狂煙 Ⅲ
あれほど初心な反応でベッドに組み伏せられたというのに、軟弱な体躯のどこに体力が隠れていたのか、俺とスカベロは時間を忘れて何度も互いの情熱を確かめ合った。
行為を終えて、風の音が聞けるまで正気に戻る頃、かいた汗が冷えて寒気に苛まれたため、先に浴室を利用させてもらった。
交代、スカベロが戻るまでの間、肩に掛けた羽織のポケットから四本目を取り出し、ガラスのない窓から外へ向けて煙を吐き出していた。
バスローブ姿のスカベロは文句を言わず、相変わらずのしたり顔。まるで当然の作法、俺がこの段階で一服すると分かっていたようにイチジク茶を淹れたカップを窓枠に置いてくれた。
「今宵のうちにもう一度まぐわいたいわ。いえ、貴方が望むのなら時間も世間も忘れて枯れ果てるまで……」
「こっちのピラミッドを選んで正解だったよ。おかげで決闘とオアシスをまとめて味わえた」
「はい。私だけが貴方の渇きを癒せるのです。そして、私を相手にあれほど一方的に攻め続けられた猛者は貴方だけ。今宵は何て素敵な一時……。きっと私たちの出逢いは運命に他なりません」
「運命か……」
都合が良過ぎて思考が止まる魔法の言葉だ。
目に見えるものから自分だけの真実を見定め、表現していく。
形で表すことが出来ないものは、最近に限らず昔から信じてこなかった。
それがこの亡霊の生涯だった。苦手な言葉の一つを煙に巻き、喧騒の去った静かな夜へ吹き飛ばした。
怪しい研屋の言ったように、祭りの後には祭りがあった。疲れて眠り、父におんぶされながら家路につく幼い子供が見える中、俺は救世主の妹と正夢に蕩けることが叶ったのだから、シシーラの言う『もてなし』にも嘘偽りはなかった。
「ルーシャス様、貴方のことを教えてくれませんか?」
「それよりあんたのことをもっとよく知りたいな」
「私は……あれが全てです。貴方は慧眼です。初めて会った瞬間に私の正体を暴いてみせたのですから。これで私は貴方の奴隷も同然。私のことを知りたいと言われても、もう私の中には貴方しかいないのです。ウフフフフ……」
大きな誤解か、あるいはそれも誘惑の手管のつもりか。スカベロは胎児を愛するように自らの腹部を優しく撫でている。
狂った女。妄想癖の女。それらは世界中どこにでもいるが、こいつはまた一段と強烈だった。
「何もないならお別れだな」
「いいえ、貴方は私を求めて何度でもここへ戻ってくることでしょう。旅の方なのですから、寂しがり屋に決まっているじゃないですか」
「そうでもないさ。もう終わりにするつもりでいたくらいだ。長らく本当にやりたいことができていない。いつかそれが叶う日が来るはず……なんて希望も持てない」
「それは、私では叶えられない?」
「そうだ。俺の願望は今も昔も戦いの中にある」
「それはカラスたちでは満たされないのですか?」
「貧弱であれば束でかかってきてほしい。だがさっきのようでは駄目だ。連中の怯える顔を見たか?いくら果敢に突っ込んでこようと、純然たる殺意を以てしてでなければ話にならない。そも、同格か格上との決闘こそが最も理想的だからなぁ」
窓枠に置かれたイチジク茶を飲んだ。精力がつくと言っていたのは本当らしく、体が段々と失った熱を取り戻していく。
「誰かいないのか?この国で腕に覚えのある輩は」
「それならカラスたちのボスなどは如何でしょう?サンズアラで一番の巨漢です」
「ゴキブリの大将は所詮ゴキブリさ。それに、あんたを抱く根性もない図体だけのカスだろう?」
「ええ。私からすれば、ただ声が大きくて、愚民のくせにプライドが高いだけの木偶の坊です」
「俄然興味が湧かない」
大きな欠伸が出る。流石に飽きてきた葉巻と淫蕩なこの部屋の空気にはイチジク茶では太刀打ちできない。安らげる場所を得られた上にやることをやった今、本能が猛烈に就寝を推してきているように思える。
「では、あの拷問官のお人……危険な香りのする男だけど、戦いには向かないのかしら?イシュベルタス兄様も賢いだけですし……」
テーブル席からベッドへ腰を下ろしたスカベロ。
本気で考えてくれているのか、あるいはどうでもいいと内心で思い、火照りを紛らわす瞬間を待ち焦がれているのかは、外を眺めている以上確かめられない。
