第27話 青水晶の洞窟

 聳え立つ針葉樹の森を抜けると、荒削りな岩肌の断崖が立ち塞がる。断崖の麓には巨大な洞穴が口を開けていた。開口部は広いものの、道は細く曲がりくねっているらしく奥行きが読めない。

「そうだ、蝋燭を持って来た」

 伊織が簡素な燭台に蝋燭を差す。

「宵月茸とやらがここにあるのか」

 榊が火打ち石で蝋燭に火を点ける。


「採取に来たことがある。もう随分前になるが」

 宵月茸が揃えば皇帝の命を救う霊薬が完成する。冤罪で牢に囚われている華慈の願いだ。曹瑛は洞穴に足を踏み入れる。

 曲がり角を二度通過すると、もはや太陽の光は届かない。伊織の手にする燭台の火だけが心許ない道標だ。


 洞穴の中は鳥肌が立つほど気温が低い。天井から滴る水滴を頭上に受けて伊織は甲高い悲鳴を上げた。揺れる蝋燭の炎が武骨な岩壁に不気味な陰影を落とす。

「まるで星空みたい」

 高谷は天井を見上げる。炎の光を反射して岩が煌めいている。

「この辺りの岩には水晶が含まれている」

 曹瑛が足元に転がっている手の平大の石を拾い上げ、壁に叩きつけてかち割った。真っ二つに割れた石の内側には空洞があり、透明な水晶が形成されていた。


「わあ、綺麗だ」

 高谷は曹瑛から石を受け取り、まじまじと見つめる。外側はただの石ころなのに、中にはこんな美しい水晶が育っていることに驚きを隠せない。

「ほう、晶洞石か。石の中に地下水が入りこみ、長い年月をかけて作られるという」

 榊も実物は初めてらしく、高谷の手の中の晶洞石を興味深く覗き込む。高谷はひとしきり晶洞石を眺め、大事に巾着にしまい込んだ。高谷は自然の美を愛する豊かな感性を持っている。伊織は高谷が絵師を目指しているという話していたことを思い出した。


 洞穴は天井からつららのように垂れ下がる無数の鍾乳石に阻まれ、いよいよ閉塞感を増す。上背のある曹瑛と榊は頭上を気にしながら進む必要があった。

 隘路の先から仄かな光が差している。光は海のような青さを纏っている。洞窟の出口が近いのだろうか。

「一体なんの色だろう」

 道が突然開けた。そこはまるで宮殿の広間のような高い天井をもつ空間だった。伊織は思わず息を呑む。


 何万年もの月日をかけて形成された鍾乳石が広大な天井を支えている。湧水が滴り落ちる音が音叉のように洞窟内に響き渡る。

 驚くべきは巨大な剣のような水晶が天井を突かんばかりに無数に伸びている。不思議なことに水晶は美しい青色の光を放っていた。


「青い水晶なんて初めて見た」

 高谷は目の前に広がる幻想的な光景に心を奪われている。

「これは水晶の色ではない」

 曹瑛が伊織から受け取った燭台の光で水晶を照らす。水晶は無色透明に変化した。

「どういうことだ」

 榊が眉を顰める。

「水晶の向こう側にいけば分かる」

 曹瑛が水晶の向こう側を指差す。縦横無尽に成長した水晶が幾重にも折り重なり、奥への侵入を拒んでいる。


 伊織が先程拾っておいた晶洞石を水晶にぶつけてみる。石はあっけなく割れて足元に転がった。

「かなり硬いよ。壊すのは難しそうだ。どこかに抜け穴でもあるの」

「以前来た時は通り抜けることができた」

 曹瑛が言うには、水晶が育ったためにかつての抜け穴が無くなってしまったという。よく見れば、周辺に折れた剣や斧が打ち捨てられている。ここへたどり着いた者たちは水晶の堅固な壁を破れず、諦めて立ち去ったのだ。


「榊、お前のその刀はお飾りなのか」

 曹瑛が榊に挑発的な視線を投げかける。

「なんだと」

 榊は曹瑛を射抜くような目で見据える。しかし、曹瑛の意図に気づき、腰に差した太刀を手に取る。

「天陽国の刀は特別な錬成法で作られており、その切れ味は天下に並ぶものはないときく」

「そうだ。その刀の力を真に引き出すのは手にした者の胆力だ」

 榊は太刀を抜く。美しい波紋を描く刀身が青い光を反射して煌めく。


「この硬い水晶を斬るなんて、そんなことできるのか」

 伊織が驚きの声を上げる。

「刃がなまくらになる危険もあるよ」

 そうなると替えの太刀はない。天陽国の刀と比べると遼河国の剣は鈍器のようなものだ。この先の旅に支障が出ることを高谷は心配している。


「おもしろい、試してみよう」

 榊は脚を踏みしめ、太刀を構える。水晶の構造を観察し、狙いを定める。瞼を閉じ、呼吸を整え描く太刀筋を想定する。深く息を吸い、呼吸を止めた。榊の緊張が伝播し、伊織と高谷は固唾を呑んで見守る。

「はっ」

 目を見開くと同時、気合いと共に袈裟懸けに太刀を振り下ろす。透明な金属音が洞穴内に響く。

 

 榊は振り下ろしたまま構えを解かない。額から汗が一筋流れ落ちる。目の前の水晶は微動だにしない。榊は刃こぼれした太刀を見つめ、険しい表情で奥歯をぎりと噛む。

「榊さん、こんな硬い水晶を斬るなんて無理だ」

 高谷は榊に縋る。これ以上太刀を振るえば刃が折れてしまう。

「離れろ」

 腕組をしたまま唇を真一文字に引き結んでいた曹瑛が後ずさる。榊も高谷を連れて大きく引き下がる。伊織も慌てて巨大な鍾乳石の背後に身を隠した。


 榊の太刀筋をなぞるように水晶の根元に亀裂が入っている。そこから自重でゆっくりと傾いてゆき、均衡を崩して倒壊した。それを契機に折り重なった水晶が次々とからくり仕掛けのように倒れてゆく。洞窟内に雷鳴のような轟音が幾度も響き渡る。

「す、すごい。本当に水晶を斬ったのか」

 伊織は目を見開く。

「ふん、大したものだ」

 曹瑛は珍しく素直に感心している。

「見くびるな。しかしここまでうまくいくとは思っていなかった」

 榊は不敵な笑みを浮かべる。


 足元一面が水晶を散りばめた絨毯と化している。気をつけて歩かねば足を傷つけてしまう。水晶の封印の先へ進むと、青い光が濃さを増す。

「こ、これが宵月茸」

 伊織が口をぽかんと開けたまま洞窟の天井を見上げる。岩壁に張り付いた茸が青い燐光を放っている。

「その名の通り月光のようだ」

 高谷は美しい光景に恍惚としている。


「宵月茸が光るのは虫を集めて胞子を運ばせるためだという。花の蜜と同じだ」

 曹瑛は宵月茸を採取する。

「多くは持って帰れない。採取後の宵月茸は数日で光を失う。そうなると効能が無くなる」

 今回の調合に必要な量を巾着に詰めた。

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