第9話 国家転覆の陰謀

「伊織さん」

 誰かと振り向けば、高谷が手を振っている。その横に立つのは兄の榊だ。長い前髪から鋭い眼光が覗く。

「茶を飲みにきた。それに、ここに来れば会えると思ってな」

 隠しきれない剣呑な佇まいは一見堅気に見えない。


「お、なんやみんな揃とるな」

 高谷と榊の間に劉玲が割って入り、二人の肩を抱く。孫景と呼ばれていた男も一緒だ。ちょうど屋外席が空いたので、庭園を眺めながら茶会をすることになった。

「孫景はんは宮廷に物資を搬入してる。あちこちに顔が利いて人脈も多いから情報通や」

 劉玲と孫景は気心の知れた仲らしい。隠遁している曹瑛を千都へ呼び寄せたのは、医局へ出入りして華慈と顔見知りだったからだ。


「劉玲とは腐れ縁でな」

 孫景はがっしりした身体を揺らして笑う。涼やかで気さくな笑顔はいかつい印象ががらりと変わる瞬間だ。

「宮野伊織です。天陽の出身で留学のためにやってきました」

「おお、あのときは悪かったな。しかし、似てんな。いや、何でもない」

 伊織の顔をまじまじと眺める。孫景は朱鷺山の草蘆で顔を合わせたことを覚えていた。

 

「榊英臣だ。生まれは天陽国、政治、文化、産業が発展した遼河国で見聞を広めるためにきた」

「高谷結紀です。画業を極めたいと兄について旅をしています」

 怜悧で切れ者の兄の榊と物腰丁寧な弟の高谷、二人は腹違いの兄弟だがその瞳に宿る鋭い眼光は血の繋がりを思わせた。

「遼河では茶席を囲めばみな友達や」

 劉玲は無精髭の残る顎を撫でて朗らかに笑う。


 曹瑛が茶と甘味を運んできた。丸枠を立てて仕切りを入れた菓子棚に一口大の甘味を並べてある。曹瑛の友人だからと李海鵬が蒸籠に蒸したての小籠包と黒糖饅頭を持ってきた。

 曹瑛が席について茶芸を始める。選んだのは金木犀の甘い香りが漂う桂花紅茶だ。茶を振る舞い終えると菓子棚から甘味をつまみ始めた。


「お前の調合した解毒茶は効果てきめん、医局では量産で大忙しだ」

 宮廷で毒蛇に咬まれて苦しんでい者者は茶のおかげで徐々に快方に向かっているという。孫景は華慈から受け取った謝礼金を曹瑛に差し出す。

「約束が違う」

 曹瑛は不機嫌を露わにそれを突き返す。

「そう言うと思ったぜ」

 孫景は困った顔で頭をかく。礼金の入った巾着はずしりと重そうだ。曹瑛は額に不服があるのだろうか。


 孫景は巾着を引っ込め、変わりに風呂敷包みを取りだした。

「綾山閣の蛋糕ケーキだ。買うのにめちゃくちゃ並んだんだぞ」

 綾山閣は神雀路に面した人気の甘味屋で、よく練った山羊乳と黍糖を練り込んだ蛋糕は人気商品だ。開店直後、一刻で売り切れる。今回、曹瑛は華慈の依頼を綾山閣の蛋糕で引き受けたのだ。