「それならやはりあの女……いえ、シシーラ姫がこの国の最強でしょうね」
「綺麗過ぎる体と、一人で国外に出ても本気で心配されていない様子からして腕が立つと察していた。抜けているとはいえ為政者でもあるしな。確かに、あれを敵に回してしまうのが一番面白いかもしれない」
「ええ、そのつもりならいつでもお手伝いしますわ」
背後から殺気よりも漆黒な怨の気を感じた。
時折それらしさが漏れていた。あるいは気付いてほしくてわざと漏らしていたのかもしれないが、この女は間違いなくシシーラのことを嫌っている。
「万人に清く愛される存在などあり得ないか。特にあれだけ男たちから羨望の眼差しを受けるとなると、その分だけ卑屈な女には鬱陶しく映るだろう」
「いえ、そのようなことは……。イシュベルタス兄様とシシーラ様、二人手を取って今の平和を築いているのです。それは事実ですから、畏敬はあれ、憎悪などあろうはずがありません」
「それなら黒い気配をしっかり浄化しておくことだ。今どんな顔をしているのか見なくても分かるよ」
この部屋に辿り着くまでのように暫し沈黙が続いた。
俺はもう睡魔を誤魔化すように葉巻を堪能しているフリをするだけだが、向こうが何を考えているのかまでは分からない。
はっきりしていることは一つだけだ。
この女は、平和で活気に満ちたサンズアラ国における特異の人間だ。カラスと愉しんでいただけなら淫売の評価で済むが、それすら穏便と言えるほどの強烈な裏の顔があるように思えてならない。
裏があると悟られたのをスカベロ自身も分かっているようで、その問題から俺を遠ざけるために話題を逸らしてきた。
「私は貴方のことをもっと知りたいです。野生の獣みたいな貴方。旅人というのは知りましたけど、一体どちらから?」
「俺は東の大陸から海を越えてここに来た。まあ、波に流されてきたようなものだが」
「お一人で?貴方は一人旅なのですか?」
「そうだ」
「どうして旅を?」
「他に何もなかったから、仕方なくだ」
睡魔も吹き飛ぶ嫌な予感。
西大陸に足をつけ、蓋をしたつもりでいた下らない過去について問われる。その確信の間だった。
「友人や仕事のお仲間は?」
「絶交した。もういない」
「家族や頼れる人は?」
「存在していない。記憶に残っていない」
「恩師や尊敬する人は?」
「裏切られた」
十分に吸い削った葉巻は手を焼く熱さ。灰皿も捨てる地面もない以上、構わず窓枠で擦って鎮火させた。この女がそれに不満を呈すことはないと読んでいたし、実際その通りだった。
「では……最愛の女性は?」
「俺が殺した」
それからイチジク茶を飲み干して、カップをテーブルではなく窓枠の消し炭に並べた。
その質問をされてはこう答えるしかなく、やるせない想いを晴らすため、僅かでも反抗的態度で誤魔化す必要があった。
「ごめんなさい……」
「別にいい。今の俺はルーシャスだ。本来の俺は海か砂漠で亡骸を晒している。だから気を遣う価値もない」
そう言って羽織を脱ぎ、汗の染み付いたベッドで横になった。スカベロの眼差しを無視するように背を向け、肩を枕に眠りを目指す。
「そんな、もうお終いだなんて……」
「気が済まないなら寝てる間に好きに使ってくれ。汚したらちゃんと拭いてくださいね」
「嗚呼……ルーシャス様ぁ……」
落胆しているのか、もしくは更に昂っているのか、こいつの情緒はまだ読めない。
顔にも答えを乗せない女だと思いきや、そうでもない分かりやすさも兼ね揃えた、大人の形をした子供。賢い兄や手駒の男たちに全てをやらせ、自ら何かを獲得することなく生きてきた女だ。
合わない。今夜限りで後腐れなく決別したい。目が覚めた時にこいつがまだ眠っていたら都合が良い。
それに、殺した女のことまで呼び起こされてこっちは最悪な気分なんだ。あいつを獲得することは最後まで叶わなかったのだから。
萎えて関心のなくなった売女の熱視線が裸の背中を焼き剥がすのにも構わず、俺は眠りに就いたフリを貫いた。
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