第29話 反蠱符

「瑛さんたちが蜂に襲われている。助けないと」

 伊織が立ち上がる。

「やめておけ、ありゃ鬼甲蜂だ。三度も刺されたらお陀仏だぜ」

 格子戸が開いて癖のある巻毛に口髭の男が顔を出す。柑子色の着物に山水画を描いた派手な羽織を着ている。いかにも胡散臭い風貌に伊織は眉を顰める。 


「命が惜しけりゃ早く中に入れ」

 口髭の男は手招きして店に入るよう促す。しかし、曹瑛と榊を見捨てるわけにはいかない。掲げている看板を見上げると、按摩・霊薬の蓮華堂と書かれている。伊織は躊躇する高谷の手を引く。

「高谷くん、この店に役立つものがあるかもしれない」

 伊織と高谷は蓮華堂に駆け込み、格子戸を閉めた。


「俺は郭皓淳かくこうじゅん。ここの店主だ。騒ぎが落ち着くまで休んでいけよ。お陰様で商売があがったりだ」

 郭皓淳は両手を広げて肩を竦める。上背があり、整えた細眉にやや垂れ目気味の切れ長の瞳、口髭と小ぶりの顎髭を生やし、あひる口に笑みを浮かべている。

「宮野伊織です」「高谷結紀といいます」

 手短に自己紹介をして、呑気に茶を淹れようとする郭皓淳に詰め寄る。


「仲間が襲われています。鬼甲蜂に弱点はありますか」

 二人の剣幕に郭皓淳は後ずさる。

「そうだな、蜂ってな水に弱い。雨の日は活動しないもんだ」

 雨を自在に操るなど不可能、井戸の水をぶちまけたところで焼け石に水だ。伊織は頭を抱えて悩む。


「鬼甲蜂は天陽にはいないけど、蜂の習性は似たようなもんじゃないかな」

 高谷の言葉に伊織は目を見開く。

「郭皓淳さん、ここに霊薬の素材がありますか」

「ああ、何でも揃ってるよ」

 郭皓淳は胸を張る。伊織の妙案に高谷は真剣な眼差しで頷く。


 曹瑛と榊は旅籠屋の軒下に身を潜めている。反撃に遭い凶暴性を増した鬼甲蜂は周囲を活発に飛び回っている。

「術師を探し出そうにも身動きが取れねえ。見当がついているのか」

 榊は舌打ちをする。

「鬼甲蜂を操るなら、俺はそうする」

 曹瑛は蠱術師は近くに潜んで鬼甲蜂を操りながら様子を伺っているだずだという。鬼甲蜂の動きをひとときでも封じ込めることができれば。


 曹瑛が軒下から身を乗り出そうとする。

「おい、どうするつもりだ」

 榊が曹瑛の腕を掴んで制する。

「普段から解毒茶を煎じている。毒には多少耐性がある」

 鬼甲蜂を野放しにすれば、被害は広がるばかり。曹瑛は刺される危険を覚悟で蠱術師を探すつもりだ。


「わかった、俺も援護する」

「貴様は足手纏いだ」

 曹瑛は冷淡に拒絶する。榊は眉を顰め、曹瑛を鋭い眼光で射貫く。

「なんだと」

「引っ込んでいろ。面倒をかけるな」

 曹瑛と榊は殺気を放ちながら睨み合う。


「毒蜂め、こっちだ」

 伊織と高谷が大きな壷を通りの真ん中に運び込む。

「あいつら、何やってる。鬼甲蜂に刺されるぞ」

 榊が助けようと軒下を飛び出す。曹瑛が榊の着物の襟首を掴んで止める。

「待て、奴らも馬鹿じゃない」

 伊織と高谷は身体中に黒い葉の生い茂る枝を巻き付けている。鬼甲蜂が壷の周りに集まっていくが、二人を避けるように飛んでいる。


「なるほど、考えたな。黒紫蘇の葉だ」

 曹瑛が感心している。

「黒紫蘇、そうか。蜂の嫌う匂いだな」

 蜂は香草の匂いを嫌う。黒紫蘇は香草の中でも独特の強い香りを持つ。曹瑛は胸元から煙草を取り出す。

