遺志 Ⅲ

 死した者を除き、この国で直接関わった人間がピラミッド前に集合した。

 爆発したプラミッドから共に脱出した門番・スールと、彼に担がれてきた神官長。

 早い再会となった我が主にして次のサンズアラを導くエリーネと、その護衛、元はイシュベルタスに雇われ、闇に潜伏していた拷問官のシダーズ。

 そして、研屋・デルタ……ケイゴスだ。奴は地面にあぐらをかき、死した神と同じように気色悪い笑みを浮かべている。

 小国の中心地と取れる広場。両ピラミッドの手前には俺たちしかいないが、これほどの非常事態となれば神の命になど付き合えず、一旦は屋外へ避難していた民たちが皆して外に出て、まだ午前中のはずなのに、上空に在るはずの光が完全に損なわれている現実に立ち尽くしている。

 やかましく取り乱す者、シシーラ姫を殺したとされる俺に罵声を飛ばす者は……一人もいなかった。

 シシーラ姫が招いた客人であれば、きっと……か。

 彼女が体現してきたものの結果だ。死去してもなお残留した秩序と健全さ。

 神に続き、亡き女王にまで一杯食わされたつもりになり息を吹く。一服したい気分だ。

「ザーレ……」

 カラスたちの亡骸を見つめて黙る神官長を横目にスールが近付く。彼らしくない、取り返しのつかない失態を犯したことへの罪悪感で顔中しけている。

「スカベロ様が……」

「生きている可能性もある。それにあんたのミスではない」

「だと良いが……。あとで救助しなくてはな」

 シシーラと親しかった南の門番はこのお人好しぶりだ。スカベロがシシーラ殺害に関与したのは事実で、スールはまだそれを知らないよう。

 知っていたとしても、彼は助けに行くのだろう。

「ところで地下の鍵はどこで?」

「彼に貰ったんだ」

「……ああ、納得した」

 スールが示した方向には猫背の鉢巻き。流石は中立の男。奴こそ神の視点で盤上の騒乱を娯楽としている。

 何も発してこない研屋に対し、俺も何も言わなかった。語らうことはない。向こうもそのつもりでニヤニヤしているだけなのだろうから。

 こういった一部を除き、遠くの群衆は当然不安に駆られている。無駄に狼狽え、誰に責任があるかを指差し合うのが下らない事となっている国で生きてきたとしても、太陽が紫に変色していれば平静は保てない。誰か何とかしてくれ、なんていう他人任せな精神も欠けているようで、とにかく諦観の姿勢でいる。

 それならあのお転婆娘は……と、何故かシダーズと手を取り身を寄せているエリーネだが、異常がそれだけではないとすぐに分かり、俺が聞くより早くシダーズが事情を説明した。

「イシュベルタス派の衛兵に襲撃された。無事生き延びたが、この娘は酷く憔悴している」

「お前のやり方は一般に見せていいものじゃないからな」

「確かにセーフハウスも汚す結果となったが、どうやら気分が悪いなどという問題ではないようだぞ」

 紳士がエリーネの眼前で手を振るう。エリーネは眠そうな目を見開き、今初めて俺と合流したことに気付いた様子も言葉を発さず。どうして自分がここにいるのかも分かっていなさそうに呆然を貫く。

「意識が朦朧としている。私が衛兵を退けている間にこうなっていた。敵はもういないと判断して移動を試みたが、こちらの声掛けがどれだけ届いているかも不明だ」

「お可哀想に。変態の流儀に心を削られたのだろう」

「もしくは、より前の段階。気丈な娘だからな。我々を心配させまいと我慢していたのかもしれん」

 好き勝手に御託を並べる部下たちを女王は叱らず、気怠げで目が据わっている。

 護衛でも保護でもない。これでは介護のようだ。美女であれば本来大歓迎だが、北の民家からここまで連れてきたシダーズは余る手でお手上げのサインを示した。

「シシーラは?」

「どうしたものかと悩んだのだが、エリーネが置いたままでいいと。その時だけは意識がはっきりしていたのでな」

「……まあ、いいか」 

 いい加減なものだが、こんな状況では大抵の判断が仕方ないとなる。敵がもういないというのは間違いないはずだし、それならセーフハウスを一先ずの安置所とするのは適切だろう。

