第4話 鳳桜宮の使い

「ここの湯には痛風、冷え性、神経痛、臓腑の不調に効果があると聞いている。湯あたりも柔らかく、温度も心地良い」

 榊は温泉通で、遼河国に渡航してからも評判の良い温泉を求めて巡り歩いているという。天陽国では父親が地方の豪族で、いずれその地位を継ぐことになる。安定した地盤を継がされ往く道が決められていることに反発し、新天地である遼河国へやってきたのだ。


「俺の地元は資源に乏しい。文化が発達し、外国との交易が盛んな遼河国で商材をみつけて帰ろうと思っている」

 榊は二十四歳。弟の高谷は十八歳、第二夫人の子で、志の高い義兄を慕って遼河国への旅に同行することを決意した。


「ところで、今晩の宿を探しているのだが、どこか当てはないだろうか。お前たちはどこで寝泊まりする」

「私はあの方の書庫をお借りする予定です」

 伊織は離れた場所で大岩を背にして湯につかっている曹瑛をちらりと見やる。

「俺たちも泊めてもらえないか。そう言えば、まだ名を聞いていなかったな」

 曹瑛は榊と目を合わせたまま、大きな欠伸をする。


「この山には世を拗ねた仙人が住んでいると聞いて」

「俺の名は曹瑛だ」

 曹瑛は仙人と呼ばれることを嫌っているようだ。それなら素直に名乗ればいいのに、と伊織は思った。身体が芯から温まり、一日の疲労も溶けてゆくようだ。

「長湯しすぎると身体によくない」

 榊は湯から上がり、着物を着込んで胸元に石ころのようなものを入れる。


「それは何です」

「こいつか」

 榊は仕舞いかけた石ころを取り出す。石ころからひょっこり手足が生えて、伊織は目を見張る。

「こいつは明美だ。子供の頃に川辺で拾ったのが縁だ」

「食料か」

 曹瑛が榊の手の平の上の亀を覗き込む。子供の手の平大ほどの亀は慌てて顔を引っ込めた。

「馬鹿をいうな、大事に育てている」 

 榊は亀を胸元にしまい込んだ。甲羅干しの最中に野鳥につつかれていたところを榊が助けたという。


 湯冷めしないよう足早に曹瑛の草蘆へ戻った。

 曹瑛は鍋に火をかけ、夕餉の支度を始めた。高谷は井戸で野菜を洗い、伊織は山菜を刻む。榊は昼間川で獲った鮎を串焼きにする。男手四人で手早く整った。

 菜の花のおひたし、わらびときのこの山菜汁、鶏肉炒め、鮎の串焼き、茶葉で下味をつけたちまきが並ぶ。


「いただきます」

 手を合わせ、箸を取る。

「この鶏肉、ほろほろで身が柔らかい。それに不思議な風味だ」

 伊織が都の安食堂で食べる鶏肉は骨ごとぶつ切りで、身離れが悪かった。曹瑛の調理した鶏肉は醤の味がしっかり染みて身離れが良く、独特の刺激のある風味が癖になる。

「これは花椒ホアジャンか、宮廷料理に使われる高級な香辛料だ」

 榊もほとんど口にしたことはないらしい。


「そんなものは庭にいくらでも生えている」

 曹瑛は厨房に多種多様な香辛料を用意している。そのほとんどが山の恵みだという。茶葉だけでなく、料理の知識も持ち合わせていることに伊織は感心する。

 高谷は明美に人参の切れ端を食べさせている。


 食後に曹瑛が茶を用意する。甘味に出されたのは手製の杏の蜜饯だ。

「砂糖漬けの茶菓子だ。この茶は緑針峰という。血の巡りを良くして安眠できる」

 発酵度が浅めの緑茶で、爽やかな味わいだ。

「千都では皇帝が病に伏せていると聞いているが、長いのか」

 榊が茶を傾けながら尋ねる。曹瑛は足し湯をして茶壷に蓋をする。


「もう三年になるか」