「薬膳茶の調合は本業ではない」

 曹瑛は綾山閣の包みを開け、皆に振る舞う。箱の中には甘い香りの蛋糕が並ぶ。中でも珍しいのは遠く南の島で採れる香花生カカオと呼ばれる果実で風味つけしたものだ。

 曹瑛はひとつ手に取り、ぽいと口に放り込む。目を閉じて味わいながら満足そうな笑みを浮かべた。澄ました顔をして甘味が好物とみえる。


「後宮の床下からどえらいもんが見つかったって聞いたで」

 劉玲は蛋糕をつまみ食いしてこれは確かにうまい、と目を丸める。

「さすがに耳聡いな、劉玲」

 孫景は肩を竦め、ちらりと天陽国の面子を見やる。劉玲は気に留める様子はない。宮廷関係者ではない彼らは信用できると考えているようだ。


「蠱毒というやつか」

 榊は俄然興味を惹かれている。その不気味な響きに伊織は背中にぞわりと鳥肌が立つのを感じた。

「そうだ、後宮の床下から今回の毒蛇事件の元凶、蛇蠱が見つかった。殺処分したからこれ以上の発生はないだろう」

 孫景は野次馬根性で発見現場に駆け付けた。棺桶の中で巨大な黒い毒蛇がとぐろを巻く姿を思い出すと怖気が走る。


「遼河国では蠱毒は最大の禁忌だが、大胆にも後宮で術を仕掛けた。宮廷では何者かが皇帝を狙っているのでは、と噂が広まっている」

 この話題を持ち出すだけでも警吏にしょっぴかれる、と孫景は声を潜める。

「なぜそこまで厳しく取り締まるんです」

「蠱毒は恐ろしい呪いだ。それに、蠱術師は証拠を残さない。いつ誰が標的になり、殺されるともわからない。もちろん、皇帝でさえ不可避だ」

 曹瑛は脚を組み替え、紅茶を口に含む。


「誰でも呪い殺される可能性があるってこと」

 伊織は青ざめる。

「それに、蠱を帯びた生き物をばら撒けば今回のように大混乱を起こせるね」

 聡明な高谷の言葉に榊が頷く。後宮の蛇蠱を発端とする騒ぎは皇帝の命を狙うというより、鳳桜宮の混乱が目的だったと榊は踏んでいる。


「白鷺帝はおそらく蠱術に毒されている」

 曹瑛が胡麻団子を頬張りながら呟く。その衝撃的な言葉に、皆が曹瑛に注目する。

「弥勒園で白鷺帝を見た。長年かけて蠱呪が蓄積している」

 顔色は蒼白、着物から覗いた鎖骨付近には紫斑が確認できた。おそらく全身を覆っているだろう。

「白鷺帝を助けないの、瑛さん」

 伊織は素朴な疑問を投げかける。白鷺帝が病に伏せ、遼河国の繁栄に陰りが見えているのは確かだ。


「天命ならば仕方が無いだろう」

 曹瑛は世捨て人であることを思い出す。国が傾こうが我関せずといった態度だ。

「帝が崩御すれば幼い後継者は後見人を立てて政治を行うことになる」

 榊が胸元から小箱を取り出し、燭台の炎で紙巻き煙草に火を点ける。物欲しそうにしていた曹瑛にも一本分けてやる。

「せや、めちゃくちゃ怪しいやろ。これは国家転覆の陰謀やと睨んでる」

 劉玲は無精髭の伸びた顎を撫でながら不敵な笑みを浮かべる。


「はっ、明美がいない」

 神妙な顔で煙草を吹かしていた榊が動揺し始める。足元に置いた籠に入れていた亀の姿が見当たらないのだ。

「籠の中にいた亀か、食料に逃げられたな」

「ば、馬鹿を言うな、明美は家族同然だ」

 軽口を叩く劉玲に、榊は真顔で言い返す。榊の剣幕に劉玲は身を引いた。


「あそこだ」

 曹瑛が池の畔の石を指差す。陽光の下、気持ち良さそうに甲羅干しをしてる明美の姿があった。榊はほっと胸を撫で下ろす。

 それも束の間、大きな鴉が舞い降りて明美をつつき始めた。明美は顔と手足を引っ込めて防御している。

「この野郎っ」

 榊は刀を手に欄干に脚をかけ庭に飛び降りる。鴉は賢い。固い外殻を持つ獲物も鋭い爪で掴み上げて高所から落とし、割れた外殻の隙間から中身を啄むのだ。


 曹瑛は扇子を取り出し、刀子を構える。鴉の爪が明美を掴もうとした瞬間、池から勢い良く飛び出した小雪が鴉の腹に頭突きをした。鴉は恨めしげに一声鳴いて空に飛び去った。

 榊は安堵し、その場に膝をつく。

「助かった、礼を言うぞ」

 律儀に小雪に感謝した。曹瑛は扇子を帯に差した。小雪は明美に興味を示し、周囲をくるくると歩き回っている。明美は出しかけた顔をひょいと引っ込めた。


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