第37話 辟邪と天禄
「その者たちは千都から追跡者よ。策を知られたからには生きて返すわけにはいかない。殺せ」
青花が鋭い声で命じる。
天禄が地を蹴って跳び、柳葉刀を榊目がけて振り下ろす。榊は弧狼の背でそれを弾く。金属のぶつかる甲高い音が響く。榊は柄を持つ両手に響く手応えに目を見張る。獅子堂の鍛えた魂鋼は剛健な魂を得て武と美を備えた芸術品に昇華した。
天禄は榊を威嚇するように柳葉刀を振り回す。重量級の鉄が風を切る。蛇のうねるような耳障りな音が鳴る。
「大道芸が達者だな」
榊は柄を握り直し、霞の構えを取る。
「その生意気な首と胴を切り離して、軽口など叩けないようにしてやる」
天禄は柳葉刀を横に薙ぐ。榊は背後に飛ぶ。獲物を逃がした天禄はさらに踏み込んで榊を追う。
「この鞭は変幻自在、肉塊になりたいか」
辟邪は九節鞭をしならせる。棒状の金属を鎖で連ね、まるで鞭のような攻撃ができる恐ろしい武器だ。革の鞭と違い、金属の打撃を一度でも受ければ立ち上がれないほどの痛手を負うだろう。
「おもしろい、不足なしだ」
獅子堂は両手につけた拳鍔をぶつけて打ち鳴らす。天陽の上質な魂鋼の奏でる心地良い音だ。
辟邪が九節鞭を頭上で振り回す。右足を軸に身体を反転させ、九節鞭を放つ。獅子堂は襲い来る先端を拳で牽制する。辟邪は右足を引き、重心を落として九節鞭で獅子堂の足を払う。
「くっ」
獅子堂は右側に跳び、辟邪の死角を狙う。辟邪は背面跳びで距離を取り、瞬時に九節鞭の中心を握り代え、半分の長さにして振る。
「間合いはどうとでもなる」
辟邪は黒髪を掻き上げ、口角を歪める。獅子堂は形の良い眉を顰め、目を細めながら頬に流れる血を拭う。拳の間合いに踏み込んでも、九節鞭の攻撃は油断ならない。
天禄は榊に猛攻をかける。柳葉刀が空を切り、榊は刃を受けながら後退していく。
「ぐうっ」
柳葉刀が榊の腕を切り裂く。鮮血が腕を伝い、足元に血が滴り落ちる。
「榊さんっ」
廃屋に隠れていた高谷は我を忘れて飛び出す。
「平気だ、下がっていろ結紀」
榊は高谷を制する。額からは脂汗が滴り落ちている。
「貴様の連れか。貴様を切り刻んだあとに存分に楽しんでやろう」
天禄は高谷に劣情を込めた温い視線を向ける。高谷は嫌悪感に顔を歪める。
「この腐れ外道が」
榊は血に濡れた手で柄を握り直す。
「その立派な太刀はお飾りか。俺の剣技の前に反撃する間も無いだろうな」
「剣技だと、笑わせるな。お前は鈍器を振り回しているだけに過ぎない」
榊が目を細め、弧狼を身体の中心に据えて金剛の構えを取る。
「舐めた口を利く余裕があるのか」
天禄は哄笑しながら柳葉刀を榊の頭上に振り下ろす。榊の眼光が煌めく。
「な、何っ」
榊は初めて弧狼の刃で天禄の攻撃を受けた。天禄は柳葉刀を振り下ろすことができない。気合い一閃、榊は丹田に気を溜め、弧狼を引く。天禄の柳葉刀が半分に断ち切られた。その切れ味、まるで竹を斬るようだ。
「なぬ、うおおっ」
天禄は半分になった柳葉刀を見て驚愕する。こんな恐ろしい斬れ味の太刀を見たことがない。研ぎ澄まされた弧狼には傷一つついていない。
榊は弧狼を切り上げる。天禄の胸元が裂け、血が滲む。平衡を崩した天禄に榊は容赦なく斬りつける。
「ひぎゃあっ、やめてくれ。降参だ」
天禄は着物をずた襤褸にして血塗れで地面を這う。
辟邪の九節鞭が獅子堂の脇腹を撃つ。獅子堂は衝撃に顔を歪める。