 曹瑛は頃合いを見て茶壷の茶を茶海に注ぐ。

「まだ若いと聞いたけど、病は治せないのかな」

 伊織が千都にやってきたのは三月前だが、そのときから皇帝は公の場に姿を見せていないと聞いている。

「齢は二十、もともと病弱らしいが典医も症状緩和しか打つ手がない」

 伊織は曹瑛の横顔を見やる。茶と料理に長けたこの男、薬の知識が無いとは思えないが、どこか人ごとのようだ。


「皇帝が病に伏していることで国力が弱まり、千都では不穏な噂を聞いている」

 国境を越えた蛮族の侵攻や天変地異の噂が千都で飛び交っているのを聞いていた。箝口令が敷かれているため、大きな声では言えないが街の人たちの口に戸は立てられない。


「俺には関係ないことだ」

 曹瑛は興味の無い素振りで立ち上がり、縁側で足を組んで燭台を引き寄せ煙草に火を点ける。

「いいな、一本くれ」

 榊は曹瑛の横に腰掛け、もらい煙草に火を点けた。

「こいつは旨い、味が明瞭で風味もいい」

「そこに生えている」

 曹瑛は煙草を持つ手で庭木を指差す。この庭には何でも揃っているようだ。


 書庫に三人は入りきらないため、四人とも草蘆で雑魚寝をすることになった。峻厳な岩山にかかる春の月影はまるで絵画のような眺めだ。縁側でこんな絶景を見られるとは、贅沢なものだ。

「明日には帰れ」

 普段、風雅な一人暮らしを満喫している曹瑛は急な三人の来客に面倒臭そうにしている。ふてぶてしい態度の割に、夕餉や茶のもてなしには温かい心を感じられた。実は情に厚いのではないか、と伊織は思う。


***


 早朝、高らかに舞うとんびの声で目を覚ました。

 高谷はまだ寝ているが、曹瑛と榊の姿がない。伊織が庭に出ると、半身を脱いだ榊が朝陽を受けながら刀を素振りしている。背筋を伸ばし真っ直ぐに前を見据える凜とした立ち姿は、豪族の子息という育ちの良さを感じさせる。


 冷たい井戸水で顔を洗い、厨房で朝食の用意をする曹瑛に声をかける。

「曹瑛どの、手伝いましょう」

「その呼び方は好きでは無い」

 蒸籠に肉まんを放り込んでいた曹瑛は不機嫌な顔で手を止める。

「では、曹瑛様」

「気にいらない」

「瑛様、いや瑛さん」

 それで良しと思ったのか、曹瑛は何も言わず蒸籠に蓋をした。


 朝餉はセリと猪肉をこねた餡の肉まん、酢づけの白菜、茶葉に浸して茹でた茶葉卵、ヤギの乳だ。乳には唐黍の甘みがついていた。

「世話になった。また鷺の湯に来るときは立ち寄る」

 先に出発する榊と高谷を見送った。彼らは千都の宿にしばらく滞在すると言っていた。

「瑛さん、話が」

 伊織がここへやってきたのは、故郷で病に伏せる師を治せる霊薬を調合してもらうためだ。旅立つ前にもう一度切り出してみる。


「俺は薬師ではない。だが」

 言いかけたところに、馬蹄の音が近付いてきた。急な坂道を駆け上がってくる。砂煙とともに鹿毛の馬に乗った大柄の男が現われた。背後に馬具をつけた黒毛の馬を連れている。


「曹瑛、急ぎ鳳桜宮ほうおうきゅうへ来てくれ。華慈かじが呼んでいる」

 男は厳めしい表情で曹瑛に黒毛に乗るよう促す。短髪で尻尾のように長い後ろ髪をひとつくくりにし、頬骨の張ったいかつい顔だが涼やかな目は暑苦しい印象を和らげている。


「いやだ」

 男の焦燥を気にすることもなく、曹瑛は顔を背ける。平然と断る曹瑛に、いつもこうなのかと伊織は唖然とする。


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