肉饅頭を頬張る。
「
「お、ええな。熱燗で頼むわ」
店主は上得意の劉玲に愛想を振りまきながら、曹瑛の注文した遼河麺をどんと置く。遼河麺は二本の大河に挟まれた肥沃な平野で収穫する糸麦で作る。うち立ての麺はこしがあり、歯ごたえが良い。湖で獲れる小魚で出汁を取った汁が定番だ。
「お前がここに来たということは、華慈翁の手に負えん事態ってことやな」
劉玲は頬杖をしたままにやりと笑う。
「解毒治療に手を貸すだけだ。終わればすぐに帰る」
「それが、この件はどうも根深いようや」
蓬莱酒の酒瓶が運ばれてきた。劉玲は手酌をしながら不敵な笑みを浮かべる。
「毒蛇があんなぎょうさん、しかも突然出てくるのはおかしい」
「そうだな」
曹瑛は麺を啜る。味が物足りないと思ったのか、小さな瓢箪の蓋を取り冬辛子を振りかける。
「俺は
劉玲は真顔になり、曹瑛を見据える。
「兄貴の言う通りだ、蠱術師の仕業だろう」
曹瑛は真剣な眼差しを劉玲に向けたまま、肉饅頭にかぶりつく。
「あれ、瑛さん」
隣の席で遼河焼麺を食べていた男が声を上げる。誰かと思えば、朱鷺山の草蘆で別れた伊織だ。同じ席で榊と弟の高谷が焼き魚をつまみに酒を酌み交わしていた。劉玲は伊織の顔を見て、一瞬目を見開く。
「この男たちは天陽国から来た」
曹瑛の説明に劉玲は合点がいったようだ。満面の笑みですぐさま杯に酒を満たし、乾杯をする。曹瑛だけは酒精のない羽龍茶を飲んでいる。どうやら下戸とみた。
「劉玲さんは瑛さんのお兄さんなんですか」
陰の曹瑛に対して陽の劉玲、正反対の雰囲気に伊織は戸惑う。
「せや、その日暮らしで気ままに生きてる」
劉玲はあっけらかんと笑う。
「伊織、小雪はどうした」
「鶺鴒寺に連れて帰ったよ。元気にしてる」
屋根のある場所に保護していると聞いて、曹瑛は安堵した。
「鳳桜宮で毒蛇が大量発生したと聞いた。蠱術師とは一体なんだ」
榊は耳慣れない言葉を疑問に思ったようだ。
「蠱術師は
曹瑛はれんげで杏仁布丁を掬う。とろりとした口触りに仄かな甘みが広がり、思わず口元を緩める。
古来、蠱術師と呼ばれる特別な呪術を使う者たちがいた。蠱毒という手法を使い、人を呪い殺し厄災を引き起すことで民衆や時の権力者から恐れられた。蠱毒を生成するには、生き物をひとつところへ集め、殺し合いをさせる。最後まで残った個体には強力な呪力が宿る。その呪力を自在に操るのが蠱術師だ。
「しかし、遼河国建国以来、命を弄ぶ忌術として蠱術の使用は固く禁じられてきたんや」
劉玲は杯を空にする。酒精の強い蓬莱酒をしこたま飲んでいるが、全く酔う気配はない。
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