セーフハウス Ⅰ

 スカベロの言葉を疑うつもりはなかったが想定外の危機を期待する悪い癖は治らない。だから階段を上がり、回廊から出口を目指して歩くまでにカラスが一匹も湧いてこなくて欠伸が出た。エリーネから俺がここに至るまでの経緯を聞かれては適当に掻い摘んで回答するばかり。他に何もなく、肩を預けるシダーズも無口で退屈な時間だった。

 カラスたちはイシュベルタスの意向を最優先とするのか、それともあくまでボスはガッデラなのか。俺自身が大将二人の関係に興味が失せてしまった以上、エリーネや誰かがその話題を始めない限り真相には永久に辿り着かない。もっとも、エリーネがどれだけこの国の裏を知っているのかも含め、まずは俺が彼女のことを知らなければならず、そっちに関しての興味は辛うじてまだ残っているため無気力とはならなかった。軽快な足取りで俺たちの前を行く彼女の細い腰とハーレムパンツが魅力的に映る限りは脱走の気は起らないだろう。

「いいの?私について聞かなくて。それとも、もう明日の戦いについてしか考えられない?」

 問いかけは向こうから。互いの心の在り処を確かめるのは、この退屈な時間を紛らわせるのに最適だと同意し合っていた。

「そんなことより俺たちはどこへ向かうんだ?君の部屋へ?」

「私は別にいいけど、一大スキャンダルになるでしょうね。国中が騒ぎになるわ。姉さんなんて泡吹いて倒れるかも。北にセーフハウスがあるの。そこへ行きましょ。とにかく一旦休まないと。眠ってくれた方が回復も早まるからさ」

「妹さまが一晩看てくれるとは夢のようだ」

「フフ、バレたらみんなに恨まれるかも」

「そこは心配していない。どんな結果になっても俺は明日限りでサンズアラから消えるのでね」

「貴方、今まで沢山の女の子を泣かせてきたでしょ?」

 黙ってついて行けばいずれは辿り着く目的地に話題を逸らしたところで出口が見えてくる。とはいえ外はもう暗い。内もずっと暗い。スカベロの部屋から出た今朝みたく出口が眩しい光で浮彫になっていることはなく、自分の声音が響く具合や風の音が徐々に強まることで出口が近いと感じ取れるだけ。今も蝋燭の火を道標に回廊を進み続けている。

「じゃあ私が勝手に話すから、勝手に聞いてね」

 こっちを振り向き、後ろ歩きで進むエリーネに雑な相槌を返した。上半身ボロボロの白装束とサンズアラでは浮くコート姿の中年それぞれを見返してから童女のように屈託のない笑みを見せ、その美貌は再び後ろ向きになった。シシーラとはまた違う、美貌にそぐわぬあどけなさが彼女にもあり、完成した芸術を崩してしまうのは勿体ない……などという感想も出てこないほどの反則技だった。

「私も現サンズアラ国王の姉さんと同じ王家の血筋で、それなりに大事に扱ってもらえる立場ではあるんだけど……ほら、この国って表側は平穏でしょ?だからこそ委細を決める姉さんやイシュベルタスと違って勝手に動いてる私には権威がない。イシュベルタスを神として扱うのと同じ曖昧な優位性しかないんだー。もう聞いた?もしこの国が派閥に分かれて争うことになった時、姉さんかイシュベルタスのどっちを選ぶのかって。よくある思想の遊び」

「奴が話していたな。君はそも、派を持っていない?」

「うん……。明日、貴方を始末するために全てのカラスたちが動く。貴方を狩り出すために。シシーラ姉さんは動かない。まだ迷ってるみたいだし、多分最後まで決断できない。衛兵たちはイシュベルタス派であってもカラスたちと共闘はできないから貴方が襲ってこない限りはサンズアラの民を守る役に徹すると思う。そうすればどっちに転がっても体裁を保てるからね」

「イシュベルタスはそれを……許すだろうな。姉さまとは不仲のようだ」

「私は好きだよ。シシーラ姉さんがこの国の象徴だからみんな笑って暮らせている。私からすれば平和の根底にあるのはイシュベルタスの采配より姉さんの慈善だもん。ただ、話す機会が多くないというか、会うと妙に緊張するというか……。昔はどこへ行くにも一緒だったのに、最近は王様よりもっと偉大な存在に感じて遠慮しちゃうんだよねぇ」

 初めて妹さまの弱る姿を見た。その反応から当然の疑問が芽生えると、ピラミッドを脱出して冷たい夜風に全身を襲われる。最も露出しているエリーネと厚着のシダーズはノリが悪いほどの無反応だが俺はそうはいかない。上半身は棘で刺されるような痛みを、下半身はただ寒かった。祝祭の昨夜と違い松明の炎も人の熱気もないから余計に涼しい。このままでは風邪を引くなんて珍しい予感がするほどに。

「姉妹二人の王制じゃ駄目だったのか?」

「だって私、王様になんてなりたくなかったんだもん。もっと気軽に市場を歩きたいし、踊りも手を抜きたくない。丁重な扱いやどっしり構えるスタンスなんて私には合わない。それに何より王様は一時代に一人だけって決まりだから」