 面白いほど広場に入ってこない民衆は、揃って黒い空を見上げ、隣人と手を繋いでいる。そこには人としての願いしかなく、神への祈りは無い。

 事実としてイシュベルタスに心酔した者は少なかった。双子の姫君と共に、これまでの平和をより健全に、これからも熱く優しい世界で暮らしていきたいと望む者ばかりだったのだ。

 エリーネは不調。シシーラは皆の愛を知るより先に他界してしまったが。

「ザーレ」

 そして、残された者。王派だの神派だの下らない論争に参加せず、衛兵として善玉の主君を案じ、職務を全うしてきた門番の男が少し緊張した構えで問う。

「彼は誰だ?」

 薄着が普通のサンズアラは逆転し、今や終わりへ向かう寒い黒。俺たち部外者の装いこそが相応しい。

 その片割れの存在をこれまで知らされていなかったスールは、気さくに俺と話し、最後の王家に寄り添っているロングコートに目を丸くしていた。

「死神だよ。俺たちを迎えに来たのさ」と答えておいた。

 神官長が振り向き、研屋はクククと笑う。スールは聞き馴染みのない単語に首を傾げたが、要のシダーズは何も感じていない様子。

「イシュベルタスは仕留めたのだろう?しかしてこれは奴の仕業と見たが」

「間違いなくな。事前にコソコソと魔法式を組み、時が来れば起動するよう細工してあったらしい」

「真の意味で死神となったか。救世主と紙一重の存在であるからな」

 鞍替えした男と同じタイミングで空を見上げた。

 呼吸を乱し、体を蝕むあの熱気がない。高みにあるのは夜より深い闇の海と、巨大な毒の球体。終末らしい光景と言える。

「お前は魔法大国の出身なのだろう?これほどの大掛かりともなれば、魔法式とやらを事前に察知できたのではないか?」

 外国人は遠慮なく責任を擦り付けてくる。俺としてはこっちの方が慣れている。

「それができるのは優秀な魔法使いに限る。俺では論外だ」

 両の眉だけを吊り上げて失望を伝える紳士の反応に腸が煮えくり返るも、迫るカウントダウンを前に一戦交えている場合ではないと右手を柄から離す。こいつの処断は後回しだ。

 まだ何かあるはずだ。あのまま終わらなかったのだから、このまま終わるとも思えない。

「人斬りよ、お前に斬れないものなどあるのか?」

「そんなもんあるわけねぇだろうが」

「ではあの毒玉も斬ってみてはどうか?」

「そんなもん出来るわけねぇだろうが」

「やる前から諦めるな。お前には一つの世界を救った実績がある。であれば一つの国など造作もないはずだ。頑張れ、お前ならやれる」

「こんな時だけ持ち上げるな。世界は世間と違って物を言わない分やりやすいんだよ。国や個人を救うなど誰であれ無理だ。

 死にたくないならこの国から脱出しろ。王命は全うしたんだ。俺たちを縛るものはもう何一つ……」

 新たな女王の生気なき瞳と視線が交わる。気まずくて先の言葉を噤んだわけではない。

 シダーズがバックレたオカマみたく早期に退散せず、エリーネを介抱しているこの状況。今も感じる嫌な気。それらも繋がっており、その正解こそがあの巨大な毒玉なのだ。

「……あれ、こっちに落ちてきてるのか?」

「スローだが、確実にな」

「落ちたらどうなると思う?」

「さて、爆発でもするのではないか?サンズアラに限らず、どこへ逃げても間に合わない規模で」

「爆発かぁ。それならピラミッドの地下に避難すればいい。神の側にもあったのだから王の側にも……いや……」

 あれはイシュベルタスたる悪神の供物だ。今更どこへ逃げようと間に合うはずもない。

 ……のではなく、このようにどうすれば生き残れるかを考えさせられるのが癪で、今この場で最も動ける人間が自分であったとしても、無駄な思案は放棄することにした。

 デカい汚物は天空に。とてもじゃないが届くはずもなく、届いたところで斬れるはずもない。

 スールにシダーズ、不調とはいえエリーネも、まして神官長や研屋、民衆もこぞって俺に注目している。女王の信じた男であるのなら、ハヤブサであるのなら……と、英雄に縋る眼差しで俺が次に繰り出す言動を待っている。

