人斬り・ザーレ Ⅰ

 セーフハウスまでにすれ違う民衆の反応が鬱陶しそうだと早速嫌になるも、エリーネか、もしくは奴が人払いを済ませていたようでピラミッド裏の街は人一人歩いていない。

 入り組んだ路地の中にある隠れ家で不安があったが、大きく手を振るエリーネを見つけて安堵。向こうは姉の遺体を視認すると硬直してしまった。

 とにかく中へ。

 扉を開けた途端に煙草の臭いが押し寄せる。紫煙は無くなっているものの、その元凶が平然と腕を組んで椅子に腰掛けている様には流石のエリーネも内心イラついたはず。グレーのロングコートを纏う中年男も察して立ち上がった。

「戻ったか。しかし、既に事は起きたようだな」

 男を横切り、シシーラを奥のベッドに寝かせた。シーツに血が滲むことなど気にする場面でなく、それより最近このベッドを使ったのがこの不埒者というのに虫唾が走る。扉を閉めるセーフハウスの家主は今にも激昂しそうな気配を漂わせ、それを自覚して深く深呼吸した。

 ベッドの前で膝立ちになり姉を偲ぶエリーネと、壁際に寄るシダーズ。二人を置いて机に置かれたままの着替えを手に取った。エリーネは振り向かないが、代わりにシダーズが口を尖らせる。

「着替えるのか?段階が一つ早いはずだが」

「戦いが始まればここには戻れなくなる。ケリがつき次第すぐにこの国を出るしな」

「新品だというのにもう汚してしまうのか?」

「貴様のせいで既にヤニ臭くなってるだろうが。それに、返り血なぞ全て躱せばいい」

 古いズボンを脱ぎ捨て、ジャケットは一度椅子にかける。

 余りの白と黒。ワイシャツと、以前より窮屈なズボンだ。それらを身に纏い、改めてジャケットを重ねてブーツを履き直した。

 密室で、既に暑苦しい格好の男が存在する中、更に砂漠の真ん中にあるこの国に似つかわしくない格好だというのは明らか。

 一挙手ごとに大粒の汗をかきそうだ。シダーズからも「暑苦しい」と真っ当に突っ込まれるも、体は異なる感想を呼んだ。

 何故か全く暑いと感じない。

 汗をかく気がしない。何なら炎の中に飛び込んでも無傷で済みそうと思えるほどの冷感に覆われている。

 これは、オカマが置いていった新衣装に付与されている効果ではなく、彼女が死して以降からこの身に宿っていたもののはずだ。

「もういい?」

 布の擦れる音が止み、エリーネが気付く。言外でも通じると思い無言でいると、少し間を置いてから、今や一つ限りとなったサンズアラの至宝が、眠る過ぎた者と決別するようにこっちを向く。

 話には聞いていたが驚く。エリーネの両眼は死した姉と同じく、王家の血を引く最年長女性の理に倣い、コバルトブルーに変色していた。

 瓜二つの相貌が彼女の面影を鮮烈に呼び起こす。二人は一つになったのではないか、なんて妄想がよぎるほどに。

「自覚はあるか?」

「うん。一瞬頭が熱くなって、それから冷たくなって、平常に戻った時、自分がそうなったんだなって実感した」

 王になりたくなかった者が、最後の王家として残される形となった。

 俺のやることは変わらないが、エリーネはこれからどうなる?彼女はあくまで、これまでの平和をより健全化し、邪なものを排除したいという意思で行動してきた。姉の生死に関わらず王位など望んでいない。

