第32話 夜会の舞女

「天陽国の刀は斬れ味の凄まじさはもとより、美術品としても価値があるという。見せてもらえないか」

 ライアンが榊の持つ太刀に興味を示す。青漆で丁寧に塗りを重ねた鞘は光の加減で深青に発色する。真鍮の留め具は緻密な装飾が施され、鍔には孔雀の文様があしらわれている。

 藍染の組紐が巻かれた柄を手にとり、榊が抜刀すると、魂を込めて鍛えられた刀身は美しく輝く。


 ライアンは陶然と太刀を握る榊を見つめている。

「凛として美しい。極東の美神だ」

 刀を見せろと言っておきながら榊に見惚れている。高谷は惚気るライアンの横腹を小突く。

「刀身が欠けている」

「ああ、こいつはなまくらだ。そのうちここから砕けるだろう」

 洞窟で水晶を斬ったときにできた傷だ。己の精神力の未熟さ故、榊は苦々しい表情で太刀を鞘に収める。


「天陽の魂鋼と刀鍛冶がいれば鍛錬ができるかもしれないが、難しいだろうな。遼河にやってきてこの千都でも素材を目にしたことがない」

「もしや、その魂鋼というのは黒光りする石じゃないか」

 ライアンは董正康の返礼品にあった無骨な鉱石を思い出す。あの鉱石は天陽国からの朝貢品だった。 

「なに、もしや手に入るのか」

 価値の分からぬ董正康は魂鋼を投げうったが、今まさに榊が必要としている。魂鋼を鍛える技術は天陽国にしかない。ライアンは魂鋼を榊に譲ることにした。


「恩に着る」

「英臣の役に立てるなら本望だよ」

 ライアンは屈託のない笑みを浮かべる。榊に貸しを作っておこうという算段だ。

「都を見下ろす丘に洒落た酒楼がある。星を眺めながら君と飲む酒は最高に甘美だろうね」

 約束を取り付けようと榊に迫る。榊は迷惑そうに生返事をしながら煙草に火を点ける。


「魂鋼が手に入ったとしても、それを打つ刀鍛冶を探さないと」

 高谷が強引に割り込み瞬時に話題を変えた。高谷はライアンに挑戦的な眼差しを向ける。ライアンは平然と微笑みを返す。その目は笑っていない。

「そういえば町外れにある廃寺に住む男が夜な夜な金槌の音を響かせていると聞いたことがある」

 孫景は都の人々の間で一時期そんな噂が広がっていたことを思い出す。怪談話として不気味がられており、誰も真相を確かめていない。


「大柄な異国の男だという話だ。黒ずくめで金色の髪を逆立てている。鬼じゃないかという者もいる」

「面白い、会いに行く価値があるかもしれんな」

 榊は太刀を見つめ、望みをかける。


***


 翠星国の使者を歓迎する宴が始まった。鴻命殿は天井から薄衣が張られ、極彩色の行燈の明かりが幻想的な雰囲気を醸し出す。使節団筆頭であるライアンの正面には董正康、下座に向かって高級官吏が座る。

 目の前には大きな膳が置かれ、美しい器に趣向を凝らした料理が並ぶ。千都は美食の都とも呼ばれ、贅を尽くした宮廷料理は一流の料理人たちが七日前から寝る間も惜しんで作る傑作だ。


「このような宴を開いていただき、光栄です」

 ライアンは恭しく頭を下げる。翠星国にはそういった習慣はないが、この国での儀礼だ。

「遠路はるばるご苦労、これからも両国の発展を祝して」

「乾杯」

 董正康が金の杯を掲げる。


 楽師たちが雅楽を奏で始めた。二胡の優美な音色に合わせて赤色の絹を纏った女たちが舞い踊る。面紗で口元を隠す代わりに目元を際立たせる化粧を施しており、神秘的な雰囲気が漂う。

 流麗で優雅な舞踏だ。ひとり、覚束ない動きの女がいた。ぎこちない動作で一呼吸遅れを取っている。杯を手にした董正康が女の不細工な動きに目を留める。


「董殿、貴国と我が国の交易路に生活する砂漠の民が面白いものを作っていた。木の実から搾った希少な油だ。髪や肌に塗ればたちどころに潤い、飲めば老化を十年遅らせることができるという」

「ほう」

 ライアンの話に興味を惹かれた董正康は女から興味を失った。

「翡翠と交換で譲ってもらえないかと頼んだが、商談は成立しなかった」

「砂漠の民は質朴な連中だ。宝石の価値などわからんのだ」

 董正康は鼻を鳴らして嘲笑する。


 女が振り返り、ライアンに目配せする。ライアンも片目を閉じて口角を上げる。曲調が変わり、赤色の衣装の女たちは退場していく。続いて入れ替わりに紺碧の綺羅を纏う女たちが踊り出す。


 楽屋手前で立ち止まった女が面紗を剥ぐ。そこには高谷の顔があった。

「結紀、董正康の顔は把握できたか」

 朱塗りの柱を背に体重を預け、榊が高谷を出迎える。

「うん、特徴を捉えたよ。底意地の悪い顔だ。背後に控える黄維峰の面構えも覚えた」

「よくやった」

「ライアンが助け船を出してくれた」

 高谷は気恥ずかしそうに頭をかく。余興の舞踏組に無理を言って紛れ込ませてもらったのだ。二人の悪人の顔は覚えた。これで奴らの悪事が暴ける。


***


「優雅なもんだ、心配して損しだぜ」

 曹瑛を訪ねて鳳桜宮の地下牢に出向いた孫景は、牢番から居場所を聞いて拍子抜けした。曹瑛が捕らわれているこの場所は皇帝の離宮の一室だ。丸窓の外には朱鷺山を借景にした美しい遼河庭園が広がり、遠くから涼やかな琴の音が聞こえてくる。

 芳しい香が焚かれ、豪奢な調度品が揃う部屋で曹瑛は悠々と茶を淹れていた。


「気に入らない。今もその辺に見張りが潜んでいるはずだ」

 曹瑛は椅子に腰掛けて脚を組み直す。その堂々たる態度はどう見ても囚人には見えない。

「こんな待遇を受けるなんて、一体どういうことだ」

「白鷺帝の計らいだ」

 曹瑛は孫景にも茶を勧める。手にした器は質の良い白磁で、牡丹の花が描かれている。部屋には普段町中で見ることのない高級茶葉が届けられていた。


「こいつは差し入れだ」

 孫景が木箱を差し出す。蓋を開けると粉をまぶした白い団子が並ぶ。艾窩窩はもち米で作った団子の中に木の実や砂糖漬けの果実を入れた千都名物の伝統的な菓子だ。

 曹瑛はひとつつまんで口に放り込む。


「お前を救おうと皆で策を巡らせている」

「俺にもやらせろ」

 曹瑛は自分が仲間はずれになっているこの状況が面白くないらしい。大人気なく孫景に突っかかる。

「お前がここから逃げたら面倒なことになる。今は大人しくしていろ」

 孫景は慌てて曹瑛を宥める。仕方なさそうに頬杖をついた曹瑛は二つ目の艾窩窩をつまみ上げた。

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