港 Ⅱ
「ああああああああッ!?」
「クソガキ!よくも!」
左後ろの男が右手と別れた現実を受け入れられずに咽び叫ぶ。地味な二人は叫ぶことも出来ず、ただ命を乞うように涙を流していた。十分間に合う浅い傷だろうに、奮い立つ精神力が欠けていた。
戦意のある輩はあと一人。そいつは手に持つボトルを投げつける気概もなく俺の間合いから離れた。……つもりになっていた。
「殺してやる!このクソガキが!」
「いいぞ!殺してくれ!」
剣を鞘に納め、横向きでカウンター奥のマスターに預けた。特等席でショーを観覧するオカマは両手で丁寧にそれを受け取った。今の一振りでこの客がいかに得物を大切にしているかくらいは伝わったはずだ。
席を立ち、先頭にして最後のカラスと睨み合う。雑魚相手でも死のリスクが高まるのを実感できるこの緊張は堪らない。おかげで自ら死を望むなんて馬鹿な考えはこの時に限っては失せていた。
向こうは短剣を抜いたが、こっちはたった今得物を手放した。そのハンデを屈辱に感じたか、ゴロツキは顔を真っ赤に染めている。
一応、右懐にナイフを三本隠してはいるものの、これを使うほどの相手ですらないというのは駆除されたカラスたちのおかげで明らかだった。素手でいい。想定外が起きて危機に瀕するのであれば、それはそれで喜ばしい。
「マジで誰なんだよお前……。俺たちはただボスの言う通りに働いてるだけなのに、何でこんな奴と戦わなくちゃならねぇんだ……」
「あら、彼は今や大陸一の有名人よ。知らないの?」
目的は決闘に臨むことのみ。話し合うことなど何もない。その意思は酌まれず、理解のある風情だったマスターすらも駆け引きを遮って口を挟んでくるとは思わなかった。
「知るかこんな奴!よくも仲間を!」
「あらそう。せっかく一流の喧嘩師とタイマンできる機会だというのに勿体ないわね」
「ちょっと黙ってろお前!」
それしか得物がないだろうに、情動が収まらないのか、あるいはもう勝ち目がないと諦めているのか。最後の一匹がマスター目掛けて短剣を投げつけようとしてきた。
しかし残念ながら、目に見えて不慣れな動作かつ躊躇いもあったようなので、俺がカウンターのボトルを掴んで奴の右手に直撃させる方が早かった。ゴロツキの右手の折れる音が鳴り、弾けた短剣が危うく眼に刺さりかけて尻もちをついた。その無様により勝敗は呆気なく決した。
「人を殺しても罪に問われない奇跡の町だと信じても?」
「ウフ、ここも同じ大陸で同じ世界の中よ」
気を良くするマスターに反して溜め息を吐き、兄弟の置いていったネック無しウイスキーを飲んだ。間に合わなかった事実へのヤケ酒を意味している。
「俺から言わせれば今更四人増えたところで違いはないんだがな。やる気が無いならさっさと失せてもらえないか?それとも貴様らが話に聞いた楽園へ案内してくれるのか?」
よく喋ったゴロツキを見下ろす。期待はしていなかったが、この隙に反撃してくれて良かったものの不発に終わる。
「退くぞ!いつまで寝てんだウスノロ共!」と叫び、胸を裂かれたうちの一人と肩を組み、右手を失った男が残る一人と共に撤退した。それを最後まで見送る義理もなく、背中に刺さる視線の主を選ぶことにした。
「噂に違わぬ腕のようね。おかげで助かったわ」
「必要なかったようだがな。あんたこそやる気を隠し切れてない」
「……あら」
マスターは今も俺の剣を横向きのまま両手で握っているが、左手が鞘から柄へ移り、僅かばかり銀色の光を外界に漏らしていた。
「頭もキレるのかしら?」
「世辞は金にならない。で、どうすればいい?」
バーの惨状。カウンターや床に零れたウイスキーだけなら手が滑ったと言い逃れするが、店中に飛び散った血液や転がっている右手に関してはそうも行かないだろう。
逃げるが勝ち。このオカマはおそらく追いかけてこないはず。
……それがいつも通りなのだが、俺にはまだここでやるべきことがある。
「いいわ。私がやっといてあげる。面白いショーを見せてもらったお礼としてお酒代もチャラ」
「裏で糸引いてるのか?」
「何の話?」
「……いや、いい」
あの忌まわしい国を離れてもなお疑り深い癖は抜けない。マスターの言う通り、たとえここが最果ての地であっても結局は同じ大陸の中なのだ。
この終着駅まで誰にも頼らず一人でやってきたのは、無辜の人間を巻き込むわけにはいかないなんて安い正義感などではなく、単に誰も信じられなくなっているからというだけのこと。
「そうしてちょうだい。一銭も置いていかずに退散した奴らもいるわけだし。まあ、お金になりそうな物を落としていったけどね。それに貴方、お金ないんでしょ?」
「金なんていくらでも稼げるものだろう?」
「え?……ああ、そういうこと。ウフ、野蛮な男。盗賊以上の盗賊だわ。あの大事件の真相は知らないけど、どうやら報道通りの側面もあるみたいね」
生温い眼差しのマスターから愛剣を返却された。……状況も性別も違うが、自ら殺める結果となった女から今みたく剣を手渡される一幕があり、嫌でもそれが呼び起こされた。
酷い頭痛だ。きっと久々にアルコールを入れたからに違いない。
都合良く考えてかつての不都合を忘れ去りたいところだが、受け取った右手に触手が絡まるような圧迫を感じた。どうやらこのマスターも相当に『訳あり』らしい。
