ジョバイロ Ⅵ
命懸けの決闘として臨んだつもりはなかったが、とにかく決着はついた。
得物がなければやりようがない。このままミックスファイトに突入するのも悪くないが、それを俺から口にするようでは、元々無粋な方だった娘に『粋』を教えてしまった身として相応しくない。ここが引き上げ時だ。
「……ごめんなさい」
獣の闘志も狩人の戦意も今や過去。しおらしいシシーラ。慌てる素振りはなくとも紅潮は免れず、自然に俺から距離を取る。黙って恥じらう姿を鑑賞すると、それに気付いて余計に褐色の肌を燃やした。引っ叩かれるかと思うも大人しく、シシーラはその場で腰を下ろして正座した。既に全身が汗だくだ。下半身が砂に塗れようと構わないのだ。
「私にとってザーレは劇薬そのものです。私だってずっとサンズアラに籠っていたわけではなく、外国との交戦に参加して成果を上げた実績もあります。けどやっぱりザーレには敵いません。貴方やっぱり色々おかしい……」
「溜まっていたストレスを全て吐き出せたわけではないようだな。しかしな、正解なんていくら悩んだところで出やしねぇんだから、キリの良い落としどころを見つけて諦めた方が楽になれるぞ」
「ありがとうございます。おかげ様でいくらかスッキリできました。ただ、結局は何も変わっていませんけどね」
「あんたの尊敬するこの俺が言っているんだからもう気に病むな、もしくは俺のような死刑確定者でものうのうと生きていられるのだから落ち込むなんてアホらしい。どっちか好きな方を選びな」
「凄い割り切りですね。ザーレらしい。……ウフフ」
地面に倒れたまま首だけを起こして女神の微笑みを一見。
それはまずい。何よりイケる雰囲気というのがまずいが、無自覚なこいつの場合……イケるのか?
「えっと、短剣の破片を回収しなくちゃですね。どうしましょう……」
「それならこれを使ってくれ。少し汗臭いが、どうせ処分するつもりだったから丁度良い」
「えっ……ええ!?」
上体を起こし、羽織りを脱いで投げ渡す。上半身だけなら見慣れているはずも、シシーラのリアクションは案の定だった。
取り返しがつかない様の白装束に包むのが最適解だろうが、イシュベルタスよりも偉そうな目線で盤上を計るオカマ野郎の想定を一つでも外しておきたい狙いがある。
これにより、新しい旅の装いとなるそれも、置いてきた残り二つも一手先に着用できる運びとなる。
「これ、かなり高価な品ですよね!?」
「いいよ。代わりはある」
指で刺し示すこともせず立ち上がる。代わりにシシーラが口を開けたまま木箱の上に乗るジャケットを見つめた。
だが、片付けも後回しだ。そんなことよりも俺たちにはやるべきことがあるのだから。
「ほら」
「へ?」
動き出し手を伸ばすと、カクンと首を傾げられた。シシーラは理解が及ばないまま手を取り立ち上がる。手汗が酷いが、それを嫌に思うはずもない。シシーラ自身は恥じているようだが、その手を放さずに少し歩くと「これは何ですか?」と問うてきたので「水浴び」と答えて握力を強めた。
しかし、やはり底知れない女だ。すぐに抵抗する力が加わり、オアシスへの歩みを阻害されてしまった。
「なななななに考えてるんですか!?いえ、貴方はそういう男ですけど……それにしてもです!なに考えてるんですか!?」
「汗ばんだ体より綺麗な方が良いだろう。俺はどっちでもイケるし、結局は汗だくになるわけだがなぁ!」
強引に引っ張って楽園へ連行する。細腕ながら十分に力のあるシシーラも、消耗した今ではか弱い娘も同然!汗で滑らせないよう細心の注意を払う必要があるが、この戦いには勝たせてもらう。
「いやあああああっ!!不埒者!ミレイヤさんが悲しみますよ!」
「あいつは逆ギレすれば大丈夫だ。それより面倒なことにはならん」
「ふ……不純!いえ、それも知ってますけど!ミレイヤさんもきっと許すのでしょうけど!昨日の今頃スカベロ殿と……その……ああなったことも全部知ってますけど!……ハッ!ザーレ、まさかエリーネのこともそういう目線で……」
「射程圏内だとは思っている」
