セーフハウス Ⅳ

 硬いベッドでの就寝であれ、長くこの身を蝕んだ苦痛からの解放はくすぐったく、目が覚めた瞬間はそれこそ楽園に至るような心地になれた。

 その極楽も一瞬、五感が機能を再開する。

 キャンドルグラスに頼る密室のまま変わり映えしない風景で、どれだけの時間眠っていたのかは不明。それでもカラスの親玉に付けられた傷が全て完治しているのは感覚で把握できた。寝覚めだからではなく高速回復を施されたことによる副反応。体はまだ怠さを引きずっているが、これももう一眠りして、熱砂の国の眩し過ぎる朝日を拝めば解消されるはずだ。

 しかし、このまま二度寝というわけにはいかない。決戦前夜、今でなければ二度と叶わないことがある。そのためにもまずは、俺が上体を起こす直前で煙草に火を点けた眼鏡の中年に話を伺うところからだ。

「自由な野郎だなぁ。他人の家、患者が寝ている密室で」

「何だもう起きたのか。良い嫌がらせを思い付いて急ぎ煙草を起こしたというのに残念だ」

 窮屈なセーフハウスには寝ている間にかけられた毛布をどかす俺と、グレーのコートを纏ったまま一服するシダーズのみ。陽気な二人は既にいなくなっていた。

 先程の方が人口密度が高かったのに今の方が暑苦しい。その原因たる紫煙がすぐに充満するも、それを不快に感じるはずもなく、傷口が塞がれたからには沁みもない。むしろ苦難を一つ解決したということで普段よりもそれへの欲求は強まっている。

「二人から伝言を預かった。だが、それよりもまずはこれか」

 シダーズが摘まんだ煙草を手首で振る。図星かつ話が早く、てっきり恵んでくれるものと思い込み机に近づくも、奴は懐の箱を取り出さず、残忍にも独房と同じく俺の顔面に毒煙を直撃させるのみ。

 拳に力を込めて睨み付けるもシダーズは一切臆さず、前々からキャンドルグラスと共に置かれていた風呂敷をスライドさせて煙草の代わりに差し出した。

「まずはロゼロからの伝言。またね、と。それから物資の提供だな。是非役立ててくれと言っていた」

 不服なため一呼吸置いてから風呂敷の封を解いた。開放前の感触の中に俺の求めている物があると分かるも、それ以上の『気配り』によりおっさん二人への不満は強制的に失せ、思い通りに転がされていると気付いてやはり苛立ちが増した。妹さまには秘密にしているが、二人が僅かでも不信な動きを見せたら即座に斬り伏せると決めているため、このように出し抜かれると負けた気になってしまう。

「葉巻と、これは……」

「フッ、してやられたな若造」

 神に雇われた闇の住人同士、面識はなかったというが相性は良いようだ。逃げたオカマの分も込めて拷問官が嘲笑した。

 腹立つ眼鏡面に舌打ちを返してから中身を分けて机に広げる。まずは葉巻五本。これは煙草屋の老婆から譲ってもらった品だろう。そうか、連中に捕まらなければ計十本にできたのか……。

 早速一本取って吸い口を噛み千切り、蝋燭を利用して火を乗せた。煙草と比べてずっしり重く、それでいてくどくない深い味が健康に還った体を更にほぐした。

 だが、同じ気遣いとはいえ所詮葉巻はおまけ。本命はもう一方だ。

 白、黒、黒。三種の衣類が折り畳まれている。どれも新品で、それが成人男性の装い一式というのは、一目見てではなく、用意した者の性格から分かる。

「その後、か。やってくれたな」

 港町での別れ際と先程の問答から奴を追い越せていると思い込むも、実際、あのオカマは未だに底を見せていない。俺が奴の明日以降を案じてやるより前から奴は俺の明日以降を想定し、このように準備を済ませていたのだ。

「エリーネと共に出ていった。奴には奴の隠れ蓑があるそうな」

「隠れる必要もないだろう。貴様と違い堂々と動けるオカマだ。いつからこの国に関与しているのかは知らんが、妹さまの他にも顔見知りくらいいるんじゃないか?」

「その話だが、お前が眠っている間にエリーネとの関係を聞いたぞ。あの二人、大々的には知られていないが旧知の仲だった。ロゼロには彼女に命を救われた過去があるらしい」

「それが真実なら色々と辻褄が合わなくなる」

 ベッドに腰を下ろして葉巻を吹かす。部下二人の無遠慮により上司の隠れ家は最悪の状態、新品の着替えもヤニ臭さで台無しになる。

「イシュベルタスとスカベロの兄妹が最初にこの国を訪れるよりもっと昔だ。何せエリーネが今より更に幼かった頃の出来事でな。国勢が不安定で客人をもてなす余裕もあまりなく、しかし不法入国は容易だったなんて時代だ。もっとも、それを解決した救世主も明日お前に斬られるわけだがな。ロゼロは元々盗賊の一味だった。仕事でヘマした上に仲間からも裏切られてこの国へ漂流したという」