 応える義理などない。悪いが俺は、このままあの汚い太陽に圧殺か爆殺されても納得できる。

 イシュベルタスであれば、俺の諦めを理解できただろう。

 彼女であれば、俺の諦観をどう思うのか。

「やれ、とんだ急展開となったな」

 やる気のなさが伝わり、シダーズも諦めた。

 全て無駄なこと。共に全滅するのであれば、害鳥駆除も神殺しも無意味だった。

 今日の戦いを知る者全員がいなくなる以上、物語として語り継がれることもない。強いて言うなら、ロゼロを始め、この災厄から離れている者たちだ。彼らがサンズアラという一文化をどう解釈するのかに尽きる。

 それも死す者たちにとっては関係のない話だ。民たちも、これまでの障害に意味がなくなってしまうことを言葉にせずとも表情で物語っている。

 誰もが消沈する中、研屋・ケイゴスだけは悠然としている。諦観でもなく、いつものままで。

 こいつ、知っていたな。こいつだけイシュベルタスから事前に聞かされていたんだ。

 なるほど確かに、何も知らされていない者からすれば下手クソな脚本に違いないが、知っていた者からすれば予定調和に過ぎないだろう。

「急展開ね、俺たちからすればそうだ。知っていればそうは感じない」

 誰よりも俺の決断を待っている男は瞳を閉じる。それを殺気混じりで睨み、切り替えてシダーズに返した。

 充実した態度の異常者に目を向けた僅かな隙、スールが取り乱した。それも意外だったが、何より驚くべきは……。

「眠ったか?」

「そのようだ。心配はいらない。呼吸は安定している」

 突然エリーネの玉体が崩れた。遠くから窺う民衆もこれには騒然とした。

 地面に倒れる寸前でシダーズが庇い、今は膝に頭を乗せている。顔色は悪くない。嘔吐してきたようだが、この昏睡とは繋がりがないように思え、間違いないとすぐに分かる。

「……はい?」

 不覚にも情けない声を漏らした。

 エリーネに続いてお前までおかしくなったのか……とシダーズが参る。他の面々も俺の異変に訝しむ。

 しかし、現在俺を襲っている異変はそれどころの話ではない。

 誰も気付いていないという事はつまり、これは俺にしか聞こえていない神がかりの呪いに他ならない。


<……レ…………ザーレ!>


 決してあり得ない声音。ここに在るはずもない、もうこの世に遺っていないはずのもの。

 それが、エリーネの昏睡に次ぎ、脳味噌に流れ込んでくる。

<……ザーレ……。私の声、届いていますか……?>

「何故だ?」

 無為に周囲を見渡し、それから眠るエリーネを注視する。あり得ないことが頻発する人生をやっているが、今回のあり得ないが実現されるのであれば、それはエリーネが起因に違いないから。

 証拠はないが、理由として値するものなら有り余る。

「……シシーラ」

 その名前を呟くと、起きてる男衆の視線が強まった。エリーネと違い大袈裟なリアクションはないが、まさか……と、古くは誰もが信徒であったこの国に馴染む者たちは、この不可解をあり得ないものとはしなかった。

 この声音は他の誰でもなく彼女のもので相違ない。だが彼女は死んだ。俺はその最期を確かに見届けた。

 味方だと信じた者たちに憚られ、愛しく想う男に振られてもなお、一欠片の愛情に歓喜し、幸せに蓋をしたあの女。鬱屈なる日々から俺を拾い上げたオアシスの女神が囁く。

 まだ諦めないでほしいと。

<ザーレ、王のピラミッドに来てください。二人で過ごしたあのテラスへ……>

「悪い。今は腹減ってないんだ」

<そうですか。それなら丁度良い運動になると思いますよ>

「……嫌だね」

 男女の営みさえよく分かっていない様子の娘が生意気になったものだ。

 それでこそ女王だ。凶悪犯を助けてしまうほどの甲斐性と剛胆さがある。

「エリーネが起きたら伝えてくれ。我が主に呼ばれたので派を降りると」

 新たな女王を介抱するシダーズにそう残し、全速力で左側のピラミッドへ走る。

 外壁をそのまま駆け上り、一時を共に過ごしたもう一つのオアシスへ。

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