冥界 Ⅱ

 鋼同士が衝突する心地良い音色を野次が消す。相手の力量は高い。故に外野の声が余計に鬱陶しい。決闘を望んだとはいえ、興行ではなく邪魔のいない集中できる環境が望ましかった。

 強引に隙を作り、一気にカタを着ける。それも可能ではあるが、久々の強者となれば惜しむ考えがよぎりつい加減してしまう。

 もっとも、加減はしていても余裕は持てない相手だ。全身を包帯に巻かれているとはいえ俺と同じくらいの体躯だろうに、大剣の振りは鞭並に速く、防御の反応も鋭い。外野からは乱雑に振り回しているだけのように見えても、油断すれば首を刎ねられる計算された剣術だ。

 砂嵐を越えて辿り着いた小国、その中核の広間にて巻き起こる大嵐は俺以上にこの国の民を吞んだ。錯乱的に野次を飛ばし続けられる者もいれば、尻もちをつき唖然としている軟弱者もチラホラ。

 そのように余所見をしてあたかも隙があるように演じるも、包帯男はその罠に気付き三歩後ろに下がった。狂戦士のように涎を飛ばして突撃するだけかと思いきや、外見に反してクレバーでもある。

 こいつは一体何者なのか?近づいて分かったが、包帯男は妙に鼻を刺激する臭いを放っている。不快というほどでもないが、どうにも医務室で嗅いだものと似たクセが感じられる。

 シシーラや医師以外であの医務室にいた人物の顔が順に思い出される。包帯男を相手取る中で丁度視線がそこに向くと、奴は見計らっていたかのように邪悪な笑みを浮かべた。

「気付いたかね?彼の特徴に」

「こいつから感じる薬品臭さは何だ?」

「その者は眠る際、全身にソーダと例の物を塗りたくり、樹脂と例の物を染み込ませた包帯で巻き上げ、今日まで保存されたことにより五体を維持したまま復活を遂げた生還者だ。地下にある独房の一部屋を玄室の扱いにしてつい先程まで棺に納められていたのだ。全ては貴殿との決闘のため。この時が来るまでの間、辛い現実から逃れるために」

「掻い摘み過ぎだ!俺がまだ知らない点を一つ一つ説明しろ!さもないと加減をやめて悲願を無下にするぞ!」

 重くも速い包帯男の剣を払いながらカラス並の怒号を飛ばした。

 望み通りの舞台上とはいえ、知らない情報が多過ぎる。怖いもの知らずのように先を行く大人の嘲笑を無視して戦いに没入する子供にはもう戻れないと思い知った。大分老けてしまったようだ。

 全てはあの日、母国・オルドネリアの教会にて、自らの手であいつを殺めた瞬間から変わった。

 いや、あんな結果になるなど想像もせず、今以上に自由を謳歌していた頃から知らぬ間に歪みは生じており、流れるまま理想とは程遠いこの未来に行き着いてしまったのだ。

 これほど手応えのある剣戟は最早懐かしい。一人で十人分以上の腕を誇る眼前の強者と相対しながらも、逃亡中に退けた追っ手たちのことが呼び起される。

 俺は追っ手を一人も殺していない。とりあえず浅く斬り、それでも向かってくるようなら腕か脚を捌くだけに止めた。人斬りというあだ名はずっと前からあったものだ。

 いつ、どこからだ?俺がザーレであることを知っているこの狂戦士の主人は、一体いつ頃から、どんな手段で俺を補足していたのか。

 完全ではないが気配を察知する勘は持ち合わせている。逃亡生活の中で俺を発見した者は誰もこっちの大陸には渡っていないはず。

 よって、その他に俺を知る方法といえば……。

「クソ!」

 せっかくそこそこの獲物とやり合えているというのに、チラチラと神さまが視界に入ってきて集中できない。説明すると嘯きながらも再び特等席に座して俺たちの殺し合いを堪能してらっしゃる。