 何よりエリーネの理想郷には、愛する姉もいなければならなかった。

 エリーネの『その後』を案じる資格など俺にはない。結果としてサンズアラはこれまで以上の平穏へ向けて舵を切れるはずだが、その未来に俺の影は残らないのだから。

 戦いが終わったらすぐに出ていく。そこも変えない。エリーネを始め、無辜なる者たちにとっての仇敵として俺は消える。

「姉から聞いたが、その瞳は証であり、それ自体に特別な力など宿っていないんだろ?」

「分からない」

「分からない?」

「やってみないと……。不思議な気分なの。私には姉さんのような異能はないはずなのに、瞳の色が継承された途端、何か凄い力がみなぎってくるのを感じたの……」

「それが過去視?」

「それとも違う気がする」

「シシーラはまだ何か隠していたのか?」

「それも分からない。でも、貴方を見ているとドキドキするようになっちゃった。きっと姉さんが見守ってくれているんだと思う」

 R字の位置以外ほぼ一緒の女が不思議を受け入れて微笑む。

 したたかなものだ。本人は嫌なのだろうが、熱砂の国の王に相応しかったのはやはり……。

「君の心配はいらないようだ」

「うん。やることは変わらない。私はしばらくの間ここに隠れるつもりだけど、きっともうすぐ――」


<情熱のサンズアラに生まれ、我と共に歩む正義の民たちよ、聞け!>


 突如、断末魔を鳴かせてやる予定の男の声が、拡声器でも使ったようにうるさく響く。

 これほどの声量が室内にまで鮮明に届くなど普通は不可能。おそらく魔法だ。

 新たなる女王のお言葉が部外者二人に届けられるところ、王を凌ぐ存在の者は容赦なくそれを妨げ、サンズアラの全生者に号令を唱えた。


<我が友にして偉大なる先代サンズアラ国王の娘、皆が深愛し、皆を深愛した女王・シシーラが賊によりその尊き命を散らされた!許されざる愚者の名は、ザーレ!ルーシャスという偽名を騙り、一昨日の夜、この国に現れては姫君の恩寵を欺きで返した凶悪犯である!>


 いくつかの真実を含めて神はデマを拡散する。

 この国の何人がイシュベルタスを本気で慕っているのかは不明なままだが、少なくともこの放送が国中に流れているのであれば、望んでもここには留まれなくなった。

 イシュベルタスを信じる者も、シシーラを信じる者も、全員が俺を受け入れない情勢となった。


<賊は現在もこの国のどこかに潜伏している。兵たちにより見つけ次第疾く裁きを下す故、暫しの間、皆には屋内に避難していてもらいたい。復讐を望む者も多いだろうが、どうかここは堪え、吉報を待っていてもらいたい!>


 やかましい号令が終わり、沈黙。

 エリーネが予想外な展開の連続に弱り、姉の安らかな寝顔に縋る中、「有り難いね。おかげで動きやすくなった」と俺は発した。

 今のがゲーム開始の合図だったのかは曖昧だが、とにかく戦いは始まる。エリーネを無事に帰すこともタスクに含まれているのなら、状況がより悪化する前に動き出した方がいい。

「おい、エリーネさまは任せたからな。お前は別に死んでもいいから命捨てて守り抜けや」

 腕組み、壁に寄り掛かる銀髪の男に檄を飛ばす。男は微かに頷いてから眼鏡の位置を直した。こいつも胡散臭いが、エリーネを裏切ることはないと勘に賭ける。

「敵が現れたら排除しよう。しかしな、多勢で来られては流石に敵わんぞ」

「こいつを盾に使え。とにかく生き残ることを考えるんだ。あと、これをやる」

「貴方のゴーグル?」

「ああ。絶対に死なないお守りだ」

 拷問官など無視して大将に一つ気を遣っておく。

 あるいはこれが最後になるかもしれない。鬱屈な日々の品を擦り付けると、エリーネは利口にそれを首に掛けた。

「ねぇ、私も外に出た方がいいんじゃないかな?みんな困惑しているはずだし、姉さんを支持していた人たちなら味方になってくれるかも……」

「敵か味方かなんて分からないと言っただろ。イシュベルタスからしてもな」

「それって、神官長やガッデラのこと?」

「神など所詮、古い考えにより祭り上げられた幻像だ。奴が国一つ利用してゲームに興じるように、民も奴を利用して今日までの安寧を繋いできた。後のことを鑑みるならこれ以上の混乱は避けた方が楽だぞ」

 言い分が正しいのはエリーネだ。一国の女王が『何者か』に殺されたのなら戦争に違いない。シシーラ派の衛兵なども黙っているはずがない。

 だが、それでは駄目なんだ。

 イシュベルタスは俺との勝負を待ち望んでいる。シシーラ殺害も、どこまでが奴の狙いで、どこまでが奴の側に潜む別勢力の思惑なのかが読めない以上、エリーネはまだ動くべきでない。

「今は耐えろ。君の出番は決着がついてからの未来にある」

 無力ではなく、行動を制限されることにエリーネは不満を抱く。民が安全だからまだ落ち着いていられるが、本来なら自らの行動で皆を安心させたいところなのだろう。

 この局面でそんな顔ができるなら大丈夫だ。最後の血縁者を失ってもなお気丈。励ましの言葉は必要ない。

「俺は出る。間が合えば出立前に再会しよう」

「うん、死なないでね……」

 失ったものと同じ我が王の美貌をよく確かめてからセーフハウスを出る。奥の遺体には目も止めずに。

 エリーネは必ず生存させる。

 しかし、慎重になるのがいい加減苦痛に思えてきて、外の様子を碌に窺いもせず、買い物気分で扉を開けた。

 得物を受け取りに研屋を目指す。いくつもの屋根の上からいくつもの視線を感じるも、それら全てに気付いていないフリをしてサンズアラを往く。確か東門の近くとか言ってたな。

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