「はーっ。逃亡生活の専門家って自分かよ」

 母国の規則に反する早さで煙草を吸い始め、葉巻も以前より数度経験しているにも関わらずつい咽そうになった。

 サンズアラの覇権を掴んだイシュベルタスから仕事を受けるより前から奴は悪党だった。俺が人を斬るプロ、シダーズが人を潰すプロならば、奴は人を欺くプロなのだ。

 ただし、話の流れからしてそれだけではないとも分かる。人を騙すのが奴の生業とはいえ、血も涙もない利己的な下郎というわけでもないらしく、評価の起伏は激しく揺れ動くばかり。

「イシュベルタスたちより先に現れた旅人ということだ。とはいえ奴を知る者は極少数らしいがな。仕事に差し支えるから派手に動けないと自分で言っていた。負傷と空腹により死にかけていた当時の奴は、衰弱しながらもどうにかこの場所に行き着いた。ここが王族のセーフハウスとは知らず、黒い服装は目立つため寂れた小屋を見つけて油断していた。発見したのが拗ねて王宮を飛び出してきた小娘でなければ処分されていただろう」

「妹さまは国規模ではなく個人として個人を救う主義だ。だからこそ第三勢力なんてものを作らざるを得なくなったのだから。それは先代の王が存命で、姉さまが王になるより前の話だよな?」

「大分昔だ。つまり我々の女王は昔からあのように平和を体現してきた女だということだ。イシュベルタスがあのオカマを雇うには十年時が遅かったな」

 煙は吐かない。感嘆を漏らしたからだ。

 ロゼロはエリーネの器量を試すように裏切りを匂わせていた。対してエリーネは不安な様子が垣間見えるも確固としてロゼロを信じ切る姿勢を示した。

 東の最果てで出会い、俺を西の砂漠へ誘ったダブルスパイ。元凶。奴には決して裏切るはずもない恩人すらも煽りやがる裏切り癖がある。エリーネには悪いが経歴を知って胡散臭さがより増した。

 それに、俺がここで目を覚まし、シダーズ伝いに過去を知らされてこれまでの態度を振り返らせるところまでが奴の計算であるのなら話が変わってくる。隠れ蓑を炙り出すのも萎える、冥界や地下などわけない果て無き深淵を覗くような徒労に他ならず、流石にその酔狂にまで乗る気は起きなかった。

「良い話を聞いた。やはりエリーネさまこそがサンズアラ最高の女だ。俺の一目惚れは正しかった」

「本命はシシーラ姫だろうに。オカマについてはもういいのか?」

「奴について考えるのはやめよう。呑まれる気がする」

「それは同感だ。エリーネさまが信じたオカマだ。手強いに決まっている」

 座って間もなく、出掛ける用事があるためすぐに立ち上がった。机に積まれる衣類の真ん中、最も面積の広い黒を引っ張る。シダーズが「傷は無いようだが動けるのか?」と惜しみ聞くので、「リハビリだ」と真意を無視して後ろを横切った。すると、シダーズも扉を開ける俺の背に向けて「彼女の伝言も聞いていけ」と放つため、わざと大袈裟に身を揺らして立ち止まった。

 エリーネには治療に加えて無用な手間を掛けさせた。

 それはエリーネの気配りがなくとも伝わる問題だ。俺がまだ納得していない以上、向こうも俺の言葉を聞きたいと思っているはずだから。

 朝はまだ遠いが夜も更ける頃だ。独房を出たことが伝えられているのなら、彼女は既に動き出している。

「あの場所で待っている、と。それだけ言えばお前には伝わると微笑み、エリーネ自身は帰っていったよ」

 黒衣を広げ、それを白装束の上から袖を通さずに羽織り屋外に足を運ばせる。おかげで肩は冷えないが、夜風はまだ優しくない。

 西の出身で、東大陸を目指したことのないシダーズはオアシスの存在を知らない。ロゼロより顕著に俺の遅れを小馬鹿にしてくるジジイの無能を憐れむように見下した。

「ベッドは好きに使ってくれ。俺にはもう必要ない」

「いいのか?」

「ああ。祭りの前にあるものといえば、祭りだろ?」

 キャンドルグラスに吸い殻を落とすシダーズにそう言い残して扉を閉めた。今宵を逃せば次はない。目的地を目指して夜のサンズアラを行く。

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