狂煙 Ⅱ

 サンズアラ国の救世主・イシュベルタス。その妹、スカベロにより右側のピラミッドに案内される。

 誘惑する際の強引さが嘘のように無言で、俺も何も話さず頼りない背中に従った。

 遠目で見れば一切隙のない要塞とも取れる完璧な建造物だが、見下ろす距離まで迫ると虫食いのように三角形の中にいくつか穴が開いているのが分かった。夜間となると入口は洞窟のようで、暗くて何も覗けやしない。他の穴も空気を入れ替えるために意図して開けた『隙』に違いない。

 上半身裸の屈強な槍兵が二人、入口を挟む形で待機していた。ここは国の出入り口より入念に警備されている。

 二人はスカベロの姿を確認すると小さく一礼して入口を塞ぐ槍をどけた。俺について一切説明されなかったが、男たちは何も突っかかってこず通してくれた。獲物の息の根を止めるほどの眼力で睨まれただけのため、「ご苦労」と言って通り過ぎた。どちらも黒いズボンに黒いブーツだった。

 回廊の壁際に並ぶ蝋燭の火を頼りに真っ直ぐ往く。

 途中で出くわす『衛兵』も皆同じくスカベロに小さく一礼し、俺には睨みを利かせてくる。何人か小さく不満をこぼす者や舌打ちする者もいたが、むしろその反応こそが普通に思えてならない。

 本当に洞窟のような構造と、裏返しする外観のスケールにより、自分がどれだけ奥に進んだのかイマイチ把握し切れない。侮っていたつもりはないが、人工とも思えぬ超巨大な建物内では気が落ち着かず、何の説明もなくただ前を歩くだけのスカベロにさえ遠慮して話し掛けにくい。聞けば答えるはずだが、それでも躊躇われた。

 回廊は長いだけで横の幅はあまりなく、大の大人が並ぶにしても四人が限度。加えて蝋燭の発する毒気が居心地の悪さを助長する。ニコチンとアルコールの残滓も加味されて気分が悪くなってきた。

 勘だが、おそらくピラミッドの真ん中辺りまで進んだ地点。そこに地下へと続く階段があった。しかし、スカベロはそれを無視した。

 通過する際に階段を覗いたが、やはり闇しかなかった。広大な山の中に地下まであるとは、もう計り知れない。

 それからまた少し歩くと、今度は二階へ上がる階段があり、スカベロが「こちらです」と一度振り返ってから上り始めた。久々に聞いた声も小さなもののはずだが、洞窟の中では大きく残響した。

 二階へ向かわず真っ直ぐ進んだ場合、その先に石造りの巨大な門が待ち構えており、そこにも入り口と同じく屈強な男たちが配置されていた。

 数は四人。よほど脅かされてはならない聖域らしい。

 直進三十段の階段を上ると、木面の扉が待ち受けていた。

 スカベロが改めて振り返り、俺の顔を暫し見つめて微笑んだ。閉じているつもりの唇から一筋の涎が垂れていた。

 二階は彼女の部屋か、あるいは広くとも全てがこの女の領域なのだろう。


 部屋に入り、扉を閉める。広くて清楚な女性の部屋だった。

 外から見えた虫食いの内面がある。覗くともう一つのピラミッドに視野の大半が覆われ、下には祭りを終えて撤収する小さな人の波があった。

「風が入るのは有り難いけど景色はつまらない」

 スカベロが二つのティーカップにお茶を注いでいる。テーブルに置かれた松明のせいで色は視認しにくく、「どうぞ」と着席を促されても気が乗らない。

「サンズアラ産のお茶です。イチジクが仄かに香るくどくない味で精力がつきます。……それとも、お酒の方が良かったでしょうか?」

「どうした?あんたはもっと積極的な女だと思っていたが」

 隙間風に臭い金髪がなびく。そこから入る月明かりに照らされながら挑発すると、スカベロは失態に気付いたように紅潮してカップを置き、欲情した動物の相貌でこっちに接近、最後は本性を現すように強く抱きついてきた。

