第31話 烏鵲楼談義

 夕暮れ迫る烏鵲楼では旅の仲間たちが鳳桜宮へ出向いた曹瑛の帰りを待っていた。店主の李海鵬が労いにまかない飯を用意している。榊と高谷は早速一杯始めていた。遼河国の国民酒ともいわれる老琴酒だ。芋類を原料とした蒸留酒で酒精は相当強い。

 観音開きの格子扉が開く。残照の影を背負ってやってきたのは運び屋をしている孫景だ。その眉間には深い皺が刻まれていた。


「瑛さんが捕らわれたなんて、どうして」

 孫景から事情を聞いた伊織は義憤に拳を握りしめる。

 曹瑛が気まぐれに面倒を見ていた企鹅ペンギンの小雪が不穏な気配を察知したのか興奮して伊織の周囲をぐるぐる歩きまわっている。


「毒蜂事件の犯人に仕立てるとはずいぶん乱暴だな」

 榊も苛立ちを露わにして巻き煙草に火を点ける。とんだ茶番だ、と煙を吐き出す。

「さらに重いのは皇帝暗殺容疑だ。華慈が依頼した霊薬は致死性の劇毒だと言い張っている。素材集めに協力した曹瑛も同罪だ」

 孫景はやり場のない怒りに奥歯をぎりと噛みしめる。


「蠱術師を捕縛してから曹瑛さんが囚われるまで半日と経っていない。話ができすぎてるよ」

 そして、曹瑛が霊薬の素材を華慈に渡すのを阻止している。高谷は始めから仕組まれていた可能性を指摘する。

「行く先々で蠱術師に待ち伏せされたことも関係がある」

 旅の蠱術師たちは霊薬の素材を手に入れることを阻止できず返り討ちに遭った。最後の強硬手段に出たように思える。伊織の言葉に榊も頷く。


 格子扉が開き、新しい客人がやってきた。艶やかな黄金色の髪を撫でつけた長身の男だ。 

「英臣じゃないか、まさかここで会えるなんて、今日は最高の日だ」

 大仰な身振りで喜びを表現する。豊かな感情表現は翠星国のお国柄のようだ。

「お、おう。ライアンか」

 親愛表現の一貫とばかり抱きつこうとするライアンを榊が制する。高谷は面倒臭い男の再来に小さく溜息をつく。


 ライアンは商隊を率いて白鷺帝に謁見にやってきたが、面会叶わず董正康にあしらわれたと肩を竦める。

「夜会まで時間を持て余していたんだ。この烏鵲楼では美味しい茶が飲めると聞いてね。そう言えば、美しい彼はどこにいるのかな」

 ライアンは曹瑛の姿を探す。

「ライアン、それが」

「なんということだ、曹瑛が」

 伊織から曹瑛が無実の罪で捕らわれたことを聞き、ライアンは端正な顔から色を失う。


「邪魔するで」

 通用口から滑り込んできた劉玲が椅子に腰を下ろし、軽やかに脚を組む。

「曹瑛のことは知ってる。すぐに手出しすることはできんはずや」

 劉玲は不機嫌そうに無精髭を撫でる。口元から笑みが消え、真剣な眼差しは深い思慮が窺える。


「白鷺帝を救う霊薬を調合できるのに、何故瑛さんを捕まえるんだろう」

「わからないか、白鷺帝が復活すると都合が悪いんだ」

 榊は長く伸びた灰を落とす。

「白鷺帝に蠱呪をかけている奴にとって蠱呪返しは脅威だろうな。術が強大なほど蠱呪返しの威力は大きい」

 孫景は新しい煙草に火を点ける。

「皇帝の命を救う霊薬を調合でき、蠱術にも見識が深い曹瑛が脅威になった、ということや」

 劉玲はもくもくと蔓延する煙を手で振り払う。


「董正康という男が皇帝の後見人として幅を利かせている。どう考えても越権行為だが、背後に軍部が控えており誰も文句が言えないようだ。」

 ライアンは玉座に皇帝の如く座る腹黒い男の顔を思い出す。

「軍を率いているのは黄維峰だ。今回の曹瑛捕縛も奴が指揮していた」

 それに、と孫景は続ける。

「董正康は怪しげな女を宮中に引き入れていると聞いている。不気味な女で顔に蝶の痣があるとか」

 蠱術返しに遭ったものは身体に呪紋が現れると聞く。顔にくっきり出ているとなれば相応の強力な術をかけたことになる。


「白鷺帝が死ねば得をするのは誰だろう」

 それまで考え込んでいた高谷が顔を上げる。

「白鷺帝には子が無い。後継者として有力なのは雨燕。彼の従弟に当たる年端もいかぬ子供だ。今よりも後見人の発言力は高まる」

 孫景は鳳桜宮の事情通だ。この背景から董正康が裏で糸を引いているという線は濃厚だ。

「摂政気取りの董がさらに権力を強めるか」

 ライアンは面白く無さそうに目を細める。交易条件はさらに悪くなることは明らかだ。 


「しかし、奴がなぜここまで権力を持つ。どう見ても人望があるようには見えない」

 ライアンが首を傾げてみせる。

「董正康は古くから仕官しているのか」

 榊が孫景に訊ねる。

「いや、無名の下級官吏だったが、昇進は早かったようだ」

 榊の提案で董正康の素性を洗ってみることになった。

 

「白鷺帝も危険だ。蠱呪も瑛さんのせいにしてしまえば一気に呪い殺すこともできる」

 国家転覆の大それた陰謀に伊織は青ざめる。

「口封じで曹瑛は生かしておかないだろうな。そもそも皇帝暗殺を企んだとなれば極刑が待っている。理由はどうとでもつく、って訳だ」

 孫景は苛立ちを紛らわせるように灰皿で煙草を揉み消した。


「瑛さんを助けよう」

 伊織は鼻息荒く拳を握り絞める。師のための霊薬を調合してくれた恩義だけではない、曹瑛は苦楽を乗り越えた友だ。

「あいつのことは気に食わないが、一宿一飯の恩義がある」

 軽口を叩きながらも榊の瞳は怒りに燃えている。その気迫に高谷は息を呑む。道義を違えた奴らに曹瑛をいいように利用されたことが許せないのだ。


 机を囲んで男たちが曹瑛救出の誓いの盃を掲げる。

「曹瑛はええ友達を持った」

 劉玲は感極まって涙ぐむ。その姿から曹瑛の普段の友好関係が垣間見えた。

「しかし、伊織くん、君はええ面構えをしてる」

 劉玲がまじまじと伊織の顔を覗き込む。

「どういうことですか」

「俺に考えがある」

 劉玲は皆の顔を見回し、訝しむ伊織に満面の笑みを向けた。

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