「砂漠で倒れている部外者を独断で救助するくらいだ。姉さまも大概自由人だろう。当時は王位を免れて万々歳だったものの、今では責任を姉一人に負わせて自由にやっている自分に後ろめたさがある。そんなところか?」

「……正解でーす」

 拗ねたように頬を膨らませているのは後ろ姿でも分かる。姉との微妙な距離感の理由はそれか。

 思えばシシーラからは妹の話を碌に聞かなかった気がする。饗宴のステージで舞い踊るセンターアイドルの正体だって始まりは門番・デルタの説明だった。

 断じて悪い関係ではない。少なくともエリーネはそう信じているようだが、この真相もまた、一方の当人に直接確かめなければいつまで経っても靄が掛かったままではっきりとしない。

 戦いの前に彼女に会わなければならない理由が新たに追加された。

「君はさっき助けてやるから助けろと言っていたな?やはり君もこいつと同じく処分の対象になるのか?」

「……間違いなくね」

 エリーネに続いて神のピラミッドを右折した。二つのピラミッドの狭間。他に誰もいない広く開いた一本道を三つの影が進む。問うまでもないが、ここは本来なるべく通行を避けるべき神聖な道なのだろう。息が詰まる。

「神の側につく人間は一先ず安全。でも、やり過ぎると地下へ連行されてシダーズにより処断される。それは前々から耳にしていた。通気口を通ってシダーズの部屋に遊びに行き、話を聞いてみるとそれは事実だった。明らかに非人道的よ。絶対に許せない悪事だわ」

「悪に違いないが理解はできるよ。常軌を逸した人間は生かしておくより消した方が安全だからなぁ」

「私もその点を疑ったことはないな。特にこのような血生臭い人斬りなど一刻も早く削除した方が世のため国のためだろう」

「ここはサンズアラなの!二人ほど物騒になる必要がないの!」

 素直な心で神さまの手口を認めていた男たちが国王の妹さまによりしっかりとお叱りを受けた。その怒りが余裕の表れなのか、それとも彼女の繊細な箇所に触れたかは定かでないため、乗じて畳み掛けるのはやめておいた。シダーズも同時に空気を読んだ。

「昔はこんなじゃなかった。お父様が亡くなって、イシュベルタスが姉さんと同じか、それ以上の台頭を見せてから少しずつ国が変化してきたように思えてならない。カラスなんて昔はこんなに多くなかった。そうでなかった人が唆されているのよ。そして、カラスとなった人たちから行方不明者が出ても捜索は適当。親しい間柄の人だけが心配するだけで、世間はカラスが減っても困らないから気付いても問題にはならない。確かに今のサンズアラは平和だけど……」

「広い視野で見れば平和が浸透しているが、その端で不安に駆られている者も少数いる。君を代表に」

 エリーネは少し間を置いてから振り返らずに小さく頷いた。微妙に的の中心から外れたらしい。

「カラスたちのほとんどがイシュベルタスの言いなりだよ。ガッデラこそを唯一のボスとして慕っている人がどれだけ残っているかなんてもう曖昧」

「どうせ皆殺しにするから無駄な質問になるが、連中は何であんな風に集ってるんだ?」 

「彼らは王政反対派。無辜のみんなと平等に生活必需品が行き届く今でも変わらず私たちを憎み続けている。私の父には実の妹がいた。ガッデラはその人の側近であり特別な関係でもあった。衛兵だったんだよ。さっき言ったように王は一時代に一人だけ。王とは他に勝るものがない至高の名誉であり、サンズアラの歴史にも深く名前を刻み込まれる。その反対に王家の血を引く者であれ王になれなかった者は永遠に語り継がれることはない。サンザーク王には妹がいたらしい。その程度。私みたいにお気楽ならともかく、兄に王位が優先される決定に妹は絶望した。これなら平民の方が良かった。生まれてから死ぬまで、それから死後も誰も自分を頂点として讃えてくれないのが辛く、このような悩みに苛まれる人生なら王の家になど生まれたくなかったってね。私は直接会うことを禁じられていたから確かめていないけど、本来より酷くやつれていたらしい。最期はガッデラの目の前で自殺したんだって。それからガッデラは豹変した。私の父を憎むわけではなく、サンズアラ国の伝統そのものがこの先も不変のまま続いていくことを許さなかった。衛兵を辞めたガッデラは銀の兵装からあえて盗賊のような黒衣に着替え、自分と同じく国政に不満や憎悪を抱く人たちを集めた。その時はまだカラスとは呼ばれていなかった。ただ平穏に暮らしているだけのみんなや衛兵たちに危害を加えるゴロツキの集まりでしかなく、姉さんや神官長と毎日のように揉めていただけ。……死者は双方から稀に出ていたけど。勿論当時は極秘での処刑なんてしていなかったから、しばらく監禁したら釈放する決まりに従っていたけどね」

「平和が確立していなかった頃か。詰めの甘さが災いしていたようだな」

 遠回しに皮肉を言われるシダーズだが、相変わらず素直な感想でやり返していた。それに構わずエリーネはサンズアラの過去を語り続けた。

「でも、あの男が現れて、彼らの事情を知るようになってから全てが変わった」

「イシュベルタス」

「うん」と、エリーネは頷きもせずに喉を少し鳴らした。

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