「前言を撤回します!もう帰ってください!東に!ちゃんと罰を受けて悔い改めなさい!」
「シシーラ、あんたに出来るのは過去を覗き見ることだけだ。時間を戻すことは出来ない。観念しな」
懸命に俺の手を剥がそうとするシシーラだが、咄嗟にその力が弱まった。それを好機とは捉えず背後を窺うと、俯く彼女がそこにいた。
また振り出しに戻ったというのか。呆れかけたところ、シシーラが躊躇いがちにボソッと「デルタです……」とメチャクチャなことを言い始めた。つい責める勢いで「は?」と返してしまった。
「私の本名……デルタって言います。シシーラは偽名です」
「偽名ばっかりじゃねぇか」
「シシーラというのは王家の女性、特に長女に付けられることの多い伝統ある名前なのです。古くは人の世の前の神代に存在した水の女神の名前らしく、砂漠の中でも枯渇することのない豊潤な営みを願う意味が込められています。先程も少し話しましたが、外敵によりサンズアラが破滅させられる恐れがある場合、女神の加護が民衆を守ってくれるとされていて大変縁起が良いのです」
「信じ難い」
「きっと本当です!あっ、いえ、そのような事態は避けたいですけど……」
もし国を脅かす災厄が訪れるとすれば、それは明日の話だ。俺とイシュベルタスこそが終焉を呼ぶ外的要因に他ならないのだから。
イシュベルタスのやり口からすればシシーラに危険が及ぶことはない……はず。俺が悪神と、配下の有象無象に敗れるなどという起こり得ない未来の可能性だから黙っておこう。
――それは、何の保証もない希望的観測そのものであり、意図してではなく、長く孤独を漂ってきた俺が不意に生んでいた『隙』だった。
「貴族と他の格差を無くし、生活の質を均一にする施策。イシュベルタス殿の手腕により成し遂げられた現在のサンズアラです。その途中で、既に潤っている方々や陰謀を妄想する方々への説得材料として私の本名を皆さんに捧げたのです。最初は遠慮されましたけど、時間を掛けて受け入れてもらえました」
「ここに来る前、門番の男に本名を名乗られた。まさか全員が偽名持ちとはな」
「スールが?ええ、それは私の視ていない記憶ですね」
あれほど水浴びを拒絶したシシーラの機嫌が治る。かつ羨望か情愛か曖昧な、それでも確かな熱を帯びる眼差しを向けてくる。
本気で拒む意志はなく、俺の誘導に従う分の力だけで繋がっている。
そうと分かれば強引には行かない。どうせ洗うのだからと、汗がテカる完璧な玉体を横抱きで持ち上げる。シシーラ史上最も赤らみ、知らぬうちに鎮火していた焚き火の代わりを担った。
軽い。だが心配にはならない健康な体重。より欲情を駆り立てられるが、果たしてこの後どうなるのか。
「シシーラ、礼を言う。あんたのおかげで亡霊のフリをやめられそうだ」
「……デ…………」
乙女故に恥じらいがあるのは分かり切っているが、決め台詞を吐いて反応が悪ければこっちも堪える。清廉な池を前に改めて相貌を窺うと……。
「デルタって呼んで……」
確かにそれは、東では見たこともない至極の宝物だった。
「……呼ばせてみな」
コバルトブルーを煌めかす玉体を池に投げ込んだ。
彼女の悲鳴は水の中へ。沈むことはないと賭けて豪快な手段を取った……だけではなく、こっちまで恥が伝染したのを誤魔化すための処置だったというのを、水浴びを済ませて身を寄せ合い、日の出を待つまでの間隠し続けた。
そして、最後の朝。短い眠りから目を覚ます。
互いに意識が遠のくまでの間、多くのこと(主にミレイヤのことをどう思っていたかの質問攻め、過去視がしがらみとなり恋に臆病だったというシシーラへの弄り)を語らった。
長く引きずってきた窮屈な足枷を忘れさせてくれる贅沢な一時だったが、独房からセーフハウスに至るまでの顛末、シシーラですら知らない平和の本性を隠している以上は自戒の念に駆られて熱が冷める。
生きる世界が変われば、味方をしてくれる者も増えていく。それでも俺は、所詮どこまで行ってもバレない程度で恩人をも騙す悪の側に他ならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます