遺志 Ⅳ
律儀にホールを通過するつもりもなく、ピラミッドの外壁を駆けて彼女の呼ぶ方へ。
広場だけでなく、北側以外全てを一望できるカフェテラス。シシーラと共に食事を摂るはずが、すれ違いにより医務室へ連行された過去が思い出される。
ここには誰もいない。終末の証明とも言える陰気な空に近いなら誰であれ避けて当然。活気に溢れたサンズアラの国色など今や夢の話。
当然、彼女の姿もここにはない。
溜め息は、逸る自身の必死さを客観視してしまったから。
「シシーラ」
その名前を口ずさむ。
彼女の死後、俺は本来在るべき場所への回帰に成功した。ここまで来たのだって、それより前の段階であれば断っていたかもしれないほどの充足を取り戻しているから。
――シシーラさまが死んで良かったな。
あの言葉に怒りを覚えなかったのは、俺が復活するためには彼女という居心地を取り除く必要があると分かっていたからだ。
オアシスへ誘われ、荒んだ心を潤し、満たしてくれたシシーラの死に……そこまで情動を駆り立てられることはなかった。
それは、失うことに慣れているからだとか、自分が無情な男なのだと思い出したからではない。
生きているか、死んでいるか。そんなことはどうだっていい。
まだ終わっていない。
世間では到底通用しないこの倫理観を正当化してくれるように、死したはずの彼女がやる気満々のご様子で声を届けてきた。
シシーラは死んだ。セーフハウスに残る彼女の遺体が動き出すこともない。
しかし、俺が知らないだけで、この国には本来あり得ないことが確かな熱を以て現実となるための仕掛けがいくつも仕組まれていた。
全身を駆け巡る丁度良い冷気により、今もそれを思い知らされている。
<ザーレ、よく来てくれました>
亡霊か、神の如き概念か。シシーラはここにいる。
周囲を見渡すのは無意味かつ無粋だと思い控えた。頭上の地獄絵図に構わず目蓋を閉じて、彼女が信じたように、こっちも届くと信じて言葉にする。
「真実なんてどこにもない。どうして死んだはずのあんたが俺に声を届けられるのかなんて、あんた自身よく分かっていないはずだ。ただ特別な存在だったというだけの話で」
<その通りです。私は幽霊のように彷徨っている状態なのかもしれませんし、あるいは神の時代の名残としてこのような奇跡を繋げられているのかもしれません。サンズアラの民を守るのが私たちの使命です。特に私とエリーネは王族唯一の双子。コバルトブルーの瞳を継承するのと同時に、あの子が私の魂をサンズアラに留めてくれているのかもしれません>
「つまり、エリーネが生き続けている限り、あんたの魂はサンズアラを守護し続ける?」
<いえ、そこまでは……>
揺らぐ至高の玉体が目に浮かぶ。本当に偉い存在になってしまったようだが、心はシシーラのままらしい。
「疑うつもりはない。別嬪の双子なんてもんが王族の間に生まれてくるのなら、死人が口を挟んでくる事もあるだろう。むしろあんたの方が困惑しているんじゃないのか?」
<外敵によりサンズアラの安寧が脅かされる時、古き女神の加護が健全なる民たちの未来を守るために起動する。……それは言い伝えであり、約束などなかったはず。それでも私は、今こうして貴方に言葉を届けることができる。奇跡のような時間です>
「奇跡……」
苦手な言葉を俺のせいで死んだ女に嘯かれる。
<認められませんか?>
「別に。今はその古い言い伝えと、新しい神の狙い通りとなり、こうなっている。虫唾が走る程度だから放っておいてくれ」
女神の加護がサンズアラを守る。
それは急展開ではなく、オアシスで聞かされた既知の情報だ。
まずいことに、今のところ信じる者が救われてしまっている。やはりこの国の風は俺には息苦しい。
信じる力とやらで終焉をどうにかしてくれるのであれば何よりだが、奇跡を以てしてもまだ足りないから俺をここへ呼んだのだろうしなぁ。
<あっ!ザーレ、いま面倒と思いましたね!>
姿なき者に容易く見抜かれ、視野を再起動する。こんな時間も懐かしい。
<イシュベルタス殿がこれほどの大魔法を用意していたように、私たちにも魔法の備えがあります。火と水、サンズアラの象徴とも言える二属性。これは私自身に扱うことはできません。もう実体がありませんから。このようなサンズアラ崩壊の危機に限り、認めた相手に女神の加護として力を付与し、その脅威を打ち破ってもらうというものなのです>
「認めた相手、ハヤブサ役か」
ここにいないシシーラが頷いたくらいの間。
「今更そんなしけた魔法であのデカブツを排除できると思うか?」
