第2話 茶芸のもてなし

 男は碁盤の目のように並ぶ引き出しを眺めて思案している。引き出しには小さな鉄製の銘板が取り付けてあった。

 長い指を滑らせ中段の右から三番目の引き出しを開け、取り出したのは乾燥した植物の葉だ。黒ずんだ植物の葉を白い陶器に入れ、伊織に差し出した。


「これは朱鷺岩茶という。標高の高い地の岩壁にしか生えない背の低い茶樹から採取できる希少な茶だ」

 伊織は干からびた海藻のような茶葉と男の顔を交互に見やる。そんな高級茶を振る舞ってくれるとは、初対面で刀子を投げつけてきたこの男にも甲斐性があることに驚いた。

 縁側の先に広がる庭を歩き回る小雪の姿を見つけた。あの奇妙な生き物を助けた礼というのだろうか。意外に義理堅い男だ。


 男は竹製の盤に茶器を並べ、茶器に湯を注ぐ。

「風味が落ちないよう、はじめに器を温める」

 朱鷺岩茶を茶壷に入れる。鉄瓶の湯を高い位置から注ぎ、蓋を閉める。溢れた湯は下に置いた盤にたまる仕組みだ。男は頃合いを見て茶壷の茶を深みのある容器に移す。それを二人分の茶杯に注いだ。


「なぜ一度器を変えるんです」

「茶壷から茶杯に直接茶を注げば、最初は薄く、最後が濃くなる。茶の味を均一にするために茶海を使う」

 男は茶道にも通じているようだ。


 白磁の茶杯に注がれた茶は艶やかで深みのある赤褐色で、器を手に取ると花のような甘い香りがした。口に含むとまろやかな甘みと馥郁とした香りが鼻腔に抜けてゆく。

「おいしい、こんな茶は初めてです」

 伊織の故郷、天陽国でも遼河国から伝来した茶の文化が独自に発展しており、日常的に親しんでいる飲み物だ。こんな香り高い茶を飲んだのは生まれて初めてで、驚きを隠せない。


