セーフハウス Ⅱ
居住区に入った。奥には北門も見え、チラホラと窺える人の影は俺たちの行進に首を傾げている。王の妹、見知らぬコート男、ボロボロの白装束だ。祭りの延長にしても仮装が過ぎる。
「元はどこの国にもいる迷惑な人たちとしか思っていなかったはず。いえ、それよりもっと卑下していたかも。目を付けた彼は早速ガッデラに声を掛け、それから日毎に集団としての規模を大きくしていった。始まりは十人もいなかったのに、今や百人はいるわ。
『カラス』という名前が付いたのもその頃。人にとって害のある存在だから、この国では珍しい黒衣を身に纏っているから……じゃない。私も本物のカラスは見たことがないけど、知識だけなら少しだけあるんだ。ゴミを食べる習性を持つ、最も美化意識の高い生き物であるということもね。偽りの平和も、それを謳歌する無実の民衆も、何より全てを司る王家の人間も、いずれは掃除すべき対象として捉えている。カラスの意味を知らない人たちからすれば忌避の対象でしかないけど、日に日に数が増えたり減ったりしている彼らが私は怖い……」
「考え過ぎ、ではないようだ」
「うん。これは、私の調査だけでなく信頼できる人から得た情報も踏まえての推論だから」
「まさか、こいつ?」
横並びに歩くシダーズの近過ぎる顔を睨むと、裸の足をブーツで踏まれた。俺が短い悲鳴を上げた後、エリーネが立ち止まった。
「教えてくれたのはイシュベルタス陣営の人間だよ。彼が衛兵の一部を自陣に取り込んでいるように、私も向こうの人から情報を得ているの。信憑性もある。
明日、カラスたちを総動員して貴方を始末に掛かる。その結果が出た時点でイシュベルタスはこの国を出る。余った武器やミイラを好きに使ってこの国を覆す魂胆だと予想している。イシュベルタス派かシシーラ派かというのは、これから本当に全員に問われることなの」
「戦争か」
その言葉だけでエリーネの表情が暗くなる。太陽の踊り子に相応しくない、濁った色へと変貌を遂げた。
しかし、無神経を詫びて励ますような真似など、ガッデラやイシュベルタス以上に許されないことだ。
「そんな未来は阻止したい。でも、私にできることは何もないの。さっきも言ったように、個人の些細な不安を取り除いたり、踊ることばかりで……」
泣き出しそうに声を震わせている。太陽の花は灯りが霞み、今にも枯れて散りそう。
それでも、根の明るさに無理やり背中を叩かれ、凹む姿を他者の前に晒していることにこそ恥を感じて歩き出した。きっと、今までもそうやってきたのだろう。
「無力を嘆くことなどない。あんたは最善を尽くしてきたはずだ」
「でも、もうここまで来ちゃった。貴方を助けたのだって、本当はする必要のないことだった。ただ私が一先ず忙しくなることで後の問題から目を背けられるだけ――」
「君は行動派だ。迷ったらとにかく動く主義だろ?それでその様となると、脅されているのか?」
「うん……。余計な動きを見せたら……って。イシュベルタス派の衛兵を使って何度も私のもとに脅迫状が送られてくる。私が留守の間に、どっち派か分からせないように巧く置いていくの。今も置いてあると思うよ。
だから、これから向かうのは正しくセーフハウスなの。まだ敵陣の誰にも見つかっていないはず。確証はないけどね。ステージに上がってきたカラスたちも警告の一環だと思ってる。どうせ貴方を殺した後で私も殺すつもりなのにね」
「君は別嬪だ。カラスに限らず狙っている男は多い。多分だが、死ぬよりキツい目に遭うぞ」
「そうなるくらいならって、考えてはいるんだけどね……」
彼女からすれば目的地は明らかなため、民家をいくつか曲がり、暗い路地に入ったとしても歩に迷いはない。
しかし俺には、聞き取りにくくなる声量と共に俯き歩く彼女の姿が、迷子以外の何物にも見えなかった。
「できないだろうな。君は明るい。生きている限り諦めきれない。こいつの拷問と良い勝負だ」
「だから、貴方がサンズアラに来ると知った時、私はイシュベルタス以上に期待を感じていた」
奥に進むにつれて北門も近くに迫る。
未解明・未解決のあらゆる問題を全てかなぐり捨てて逃げ出してしまおうかと考えたくもなる。
……いや、流石にもういい。
シダーズの腕に二度触れた。密着した体を離して独りで歩き出す。サンズアラからの脱出を惜しみ、門を横目に左折する。
「協力者はダブルスパイ……って言うのは少し違う?彼の集めた東の噂は、イシュベルタスだけでなく私にも届けられていたの。貴方の記憶にも新しい、東の果ての港町。あそこはね、この国で生きていけなくなった人たちが、元々住んでいた人たちに許されて移住する最後の居場所なの。別れた家族や友人に会うために船を利用して東へ向かう人たちがいるから、その誰かが彼から手紙を預かったら南の門番さんに渡してほしいと頼むの。昨夜一緒にいたでしょ?間接的だけど、門番・デルタも協力者の一人よ。けど、その必要もなくなるね」
そこまでやる理由については聞かなくても分かるから問い質さないでおく。本人に直接確かめればいいだけなのだし。
「最後に受け取った手紙には何て?」
「ハヤブサが来る……って。古くからサンズアラに伝わる救世主の呼び名」
「救世主はイシュベルタスじゃないのか?」
「私は……私たちは、彼ではないと思ってる」
一羽も鳥を見ないこの国で、よく耳にするのはカラス。その次がハヤブサだ。
ここで平和の象徴が出てこないのは、それが知られていないわけではなく、所詮これが人間の考えた最大限の平和に過ぎないからだと嘲ているようで、部外者としては滑稽に感じる。