 陰気な相貌のくせして愉快気な様子というのだからより胸糞悪い。やはり羽織だけでも先に返してもらえば良かった。剣を手放せない以上はナイフの投擲が有効だし、側近のハゲも邪魔はしないはずだから。

 懐かしいといえばそれもそうだ。単騎で敵陣の中枢に突っ込むことなど多々あった。外野のカラスたちは当然鬱陶しいが、こういう状況は初めてでもない。

 この場の主導権を握っているのがイシュベルタスであっても一番強いのは俺だ。

 だというのに、こいつらには俺を嘲笑う余裕がある。その理由は、力ではなく情報量の差により得た吹けば飛ぶ飾りの保険によるところが主なはずだ。たとえそれがデマであったとしても、勘違いも貫けば自信になる。

 その証拠に、『表』の王さまはずっと黙りっぱなしだ。敵対者全員に用心する必要があるが、何もできないシシーラには関心も薄れてくる。

「噂に違わぬ実力のようだが、何かに惑っているようだ」

「噂ってのはどこから仕入れたデマのことだ?」

「ここで真実を教えてやることもできる。しかし、それはもう少し後にするべきか。シシーラ様もご気分が優れぬようだし、何より今は貴殿が戦っている相手についてだ」

 包帯男が跳躍からの一刀両断を試みる。これまでの乱雑な振り回しと違って躱せば隙ができる賭け技だ。

 だが、それをやるのはあまりにも野暮であり、イシュベルタスの言葉と、特有の渇きを潤すためには決闘を引き延ばさなければならなかった。

 そのため必殺の一撃を難なく躱し、首を刎ねる好機が窺えてもあえて見逃した。包帯に包まれていても困惑した面をしているのが分かる。

 向こうが縦斬りならこっちは横で。刃物ではなく槌を振るうように愛剣をフルスイングする。大剣で受け止めるも、包帯男は「ギャアアアアアッ!?」と叫びながらギャラリーを巻き込んで壁まで吹き飛んだ。

「悪いがまさかそんなと驚愕はできない。俺は初めから誰も信用していなかったからな」

「それはどの点の話かね?」

「港町にいたオカマのマスター。幽霊船の搭乗者たち……は無関係な気がする。根拠は言えないがな。あとは後ろで悲劇のプリンセスを演じている奸婦だ。あれも貴様の人形だな?」

「ザーレ!何を言って……あっ……」

 これまでも何度か零していたが、ついにはっきりした。イシュベルタスが先に言ったことで油断したのだろう。暗がりでもよく分かるほど日焼けした相貌が薄くなっていた。

 シシーラは手で口を塞いで目を逸らす。完全に容疑者の素振りだった。

「ルーシャス殿、それは追々だと――」

「包帯野郎が起き上がるまでだ。答えろ。あのオカマ野郎とはどういう繋がりがある?あの黒い船は?そこの女王はどこまで知っている?とりあえずこの三つはここで吐け。さもなくば斬る」

 剣先を向けて脅すもそれで怯む男ではない。この程度で臆するようであれば部外者の立場で一国を乗っ取ることなど不可能だし、何より俺を待っていたなどと自らの欲望を曝け出すはずがないのだから。

「まあ、別によいがな。私は死ぬ覚悟で生きているからね。故に何も怖れていないんだ。さて、まずはオカマ野郎。東大陸の最果て、名も無き港町の酒場を切り盛りしているマスター……ロゼロについて。彼はもちろん私の使いの者だよ。元々この国の人間ではないが、この地に腰を据えていた時期もあった。そこはもう知っているだろう?私が雇ったんだよ。海を越えられる者が現れたら誘導せよ。その者は近い未来に必ず現れる。それまでは東側の情報を集め、定期で連絡せよとね」

