第3話 秘湯鷺の湯

「この茶はすべて使い物にならない」

 曹瑛は麻袋から焦げて水浸しになった茶葉を取り出し、爪が食い込む程に拳を握り締める。収穫した茶葉を詰めておいた麻袋に火を点けられたのだ。

「すみません、大事なお茶を守ることができませんでした」

 感情をほとんど表に出さない曹瑛がこれほど痛恨の念を露わにするとは。伊織はやるせなさに唇を噛む。


「どのみち、煙の匂いが移った時点で茶葉の価値は下がる。かまどの火だねにでも使うとする」

 曹瑛は短刀で男たちの頭頂部と眉毛を剃り落とし、乗ってきた馬に括り付けた。馬の鼻先に人参をぶら下げ尻を叩くと、馬は急な坂道を全力で駆けてゆく。男たちの情けない悲鳴が朱鷺山に木霊した。


「奴らは千都にある天龍茶館の使いだ。ここで採れる上質な茶葉を欲しがり何度もやってきた」

 曹瑛は短刀についた毛髪を払う。見るも無惨な容貌の男たちはしばらく人前に出ることはできないだろう。

「天龍茶館、名前を聞いたことがあります」

 洒落た意匠の建物で、見目の良い器に美しい着物の給仕を侍らせ、若者に人気の茶館だ。千都中心部にあり、いつも待ち客が並んでいる光景を見たことがある。


「なぜ茶葉を売らなかったんです」

「金を積めば何でも手に入ると思っている、やり方が気に入らない」

 曹瑛はフンと鼻を鳴らした。この男は茶の道に矜持を持っているのだ。そういえば、烏鵲楼にだけは茶葉を卸していると言っていた。伊織は俄然、烏鵲楼という店が気になった。


「ひどい顔だ」

 曹瑛は伊織の顔を見て口元を歪めて笑う。火消しのために顔も身体も煤だらけだ。

「陽も陰ってきた。夜道は人を襲う獣もいる。今夜はここに泊めてやる」

 但し書庫に、と曹瑛は付け加える。それでもありがたい。伊織は礼を言う。

 林立する巨岩の彼方に太陽が沈んでゆく。遠く見下ろす運河は光を浴びて金色に輝いていた。


 草蘆から少し下った場所に湯が湧き出る泉があるという。曹瑛に連れられて草蘆の裏手から坂道を下っていく。

「痛風、冷え性、神経痛、臓腑の不調に効果がある」

 湿気が強くなり、微かな硫黄の匂いが漂ってきた。巨石の向こうに白い湯気がもうもう立ち上るのが見える。


「ここは俺たちの陣地なんだよ、この湯もそうだ。利用税を払え」

「お前らに払う銭は持ち合わせていないぜ」

「なんだと、てめぇ」

 男たちが言い争う声が聞こえた。曹瑛は岩陰を背に警戒しながら様子を伺う。

 山賊と思しき獣の毛皮を纏った男たちが三人、黒い着物に紺色の襟巻きをした男。灰青色の着物の男が心配そうに襟巻きの男を見守っている。


「奴らは魏山ぎざん賊だ。この周辺を根城に都からの運搬物資の強奪や追い剥ぎで生計を立てている無法者だ」

 野蛮で手に負えないから警吏けいりも黙認している、と曹瑛は続ける。

 紺色の襟巻きの男は鼻筋の通った精悍な顔立ち、孤狼のような鋭い眼光で魏山賊のごろつきどもを威嚇している。背中まで伸びる髪を紺色の組紐でひとつ括りにし、長い前髪を横に流している。


「命が惜しけりゃ持ち物全部ここへ置いていきな。着物も全部だ」

 歯抜けの男は襟巻きの男の腰に下げている見事な太刀を狙っているようだ。手斧を振りかざし、じりじりと間合いを詰める。坊主頭は湾刀を肩に担ぎ、余裕の笑みを浮かべている。

 棍棒を持つ男が襟巻きの男に襲いかかった。襟巻きの男は太刀の鞘で棍棒を弾き返し、隙だらけの横っ面に強烈な拳を食らわせる。棍棒男は吹っ飛び、岩に激突して昏倒した。


「この野郎っ」

 歯抜けが手斧を振り上げ、襲いかかる。襟巻きの男は抜刀し、大きく踏み込む。その一閃が手斧の握り手を切断する。斧の刃がごとんと岩場に落下する。

「ひえっ」

 鋭い斬れ味に恐怖した歯抜けは握り手を放り出し、後退る。

「どけい、馬鹿が」

 湾刀を持つ巨漢の坊主頭が襟巻きの男に対峙する。


「あいつはまずいよ」

 襟巻きの男は上背があるが、坊主頭はさらに一回り大きく、筋肉の装甲で覆われている。その体格差に伊織は青ざめる。曹瑛は腕組をしたまま冷静に戦いの行方を見守っている。

 襟巻きの男は太刀を構える。月明かりに研ぎ澄まされた刀身が光を放つ。

「この国の剣ではないな」

 曹瑛は男の持つ太刀に興味を示す。

 

「舐めた真似をするじゃねえか」

「俺は温泉につかりたいだけだ。邪魔をしたのはお前たちだ」

 襟巻きの男は不機嫌を露わに唇を歪ませる。

「ほざけ」

 坊主頭が湾刀を振り下ろす。襟巻きの男はそれを右に飛んで避ける。巨漢の坊主頭は湾刀を自在に操り、振り回す。襟巻きの男がじりじり岩壁に追い詰められていく。


 窮地に追い込まれた、と思った瞬間。男の目がぎらりと輝きを放つ。振り下ろされた湾刀を太刀で受け止めた。

「くそっ、小癪こしゃくな奴め」

 坊主頭は湾刀をそのまま斬り下ろし、襟巻きの男を両断にしようと力を込める。

 岩陰から歯抜けが吹矢を構え、襟巻きの男を狙う。


「男の勝負に水を差すな」

 曹瑛が腰の扇子を抜き、中骨なかぼねに仕組んだ刀子を飛ばす。吹矢を持つ手に刀子が突き刺さり、歯抜けは血を流して悶絶する。

「このまま斬り裂いてやる」

 坊主頭が湾刀を押し下げる。襟巻きの男は太刀に気魄を込める。

「はっ」

 気合い一閃、襟巻きの男の太刀が湾刀を砕いた。


「こいつには敵わねえ。逃げるぞ」

 坊主頭は砕けた湾刀を放り出し、逃げ出した。歯抜けと棍棒男も悲鳴を上げて立ち去った。


 襟巻きの男は太刀を鞘に収め、目の前に立つ曹瑛を見据える。

「礼を言う。俺はさかき英臣ひでおみという」

「その刀、遼河国のものではないな」

 曹瑛は榊の刀に興味津々だ。

「これは天陽国で作られた和刀だ。その製法は秘伝中の秘とされ、隠れ里に住む刀匠が鍛えた銘刀だ」

 榊は太刀を抜く。曹瑛は心を奪われたように美しい波紋を凝視している。


「私は宮野伊織です、山賊退治お見事でした」

「ほう、お前も天陽国の出身か」

 榊は同郷だと知り、伊織に親しみが湧いたようだ。連れの男は細身で小柄、ぱちりと開いた眼、長い睫毛にすらりとした鼻筋、形の良い唇で一見女性のような可愛らしい印象があるが、その目に宿る鋭い眼光は榊のそれを彷彿とさせた。

「私は高谷たかや結紀ゆうきです。絵師をしております。画道を学ぶため、兄について新天地へやってきました」

 高谷は丁寧に頭を下げる。


「この山に秘湯があると聞いてきた。日暮れまでさまよい歩いてようやく見つけたところ、奴らに因縁をつけられたというわけだ」

 榊は着物を脱いで、かけ湯を始める。健康的な薄褐色の肌に鍛え上げた胸筋、引き締まった下半身。均整のとれた男らしい肉体だ。

 青みがかった白い湯に入ると、身体の芯からじんわり温まる。


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