「早く貴方とお互いの深淵を共有したいわ。これほど蒸れて苛立ちが積もるのは久々。だけど……」

 今にも泣き出しそうな女の顔が至近距離にある。

 口付けを交わす。過去の経験から互いの舌を絡め合うくだりに移るのを予期したが、意外にもスカベロはそのタイミングで唇を離した。

「私の体は呪われているのです」

「ほう」

 か細い腕を俺の首筋に絡めたまま俯く。両脚が震えているのは、身長差から無理をしているだけというわけではないよう。

「毒です。個人差はありますけど、私とまぐわった相手は誰であれ溶けるような灼熱に体を侵されてしまいます。一度そうなったら決して平熱には戻らず、熱は増す一方で、やがて死に至ります。治療法も呪いの改善策もありません。そして、ここに来る前にも貴方は私と口付けを交わしてしまった……」

「そういえば痺れを感じたな」

「ごめんなさい。貴方はもう助かりません」

 ゆっくりと、誠意が伝わる分の間を溜めてスカベロは謝罪した。その口角は明らかに波立っていた。

「俺はあっさり騙されたわけか」

「ごめんなさい。反省してます。もうしません」

「嘘吐け。お前、愉しいんだろ?」

「そのようなことは!フフフフッ!」

 悦に浸る悪魔の破顔がある。

 だが、それに憎悪することは今の俺には不可能。俺がスカベロの体質を知らずまんまと巣窟へ運ばれてきたように、この女も俺が何者か、どんな真実をひた隠しているかを知らない。

 だから、たとえ命の危機に瀕しようと、この女を恨めしく思う構成にはなっていないのだ。

「別にいいよ。全面的に許してやる」

「…………え?」

 自らの情動を制御したことがないのか。スカベロは何が起きているのか分からないように、他に誰もいない部屋を一望した。相変わらず口元はニヤけているが。

「知っての通り、俺は平和なこの国に合った人種ではない。だから自分から進んでカラスの巣に飛び込んだし、どう考えても信用できないあんたの招待を受け入れてここまで来た。全ては俺が招いた結果だ。あんたに非はない」

「けど、私こそ自分が気持ちよくなるためだけに貴方を騙したのですよ?それで貴方が死ぬことになろうと構わず……」

「生憎だが俺は既に死んだような身の上だ。ルーシャスという名前も偽名。古い知り合いの名を勝手に使ってるだけだからな。だから俺のこの体も、心も、この世に在るようで無い亡霊ゴーストなんだよ。誰かを恨めるほど熱くなれないようになっている」

「いいえ、貴方は確かにここにいます。自分の命を奪う女を許せるなんて――」

「そうだ。死んでいないから死んだとほざける。その暇がある。毒が効く速さには個人差があると言ったが、俺はまだこうして仇の女と向き合えている。復讐に臨むことができる」

「復讐?私を恨んでいないのに?」

「そうさ。復讐ってのは自分が幸福になることだからな。これが俺の答えだ」

「きゃっ!」

 白つるばみ色のドレスを装う魔性の姫君を抱えてベッドに運ぶ。

 羽織を脱いで床に放り捨てると、女の香りを半ば無意識に漂わせている売女が意外にも初夜のように驚愕した表情で恥じらっていた。

「ルーシャス様……」

「初心な反応だ。これまでの野郎共はよほど魅力がなかったらしい」

「貴方は違うの……?」

「当然だ。毒なんて屁でもねぇよ」

「……嬉しい。この国の男たちは自分から私を求めてこようと内側の恐怖を隠し切れていなかった。私の仕組みを知っているくせに、死に際には騙されたと狼狽える腰抜けばかり。けど、貴方は全く違う。スカベロは早く貴方に貪られたい。もう、破裂してしまいそう……」

 横になったままスカベロが自分のドレスをゆっくり脱ぎ始める。

 じれったい。巧みな女だと自らを驕ってもその程度か、と少し憤りを感じて、こっちから力尽くでドレスを引き裂き、全開になった乳房を千切れそうになるほど弄んだ。

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