「それだけだと後で奴を斬る理由にならない。まだ何かあるだろ?あれよ」

「あとは貴殿が船に乗ったタイミングで一報を入れろとだけ。ロゼロが私に雇われていることを知る人間はほとんどいない。なぁ?」

「話には聞いたさ。クソが」

 巨漢は遠慮なく主君相手に悪態を通し続けている。複雑な関係ばかりなのだろうが、中でもこいつらの関係は見えない。イシュベルタスが腹黒い策士だと知り、これほど不満を態度で表しているというのに、それで何故同じ方向を向いていられるのかが分からない。

「ちなみに私はこの国の人間でない男をもう一人雇っている。後で紹介しよう。ロゼロは温厚だが、そちらは危険な狂人だ。貴殿とは気が合うだろうがね」

「貴様の同胞なぞ余程の美女でも御免だね」

「それは残念だ。それで連絡の手段だが、これはまあ別に珍しくもない。貴殿の側と違ってこちらは文明が遅い上に『それ』も遮断されているため使えない。分かるかね?」

「魔法だと予想したが違うようだな」

「普通の伝書鳩だよ。向こう生息のね。便箋を括りつけてカラスの一人に渡す。便箋にはあらかじめ私のサインを入れてあるから疑念があっても届けざるを得ない。カラスたちにはその仕事のためだけにこちらと港町を往復する役目を与えていた。娯楽もあるのだし悪い仕事ではないだろう?それを受け取り鳩は殺害。呪われた海に放棄する。鳩を放ったのがロゼロであることは私しか知らない。貴殿が馬車に置いていかれたうちに私のサインは無事私の元に戻ってきた。文章など一切記されていない。それが届いた時点で伝わるからだ。ハヤブサが来る、とね。ロゼロは見事に務めを果たしてくれた。余計な気を起こさぬうちに奴にも鳩になってもらわねばな」

「ハヤブサ……」

 神官長・デルタの静かながらも僅か高揚した声だった。俺には意味の分からない暗号だが、シシーラは気まずそうに目を泳がせていた。

「おい、お前は黙ったままでいいのか?」

「私は……」

 シシーラは更に追い詰められていた。

 平和の正体は裏工作によるものだった。表の王たるシシーラが知らされていない内容もいくつかあったのだろう。それは仕方がないようにも思える。

 それでも、とにかくオアシスで拝謁した慈愛の微笑みや、星降る祝祭のに在った地上の太陽がこれほど弱気になっているのに腹が立った。

 当の本人は隣のデルタにさえ聞こえていないような小声で何かを呟いていた。こっちの憤りなど気にするゆとりもない。

 これ以上は時間を掛けられない。舌打ちし、起き上がった対戦相手を横目にイシュベルタスを睨み直す。

「船は?あの摩訶不思議な船について答えろ」

「あれはあのままだよ」

「何だと?」

 説明はなかった。顔の各部位を微細も動かさずに言い切られた。

 ポーカーフェイスのため嘘の可能性もあるが、俺を生きたまま国の外に出すつもりがないのなら、最早嘘を使う必要もないように思える。

 真実から遠い……いや、こいつもきっと仕組みを明確には理解していないのだろう。

 それなら俺を苛立たせるためにわざとらしく溜め息を吐かれても効果は受け付けられない。相変わらず不敵な笑みを浮かべている実年齢より老けてそうな相貌に反吐が出るだけだった。

「あの黒船は一種の魔法だよ。東大陸と西大陸を行き来するために存在する奇跡の具現だ。東の出身者では貴殿にしか見えない代物だが西の出身者であれば誰でも視認できるため、誕生はおそらくこちら側だろう。何故ルーシャス殿が特例かというのは……実は私も、他の誰にも解説できない。むしろ貴殿の方が分かっているものと思って期待したのだがね」

「極めて低い確率を引き当てたと?それならあの唐突な悪天候は?俺は雷に撃たれ、船も破壊された。そのはずだ」

「それは……おっと」

 イシュベルタスは聞けば答える。俺がこいつにとって待ちわびた貴重な存在で、敵対関係以外あり得ないにしても、コミュニケーションに時間を裂く価値のある関心の対象だからだ。探検家という経歴や酔狂を盛大に演じる人間であることから解せなくはない。