 男は二煎目を注ぎ始める。

「私は宮野みやの伊織といいます。年は二十四、天陽国からここ千都へ留学でやってきました。都の郊外にある鶺鴒せきれい寺に下宿し、学んでいます」

 男は切れ長の瞳を細め、伊織を見やる。

「訛りが無いのはそのせいか」

 この地方では年寄りは特に聞き取れないほどの巻き舌で喋る。伊織の発音が妙に綺麗なのは外国人なのだと合点がいった。


「あのう」

「何だ」

「お名前をお聞きしてもいいですか」

 名乗れば教えてもらえる、そんな常識が通じないことを理解した伊織は草蘆の主に名を尋ねた。

 男は眉間を顰め、胸元から刀子を取り出した。鈍色に光る刃に伊織は息を呑む。


 男は俊敏な動作で腕を薙いだ。

「ひえっ」

 殺される、伊織は恐怖に身を竦める。ギェッと声がして、庭にとんびの羽が舞った。小雪を狙って襲いかかってきたところを狙い撃ちしたのだ。

「あれは企鹅ペンギンという飛べない鳥だ。本来は極寒の地に住み、この地に生息する鳥ではない。都の金満家が道楽で気まぐれに飼ったものの、飽きて山に棄てられていた」

 男は何事も無かったかのように茶壷に湯を注ぐ。完全に名前を聞きそびれてしまった。


「それで、仙人様」

「俺の名は曹瑛そうえいだ」

 仙人と呼ばれるのは不本意だったらしい。

 曹瑛と名乗る男は胸元から小さな木箱を取り出す。中には紙巻き煙草が入っていた。燭台を引き寄せて煙草に火を点け、うまそうに煙をくゆらせ始めた。


「私はこの山に伝説の薬師が住んでいると聞いてやってきました。遠い故郷で病の床に伏せる師を助けたいのです」

 伊織は丁寧に頭を下げる。曹瑛は片膝を立てたまま、無表情で煙草を吹かしている。

「何度も言わせるな、俺は薬師ではない。残念だったな、他を当たれ」

「そんな」

 苦労してここまできたというのに、住んでいたのはただの不遜な世捨て人だったのか。伊織は落胆してがっくりと肩を落とす。


 曹瑛がつまらなそうに庭に煙草を投げ捨てる。庭先に降り立ち、沓先で火の点いた煙草を揉み消した。その気配に微かな苛立ちを感じ、伊織も縁側に立つ。

「匂うな」

「そういえば、焦げ臭い」

 伊織は鼻をひくつかせる。パチパチと木の爆ぜる音が聞こえる。風に流されて煙が漂ってきた。


 曹瑛は草蘆の裏手に向かって走り出す。伊織も慌てて曹瑛の後を追った。

 そこには積み上げた麻袋が炎に包まれていた。

「春摘みの朱鷺岩茶だ」

 曹瑛は拳を握り締め、怒りに震えている。見開いた瞳は燃える炎を映して朱に染まる。

「あのお茶が、燃えてる」

 伊織は立ち尽くし、絶句する。


「ざまぁみろ、俺たちをみくびるからだ」

「全部燃えてしまえ」

 先程、曹瑛に返り討ちにされた男たちだ。腹いせに収穫した茶葉に火をつけたのだ。

「伊織、火消しを頼む」

「わかった」

 伊織は井戸に走り、滑車で水を引き上げる。燃え盛る麻袋に桶の水を掛け続ける。


 曹瑛は殺気を放ち、二人の無法者に対峙する。

「なんだ、やるのか」

 青い着物の男は懐から取り出した短剣を構える。灰色の着物の男は背中から鎌を取り出した。

「何度も通い詰めた、破格の条件も提示した。それなのにお前は聞く耳を持たず、俺たちを追い返すばかり」

 青い着物は短剣を曹瑛に突きつける。積年の恨みあっての放火だと言いたいのだ。


「烏鵲楼以外に茶葉を卸す気はないと言ったはずだ。お前らのような下衆に売ってやる茶葉など無い」

 曹瑛は冷淡に吐き捨てる。

「そんな大口叩けなくしてやる」

 灰色の着物が鎌を振り上げ曹瑛に襲いかかる。

 曹瑛は帯に差した臙脂色の飾り紐のついた扇子を取り出し、鎌を弾く。鈍い金属音。扇子には刃が仕込まれていた。


 曹瑛は間髪入れず扇子を真横に薙ぐ。灰色着物の胸元の着物が避け、血が吹き出す。

「ぎゃあっ」

「喚くな、皮一枚斬っただけだ」

 曹瑛は大きく踏み込み、灰色着物の顔面に強烈な肘鉄を食らわせた。灰色着物は畑に吹っ飛び、気絶した。


「こいつがどうなっても良いのか」

 曹瑛が予想外に手強いことに怯えた青着物が小雪を掴み上げる。曹瑛は目を見開き、怒りを露わにする。

「やってみろ、命が惜しく無いというのならな」

 曹瑛は青着物を見据え、扇子を突き出す。その気迫に青着物は動揺する。


 曹瑛は扇子を持つ手を胸元に構える。腕を交錯し、扇子に仕込んだ刀子を放った。

「ぎゃああっ」

 上腕と太腿に刀子が深々と刺さり、青着物は小雪を放り出す。小雪は器用に着地し、小走りで植え込みに逃げ込んだ。

 曹瑛は青着物と間合いを詰め、身体を捻って軽やかな上段蹴りを繰り出す。


 青着物は門柱に激突し、白目を剥いた。

「火は消し止めました。えっ、もうこいつら倒したんですか」

 煤だらけの伊織が走ってきた。この細身の男が悪漢二人をいとも容易く倒したことに驚く。

 曹瑛は扇子を帯に差し、胸元から煙草を取り出し火打石で火を点け煙を燻らせ始めた。

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