「歴史上最悪の犯罪者にして極悪人。かつては愚連隊まがいな傭兵集団の一員で、何と言っても情け容赦無しの乱暴者。貴方の地元でもある大陸一の魔法大国・オルドネリアにて計画されていた永久平和プログラム・
「やけに詳しいじゃないか」
「場末とはいえ酒場だもの。情報はいくらでも入ってくるわ。お会いできて光栄よ」
握手を求められたが応じなかった。それを残念がるように唇を尖らせるまで読めていた。
「気が変わったか?」
「いいえ、全く。私にとっては正義の味方だもの」
「あっそ」
ゴロツキの置いていったネック無しボトルの残りを処理しようとするところでマスターに制され、また新たなウイスキーを提供された。さっさと退散するつもりだったがそうはいかないらしい。
それにもう詰んでいる身だ。救いの女神には程遠いオールバックのオカマが相手でも無下にはできない。全く甘くなったものだ。
「色々聞いたら答えてくれるのかしら?」
「まずあんたは何者なんだよ」
「私はロゼロよ。見たままの何も怪しくない酒場の店主。よろしくね、ザーレちゃん!」
再び握手を求められたがこれも断りタダ酒をかっくらう。狙いが外れたのなら違う酒を貰いたいのが本音だが、より長居する末路が待っていそうなため我儘を堪えた。
「中々イケる口なのね。ベロベロの状態でさっきの連中が仲間を大勢連れてきたらどうするつもりだったの?」
「最高の展開だよ。
「窮地は望むところってわけね」
「そうだ。もう面白い刺客がこの大陸にはいない。だから俺自身が酔狂になるしかなくなってしまった」
「けど、それも空振りに終わった。加えて私に過去をペラペラと語られて酔えやしない。貴方の世界は本当に八方塞がりのようね」
ロゼロと名乗るマスターは腕組み何か腑に落ちたように数度頷いた。飲み飽きた上に肴としてはイマイチな反応で、タダにしても得をした気にはなれなかった。
店内は静かになった。片手の指で数えるほどの元いた客たちが戻ってくると、揃いも揃って赤い水溜まりにギョッとした後、転がる右手に気付いてその場で硬直していた。
付き合った時間は短いが、ロゼロには粋が伝わる印象がある。もう良い頃合いだと、半分残るボトルを置いて立ち上がり、剣を腰に差した。チラリと顔色を窺うと、片目だけ瞬きをして俺の意図を酌みとってみせた。
信頼関係には決して至らない。それでも気の合う相手だったらしく、そんな俺たちの別れに拍車をかけるように黒船の汽笛が港町に響いた。
「分かるな?」
「ええ。海の向こうを見に行くのね」
「他に道もないからな。それで、あれに乗るにはどうすればいい?」
指も差さずに顎で『あれ』を示す。導きを受ける立場でありながらも不遜でいられる俺とは違い、理解のあるロゼロは「ウフ」と得意げに笑って俺の誤解を解いた。
「乗りたければ乗ればいいのよ。あの船はお金もチケットも何も求めてこないのだから」
「それはそのままの意味として取っていいのか?それとも俺は酔っ払って貴様の言葉を聞き取れなかったのか?」
「そっくり、そのままよ。あの黒い客船はね、存在だけならこの町の誰もが知っているけど、実体が見える人間は限られているの。惨状に絶句している彼らも見えている者と見えていない者それぞれ。海の向こうには寂れた小さな港があるんだけど、その先は砂漠になっていて、そこを越えた先に連中の言っていた国がある。基本的にその国の出身者しかあの船を視認できない。とりあえずそういうことになっているわ」
「その幽霊船に俺が認められている理由は?」
「さあ?乗ってみれば分かるかもね」
降参のポーズを取るロゼロを睨み付けるも無駄なこと。知らない者同士となればこれ以上の進展はない。
それに、もうあの船に乗る以外の選択肢がない。安全だけで言えばしばらくこの町を隠れ蓑にする道もあるが、そういう時間稼ぎにはもう飽き飽きしていた。
リスクは承知。たまには大海原に臨むのも悪くはない。ほろ酔いで気分が乗っている今のうちに決断してしまった方がよさそうだ。
これが楽園ではなく冥界への招待であるのなら、何となく生き永らえるよりは未知に触れる方が有意義に違いない。
何も言い残さず店を去ろうとする俺にロゼロも何も言わなかった。背を向けても目蓋を閉じ、全てを見透かしたように少しだけ口角を緩めている相貌が容易に想像できる。
不思議とそれが気に食わず、俺の方から声を掛けることになった。やはり酔っているみたいだ。
「おい、腐れ縁ってのはどんな業物でも断ち
振り向きそう唱えた俺にロゼロが目を見開いた。それからまた微笑み、手を振ってきた。
「ええ。また会いましょう、人斬り・ザーレ。貴方は逃亡ではなく旅を始めることになる。まだ序の口、これから改めて世界とその住人たちに試されていく。でも、貴方が本物の役者ならどんな困難も乗り越えていけるはずよ」
古いあだ名まで持ち出してきた謎のマスターとの別れ。
事件の真実は伝えていないし、聞かれてもいない。このように成り果てるまでの行いと過ちを悪とは限らないと断じた、何も知らない
汽笛が搭乗を促すも慌てるつもりはない。勝手に出発することはあり得ないと妙な確信があるため、羽織のポケットに手を突っ込んで悠々と船に乗り込んだ。
例外でも向こうの出身でもない常人にはどう映って見えたのか。瞬き一つする間に海の真ん中だった以上は知る由もない。
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