「気休めだが、無いよりは良いだろう。蜂避けになる」

 曹瑛と榊は煙草を吹かしながら神雀路に立つ。


「瑛さん、榊さん、怪我は」

 二人に怪我はないと知って伊織はほっと息をつく。

「あの壷の中身は何だ」

 榊は壷を指差す。鬼甲蜂の大群が通りに置いた壷の中に面白いように吸い込まれていく。

「蜜蝋香だよ」

 高谷は黒紫蘇の葉の隙間から榊を見上げ、得意げに笑う。

 風に乗って微かに甘い香りが鼻をくすぐる。蜜蝋は蜂の分泌物を煮詰めて作る香料で、濃厚な香りは蜂を酔わせて惹きつける効果がある。


 通りを飛び回る鬼甲蜂はほとんど姿を消した。動ける者が助け合い、重傷者を町医者や薬屋に担ぎ込む。鳳桜宮から派遣された官吏たちも駆け付け、対応に追われている。この混乱に乗じて蠱術師が逃走するはずだ。ここで掴まえなければ。


「おお、大漁だな」

 黒紫蘇を首に巻いた郭皓淳が鬼甲蜂が詰まった壷をのぞき込み、上機嫌で木蓋の栓をする。

「助かりました、ありがとうございます」

 郭皓淳の店から黒紫蘇と蜜蝋香を調達できた。伊織と高谷は郭皓淳に礼を言う。

「こいつは霊薬の素材になる。うちも役得だ」

 壷を運ぼうとする郭皓淳を曹瑛が引き留めた。


「こいつは珍しい顔だ、伝説の薬師が山から降りてきたか」

「黙れ、郭皓淳」

 郭皓淳は曹瑛は旧知の仲のようだ。不満げな曹瑛を前に萎縮することなく飄々としている。

「相当不本意だが、貴様に頼みがある」

「高いぜ」

 郭皓淳は曹瑛の依頼を聞き、あひる口を突き出して不敵な笑みを浮かべる。 


***


「鬼甲蜂に刺された者は来い。この護符を持てば痛みが引く」

 郭皓淳が通りの中央で呼び込みを始める。その手には呪文のようなものが書かれた白い札の束を持っている。町の人々が興味を惹かれて集まり始めた。

「そんな紙切れ一枚持ったところで何になる」

 酒屋の旦那がけちをつける。郭皓淳は怯むことなく護符を突きつける。

「あの蜂は蠱術に操られた強烈な毒を持つ蜂だ。怪我の治りはすこぶる悪いぞ」

「なんだって」

「こいつは蠱術の呪いを術者に返す反蠱符はんこふだ」

 郭皓淳の言葉にその場は水を打ったように静まり返る。


「売ってくれ」「いくらだ」

 堰を切ったように人々が郭皓淳に詰めかける。郭皓淳はもったいぶって石段に飛び乗り、これ見よがしに札を頭上に掲げる。

「蠱術など滅びて久しい。そんな札は偽物だ」

 壮年の灰色の着物の男が声を張り上げる。

「買うな。こいつは騒ぎに便乗した詐欺だ」

「あんた、営業妨害はやめてくれないか」

 郭皓淳は腰に手を当てて男を指差す。


「あっ鬼甲蜂だ」

 伊織が大声で叫ぶ。集まった群衆は慌てて散っていく。灰色の着物の男は郭皓淳に飛びかかり、反蠱符を奪い取った。

「そんなにその札が欲しいか」

 曹瑛が灰色の着物の男の前に立ちはだかる。

「こんなものは偽物だ」

「そうだ、偽物だ」

 曹瑛は剣呑な瞳で男を見据える。男は呆気に取られて手元の札と曹瑛の顔を見比べる。


「反蠱術に恐怖したお前が蠱術師だ」

 曹瑛に断罪され、男は忌々しげに唇を歪める。鬼甲蜂が周囲を飛び回るも怖れる様子はない。

「何を根拠に」

 男は鼻を慣らして嘲笑う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る