一欠片のパッシオ Ⅰ
海のように広がる砂塵の山は、日の出と共に輝きを増し目を眩ます。
それが私たちの解散のサインでした。
僅かに入眠できたおかげで疲労が抜けた上、一日の始まりがサンズアラを囲う自然からともなれば、それだけで贅沢な気分になれます。
ザーレも口では何も言わずとも感動を覚えてくれているはずです。私だってこの場所から昇る朝日を拝むのは初めてです。今も高鳴り続ける胸の鼓動はきっと、私たちを明るい未来へ導く天の宝玉への感謝と畏敬によるものでしょう。
気温は分単位で上昇、白い外套が暑くなる。いつも通りの姿で木箱の紐を肩に掛け、外套と、短剣の破片を包んだ彼の羽織、それから赤く汚れた状態で返品された衣装とサンダルを積んで抱えます。
望んでやっていることですから構いませんけどね、別れるまでは手伝ってほしかったですよ。王家の独裁一色だった時代であれば、私が許してもみんなが許しませんよ。
……なんて陰気を発信するも、彼は気にする素振りもなく南門を目指してどんどん歩いて行きます。
気遣いのできない彼に呆れ、先を行くその背中に溜め息を吐きつつも、実は全く怒ってなどいません。
過去視を行使した私ですら知る由もない秘密があり、私はそれを教えてもらえないまま金髪黒衣の青年と決別することになるのでしょう。
それなら、せめてその時までは、彼の愛したミレイヤさんに倣い、手の掛かる大きな子供の世話をしてあげてもいいかなと思えるのです。便利な女だと舐められ、甘えてくるようであればやっぱり追放か、独房へ再収容しますけど、この時間があと少しで終わってしまうと分かれば進んで尽くしてあげたくなるのです。
いくつもの愛憎と陰謀渦巻く世界を渡り、果てには戦友のルーシャスさんから借り受けたハンドガンで最愛の女性を殺める結果となった、まだ二十歳の若人。
千人斬りの伝説だって、彼が戦闘狂だからではなく、冤罪のまま生き延びるために必要な処置だったのがほとんどで、自ら進んでブラックな依頼を引き受ける際も、良く言えば東の安寧を保つための汚れ仕事だった。
事実として彼はふざけ過ぎた罪人です。ちゃんと反省すべきですし、自由を制限されて当然の社会悪です。
でも、それだけじゃない。ザーレは心から信頼できる潔い男性だと確信しました。
ですから、帰る場所がどこにもなくて、サンズアラを離れた後もただ生きるためだけに旅を続けることになるとしても、私は変わらず彼の味方で在りたい。私のサンズアラを、決して癒えない古傷に寂びる彼をいつでも歓迎できる
出店で買ったと嘘を吐き着用するジャケットを重ね、ポケットに手を突っ込み歩く背中。カラスの一員と思われても仕方ありませんよ。
私としては彼の過去を視て、どこまでが悪意で、どこまでが仕方なかったのかを知った以上、不審はありません。私の全力と、ストレス発散も同然な乱舞を正面から受け入れてくれた彼に対して疑念は完全になくなりました。
悲劇のヒロインのミレイヤさん。ザーレには勿体なく、それでもやっぱりお似合いな二人。
貴女たちは互いの本心を確かめ合わずに別れる結果となりましたが、貴女の知らない場所で彼は、貴女を優先して立ち回ることが多くあったのですよ。きっと、ミレイヤさんも同じはずですけどね。
なので、この短期間で芽生えた他に例えようのない苦しみは、私の胸に縛り付けておきたいと思います。
享楽に興じながらも、これまで一度だって己を曲げることのなかった彼と、そんな彼が惚れ込んだミレイヤさん。二人の輪を乱すほど私は無粋ではありませんので。
――さようなら、ザーレ。
彼の耳には届かせない、微細な吐露でした。
出立の際には声を掛けてほしいと頼むも「今日は部屋に籠れ。信頼している人間以外との面会は全て断れ」と突き放されて、それが思慮の裏返しと分かってしまう私にザーレは目を細め、私も言い返すことを躊躇った。
理由は、彼がザーレだからです。一人で背負いたがる彼。『信頼』という言葉を嫌悪しながら、自分を信じた相手、恩義のある対象を厄介事に巻き込まないようにする癖を持つ彼に対し、知ったように口を挟むのは、私ではなく彼女でなければならないのです。
南門まで戻ってきました。
オアシスからここへ向かうまでの間、一夜を共にしたというのに私とザーレは言葉を交わさず、おそらく最後となる二人きりの時間は、サンズアラらしく何もないまま過ぎ去ってしまいました。
門番のデルタ……スールがいつも通りの笑顔で、本来内側にいるべき私たちを迎え入れてくれます。
いつもより遅い時間までここに残ってもらい、早朝には門番の職務に戻る逞しいスール。いつだって感謝を忘れたことはなく、ここからサンズアラの外側周辺を見回るのが日課となっている私としては彼と対面するのも同じく日課のはずなのに、いつもと変わらない彼の「おはようございます、シシーラ様」が酷く胸に刺さったのはどうしてでしょう?
先を行くザーレが、私がスールと挨拶を交わすより前に一言、二言、何か言葉を送っていました。先程の私と同様、ギリギリ聞こえない声量で。
ザーレは私を一瞥、それからサンズアラの奥へ進みます。また何かを隠したのです。
葉巻を貰いに行くとのことで、ザーレとはここでお別れです。
さようならとは言えず、タダで別れるのが嫌ならこれしかないと、彼が明かさないまま、私にも分からず終いだった、彼を形作る根底の動力源を確かめることにしました。
「ザーレ、最後に一つだけ教えてください」
彼は振り向かず、それでも立ち止まって話を聞いてくれます。
大きくて頼もしい……けど、実情を知れば強がりとも取れる、ジャケット一枚のワイルドな背中に問います。
終わってしまう。
そうと分かっていながら、彼の経緯を知り、その上で味方で在りたいと願うからこそ、彼の時間を無駄にさせたくありませんでした。
「私には貴方の感情までは読み切れません。ですから最後に、貴方の矜持とは一体何なのかを教えてもらえませんか?」
全てを失い、自らを亡霊として……それで、どうしてまだ自我を保っていられるのか。私たちよりも不幸で、凄惨な過去に苛まれながら、何故それほど誇らしく在れるのか。
こう尋ねるのは無粋の側なのでしょうね。戦場というルール無用の世界でこそ証明される彼の在り方について問うのは、彼が戦いを求め続ける限りは避けるべきと心得ています。
ですからいくらか勇気を振り絞って問うたのですけど……ザーレは少し間を置いてから「自分を疑わないことだ」とだけ残して、大通りから外れ、葉巻を求めて姿を消してしまいました。
自分を疑うな(信じろ)……と。
それは、戦友のルーシャスさんが自信を失くした際に放ったのと同じ言葉でした。
自らの尊厳を守るためだけではない。ザーレの優しさによる、友愛の念が込められた励ましの言葉だと私は思うのです。
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