 包帯男が再び疾走してくる。真っ直ぐの突きを躱し、がら空きの背中を割らない程度で裂いた。

 獰猛だが、その分動きが単純になった。まさか一度吹き飛ばされただけで下手になるはずもないだろうし、ましてや臆病になったとも思い難い。何か、戦いに臨む者としての基盤のようなものが欠落したように感じる。

 血飛沫の代わりに茶色い液体を撒いて絶叫し、片膝を突いた。

 しかし、まだ折れていない。イシュベルタスが「惜しかったな」と口にしたが、まだ決着ではないはず。

「雷に撃たれて死んだと思ったのかね?全てが台無しになり、旅が終わったような幻を見たと?」

「幻だと?」

「転移の弊害だよ。貴殿の方がよく知っているはずだがね。何せ貴殿の故郷は魔法大国なのだから」

「あれが転移魔法だと?天災とも言えるあんな大袈裟なものが?」

「そうだ。言っただろう。あの船こそが魔法なのだと。あれに乗った段階で西側への転移を承認され、西大陸への到着が可能になるまでの魔力を呪いの海水から補充し、十分に満ちた段階で転移を開始する。東と西はそも、繋がっていないのだよ。それぞれが別の世界と言っても間違いではない。黒船の奇跡、魔法の可能性がなければ我々も貴殿も繋がることなど叶わなかった。貴殿としては追っ手を完全に撒いた形になって良かったのではないか?唐突と言ったが、船は忠実に役割を全うしているだけだ。他の客は船内に避難していなかったか?絶対の規則ではないが、脳に悪影響を及ぼす恐れもある幻覚だからね。貴殿のように最初からラリっていない限りはリスクばかりの薬物も同然だ」

 分断は許したとはいえ瀕死の傷に違いないはずだが、それでも包帯の剣士は向かってくる。背中から薬品臭の液体が杯をひっくり返す勢いで垂れてもだ。

「俺に絶品のドリンクを勧めてきた船員の男は?」

「彼こそ幽霊船を幽霊船たらしめるお化けだよ。他にないだろう」

「それならあのチビは?気をつけろなんて役に立たん警告をしてきたあの灰青の小娘は何だ!?」

「いや、それは知らない。貴殿にしか見えていないものだろうな。あるいは、貴殿が黒船に乗れた理由そのものかもしれんぞ。過去に面識は?」

「あるか!そんなもん!覚えていないなら過去にもならねぇよ!」

 理不尽に等しい置いていかれ具合と神の陰気な態度に怒り、つい包帯男の腹を捌いてしまった。背中だけでなく腹部からも大量の液体が漏れて断末魔の悲鳴を上げる。今度はうつ伏せで地面に倒れた。

 それでもこいつは終わらない。フラフラと、最早大剣を乱雑に振り回す力もないというのに絶命だけはしなかった。

「失血多量にはならないか。そも、血ではないからな。加えて、斬った感触も人間のものではない。貴様の言ったことは比喩だけとは限らないようだな」

 茶色の水溜まりの上で包帯の剣士が蹲り、それからまた起き上がった。

 おそらく両脚を断たない限り何度でもこうして起き上がるのかもしれない。東の追っ手とは違い、それでも威嚇は続けるのだろうが。

 あるいは激臭を拡げる液体を尽きるまで絞り出すか。イシュベルタスの言う生と死の概念を超越した存在であれ、機能を停止させる術はいくらでもあるはずだ。

 勝敗は決した。だが、俺はこいつについて知る必要があった。これほど悍ましい末路を辿るより、人間の尊厳があるうちに相まみえるべきだった一人の剣士に。

「それで、こいつは誰だ?」

 率直な問いにイシュベルタスが絶頂にも似た恍惚な笑みを見せた。

 予想外か、あるいはこうなるように操作されているのか。あれほどやかましかったカラスたちは大人しくなっていた。沈黙が際立つせいでシシーラの嗚咽が聞こえやすかった。

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