「ふふふ、肋骨を粉砕したか」
辟邪は余裕の笑みを浮かべ、九節鞭を振り回す。さながら蛇のようにしなる鞭の動きは先が読めない。獅子堂は背後に飛び、間合いを取る。
「逃げても無駄だ。お前は全身の骨を砕かれて死ぬ」
辟邪は九節鞭を振る。逃げ腰に見えた獅子堂は真っ直ぐ飛ぶ鞭の軌道を読み、上体を反らせる。引き戻しの瞬間を狙い、先端を掴んだ。
「この機を待っていた」
獅子堂は後ろ足を踏みしめ、両手で九節鞭を掴む。
「うぐぐ、放せっ」
辟邪も九節鞭を引くが、獅子堂の剛力には叶わない。辟邪は武器を奪われまいと九節鞭を肩にかけ、必死で引く。獅子堂はぴんと張った連結部を拳鍔で破壊した。
「な、何い」
辟邪は目を見開く。獅子堂は大股で間合いに踏み込み、辟邪の腹に拳鍔をめり込ませる。
「ぐふっ」
辟邪は一気に顔面蒼白になり口から鮮血を迸らせ、その場に膝をつく。獅子堂は足を振り上げ、真上から辟邪の脳天目がけ振り下ろす。辟邪は白目を剥いてその場に昏倒した。
「勝負はついたようだな。お前も終わりだ」
「た、助けてくれ」
榊は天禄を追い詰める。尻もちをつき、血塗れの天禄は命乞いをする。
「お前は誰かの命乞いを聞いてやったことがあるのか」
榊は弧狼の切っ先を天禄に突きつける。天禄は陽光に輝く刃に戦慄し、息を呑む。
「ぐぐっ」
榊は胸元に突き立った矢を呆然と見つめている。屋根の上に伏兵がいたのだ。
「榊さんっ、嘘だ、そんな」
高谷は取り乱し、榊に駆け寄る。榊は震える手で矢を引き抜く。その顔は憤怒に燃えていた。
「どうして、矢が胸に刺さったのに」
矢は確実に心の臓を射貫いていた。高谷は榊を見上げる。榊は胸元から石を取りだした。いや、石亀の明美だ。明美の甲羅に矢傷が刻まれていた。
「明美さんが、榊さんを守った」
高谷の表情が明るくなる。明美は気恥ずかしそうに顔を引っ込めた。
「明美、済まない。だが、礼を言う」
榊は明美を大切に胸元にしまい込んだ。高谷はほっと胸を撫で下ろす。
「ふざけやがって、殺してやる」
天禄が立ち上がり、折れた柳葉刀を振り上げる。
「この変態野郎」
高谷は腰につけた筆壷から絵筆を取り出し、天禄の顔面に振る。墨を目に食らった天禄は視界が遮られ、よろめく。高谷は天禄の股間を思い切り蹴り上げた。
「あぎゃっ」
天禄は情けない顔で股間を押さえてゆっくりと蹲る。そのまま気の抜けた呼吸で横たわったまま涙を流している。
突如、天から無数の矢が降り注ぐ。廃屋の上から伏兵が矢を射かけたのだ。
「うわああっ」
高谷は身を屈める。榊は弧狼で降り注ぐ矢を捌く。獅子堂も拳鍔で矢をへし折っていく。兵が次の弓を引こうとする。
「くそ、このままじゃ食らっちまう」
榊が舌打ちをする。ここは廃屋以外に身を隠す場所はない。竹林に逃げ込むには距離がある。兵は弦を引き絞り、矢を天に向ける。
榊は弧狼を構える。獅子堂も重心を落とし、矢の軌道に集中する。
「うぐっ」
「ぎゃっ」
次の瞬間、兵たちが廃屋の屋根から次々に転がり落ちていく。
「なんだ、どうした」
榊が廃屋の屋根を見上げると、そこには黒い長袍に身を包んだ曹瑛が腕組をして堂々仁王立ちしていた。曹瑛は最後の弓兵を扇子で殴りつけ、屋根から蹴り落とした。
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