<貴方次第です。私の覚悟はできていますから>
「偉く落ち着いているな。そも、あんたはイシュベルタスがこれほどの終末装置を練っていたことに気付かなかったのか?」
<まず、私が貴方の体と剣にありったけの魔力を注ぎます。貴方は飛翔して太陽に接近、これをぶった斬ります」
「そんなやれる前提で言われてもですね」
<あの太陽はお任せしますが、破壊されて振ってきた毒雨くらいなら私が浄化してみせましょう!>
「聞けや!誤魔化してんじゃねぇぞ!」
<ああもう、時間がないのです!ザーレ、一緒に戦ってください!>
こいつ死んで遠慮しなくなったな!しかも相当ハイになっている。
誰のせいでこんな女に育ってしまったのかと考えて……すぐに思考を放棄した。
試しに街を見下ろすと、さっきまで躊躇いがちだった民衆が広場に集まってきていた。それに目を逸らし、逃避癖から天を見上げた。
暫し目蓋を閉じた間に毒玉はサンズアラに接近していた。空を仰げば、視界の大半が球体に支配されるほどに。
時間がないのは分かり切っているし、シシーラの賭けに乗る以外に道はないのだろうが、一つだけ腑に落ちない点があり、それを解いてもらわない限りは主の駄々でもシカトする他ない。
それも俺の失念だった。
シシーラは俺の人生を知っている。俺が戦いの世界へ帰りたがっていたことも。
言わずとも伝わること。それを、死してなお彼女は伝えにきたのだ。
<私とエリーネの目元に痣があったでしょう?歴代の王族でも私たちにしかなかったもの。あれは私たちの代に災厄が訪れるのだと警告する印だったのかもしれませんね>
他に誰もいないテラスにて、シシーラと並び災厄の権化を見つめている気になる。
<そして、私たちの王政期に貴方が現れること、私が死んで幽霊か神のようなものへ化けることも、全て――>
「全て筋書き通りだったなんて言うなよ?」
<台本に踊らされる人生なんて嫌ですか?それなら……運命、ということにしましょう>
不覚にも笑ってしまった。それから何度目かの溜め息を吐き、「妥当な落としどころか」と降りた。
熱中できない上、負け癖も付いたのだろう。満足して逝った神に次いで、退場済みの女王にさえこのように言い包められてしまい、それでも不服にならない。
だが、負け犬になるつもりはない。
覚悟はできていると言ったが、それは俺があんたに問いたい文言だった。可能性があるのなら、やるに決まっているからだ。
だから、言葉にしてくれ。声が届くうちに、あの美しい眼で俺を射抜けよ。
そうでなくては、俺はあんたから貰った溢れんばかりの情熱を活かせない。
<ザーレ、お願いします……>
まだ言い返さない。
それに気付き、ハッとなる女神の顔が浮かび上がると、無自覚で繕ってきた面白くないフリを自然に卒業できた。
異邦より流れてきた凶悪犯の酔狂に当てられて、平和の国の
<ハヤブサ役など知りません。今も変わらず自由を愛し、そのために奔走する貴方へ依頼します。傭兵・ザーレ、私と共にサンズアラを守ってください!>
それは「無理しないでね」とか……「ザーレだけが悪いわけではないんでしょ?」とか……そんな温い励ましなどではなく、力技で不条理を打開してきた男が再び燃え上がるために必要な激励だった。
とにかく助けろ。好きにやっていいから。
そんな乱雑な願い事を、俺は半年以上も待ち続けてきた。
「報酬は?」
<特にありません。それに、これが終わったら国から出て行ってもらいますからね!>
惜しむ想いを胸に留めて俺の自由を許容した、俺の知る彼女の在り様を再現する言葉だった。
「良いだろう。引き受けた」
亡霊ごっこはもうやめる。本物に出てこられては恥ずかしい思い込みだ。
ただし、その本物様が、あの美貌には勿体ないくらいの、幸福の笑みを浮かべていそうだなんて妄想はやめられなかった。
「あの下品な太陽をぶった斬る。行くぞ……デルタ!」
<はい!>
返答の音には歓喜だけでなく闘気も感じられた。
その証拠に、俺の全身が突如として炎に包まれる。
全く暑くない。焼かれる気もしない。冷感の理由が判明した瞬間となる。
メラメラ唸り、背中に全長の倍長い翼が生える。
合図もなく両脚は地から離され、この身は飛翔。毒玉に下から頭突きするつもりかという突攻さながらの勢いだったので、すぐブチ切れてサンズアラ上空の旋回を指示した。
どいつもこいつも他人の心で遊び過ぎだ。イシュベルタスもあんたも、国の存亡に関わる問題なら先に伝えておけ!
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