ハヤブサと最初に言い出したのも、それに強く反応したのも神官長・デルタのため、嫌でもあの精悍な裏切り顔が脳裏に浮かぶ。
それだけ奴はイシュベルタスに心酔しているのか、もしくは……。
「貴方のこともある程度は知っていた。東大陸一の狂人だって。それが本当なら頼るわけにはいかないし、この国に近付けてはならないとも思った」
「そんな俺を助け、助けを求める」
路地の暗がり。エリーネが小屋の前で立ち止まり、扉にそっと手を添えた。
ここがセーフハウスらしい。他の民家と同じか、それ以下の素朴さだ。これならたとえ目立つ集団であれ、追っ手や目撃者がいない限り隠れ蓑には最適だ。
「彼から届いた最後の手紙。ハヤブサが来る以外に、こう書かれていたの。信頼できる男だ……って」
痛みではなく心境により、苦虫を噛むよう自動で眉間に皺が寄せられた。
奴は俺を騙してなどいない。ただ聞かれなかったから答えなかっただけで、元からイシュベルタスよりエリーネに肩入れしていたようだ。
やり口も身の振り方も姑息で、本心など一切介在していないように思えるが、それでも奴は、身分を顧みず独自の信念に基づき平和を願うエリーネという一人に忠を尽くしていたという事になる。
「信頼というのは腕の話だろうな。そうに違いない、きっと」
「それだけじゃないよ、きっとね。短い間だけど、貴方と話して噂のままの危険人物ではないと分かったから」
「いくら機嫌を取ろうと、結局俺に求めているのは力だろ?俺は部外者だ。だから後腐れもない。俺にこの国の闇をぶっ壊させてから全ての罪を擦り付けて追放処分を下すのが最善策に違いない。明日だけ乱れ、以降は昨日以上に安らかなサンズアラを築き上げられる。イシュベルタスたちだけじゃない。客人の俺こそが都合の良い平和の礎となるわけだ」
エリーネは言い返してこなかった。だが、睨み返してきた。
潤み、今にも涙を零さんとする相貌には覚えがある。嫌な思い出ほどすぐに頭の中で再生されるというもの。
それでも、あいつよりは自立を済ませているから、目線を逸らさず真っ直ぐに相手を見つめることができる。
「他に策がない。カラスたちは退かない。貴方も。だから……」
「責めるつもりはない。つまりは第三勢力、エリーネ派を作り、そこに俺を加入させたい。立ち向かってこない衛兵や降伏したカラスたちには情けを掛け、他の敵勢力は諸共殺せ。そういうことだろ?」
エリーネは気まずそうに目を逸らし、誰も歩いていない路地を眺めて小さく頷いた。
「私が貴方に依頼する内容は、イシュベルタスがシダーズに頼んだことの規模拡大版。罪の自覚があるのにそれを依頼する。それも、私自身が手を染めることなく。……そんな、血よりも汚い私の手を握ってくれますか?」
「いいよ」
悲劇のヒロインとは、女王・シシーラの妹の方だった。
国情か人情か。苦渋の決断を迫られたエリーネは花びらのように儚い瞬きで、躊躇いがちに手を差し伸べてきた。
その綺麗な手をノータイムで握り返す。当のエリーネは時が止まったように呆然としてから近所迷惑な叫びを上げ、並ぶシダーズも溜め息を吐いた。
「え……えぇー!?そんなあっさり!?」
「やることは同じだからね。それなら君といた方が良い。皆殺しを少しだけ抑えればいいだけだろ?それくらいの融通は利くさ」
開いた口が固まって動かないエリーネを鼻で笑い、間髪入れず交渉を続けた。
「ただし、依頼というからには条件と報酬を揃えてもらう。まず味方を増やせ。戦いが始まれば俺は君を守れないからな。こいつを壁に使おう」
親指でシダーズを指差しながら我が女王に進言する。シダーズは呆気に取られながらも悪い条件ではないため、「お前の陣営が最も安全だろうからな」と口角を緩めた。
「シダーズは元から誘うつもりだったよ。というより、もう仲間だと思ってたくらいだもん。それと、他の味方って彼のことでしょ?」
「ああ。他にも候補はいるが、まずはそいつに確認を取ろう。報酬については後回しでいい」
「分かった!貴方はサンズアラの敵になっちゃうけど、私にとっては正義の味方になるんだもん。ご褒美は約束するわ!」
「やる気が湧いてくる。……さて」
姉ほど焼けていない華奢な玉体にも触れず、断りなしでセーフハウスの扉を開いた。
独房と同じ程度の間取りで、正に身を隠すためだけの蓑だ。
奥には無骨なシングルベッドがあり、手前には机と椅子が置かれている。医務室と変わりない。
その机に頬杖を突き、長い両脚を組んで座している
全てを知るそいつはきっと、俺が扉を開くより前から微笑みを浮かべていたのだろう。
「これが腐れ縁だ、オカマ野郎」
そいつは平静のまま俺を見つめ、後に続くエリーネとシダーズの姿も順に確かめて目を細める。この世の全てを見てきたような、人類の葛藤と戦いを俯瞰して見守る創世の神みたいな眼差しで。
「私を恨んでいるかしら?ザーレちゃん」
「全然、全く。貴様のおかげで楽園に来られたからな。これからより面白くなるところだ」
「それは良かったわ!もしかしたら私、ザーレちゃんにぶっ殺ォッ!?」
微笑みが破顔に変わる瞬間を狙い撃つ。まだ重く痺れも感じる拳を強引に振るい、目障りな顔面を殴ってベッドに寝かせた。
こいつにも戦いの術があるのを知っているため、躱される場合も考えた。だから、こいつがこの国に到着していると示唆されてからシミュレーションと準備運動を開始していた。
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