オアシス Ⅳ
燃え盛る木々の音は俺にしか聞こえていないだろう。
狩りに没頭するシシーラの鬼気迫る表情を堪能しながら、小さくも重い斬撃を弾き、躱していく。
普段の得物と比べてリーチは断然短く、懐のナイフも投擲が主な用途のため、短剣の撃ち合いは久々に思える。
得物が短いため、互いの体が一々密着する。何度か抱き合う形になる寸前で彼女の肩や背中を軽く押して離した。
猛進が失敗に終わるのならただ威勢が良いだけの知恵無しだが、俺が本気ではないハンデを利用してわざと懐に飛び込んで反応を窺い、切っ先を空いている箇所目掛けて押し込もうとするパターンもある。
あまりにも手慣れている。決闘に勝利する術を心得てはそれを実践できる力量がある。
シシーラは人を殺したことがある。それも一人や二人ではない。
平和を獲得するために多くの犠牲を要したのは見なくても分かることだが、中には本来手を汚す筋合いではない彼女の心を削る代償もあったのだろう。
それを憂い、同情するつもりはない。
むしろシシーラこそ俺との剣戟を楽しんでいる。
敵国との戦争・競争、蔓延るカラスたちの駆除。それらはサンズアラのためであり、シシーラ個人のためではない。
それらでは決して得られない歓喜の体験がここにある。格上相手に鍛錬の成果を遠慮せずぶつけられるこの時間が面白くないわけがない。
これまでの湿っぽい面も失せて今は溌剌としている。ずっとそういう表情をしていればいいのに。短い得物を用い、俺の体を軸に舞い踊り刃物を突っ込ませてくる様相は、物騒ながらも踊り子そのものなのだから。
「踊りは苦手と聞いたが、それも嘘だったようだな……!」
「フフ……!」
汗を飛ばして心底嬉しそうに踊るシシーラ。東にはこれほど率直に「美しい」と感じる女はいなかった。
西全土でも稀有だろう。そんな至高の星を独占しながら好みの舞台で共演できるとなれば、憎悪どころか不満も全て消え去る。
シシーラは王の器ではないが、戦士としては一流だ。おそらくサンズアラで一番強い。
それでも俺に刃が届くことはない。背後を取られても足音や数ある気の揺れでシシーラが首筋を狙ってくると読めるから、先に短剣の面を出して首を防いだ。今のは惜しかったが。
「イシュベルタス殿の折檻を受けたのによく動けますね……。いえ、傷は無いようですけど」
白装束は血塗れの状態で返品した。シシーラが俺の完治を知ったのは本当に今だったらしい。
鋼同士がギギギ……と音を立て衝突し続ける。
シシーラの側は一旦離れて、すぐ次を繰り出すことも可能だろうにそれをしてこない。
俺が少しだけサンズアラの安穏に染まったように、彼女も少しだけ『酔狂』を分かってきたのかもしれない。
「妹さまに治してもらったんだよ」
「エリーネに?どこで?」
「……独房から解放された後の道端で」
悩んでから嘘を吐くと、見破るような勢いでシシーラが距離を取った。最後に強い押し込みを感じたのは気のせいにしておこう。
「そうですか。確かにあの子が貴方と出会えばそうするはずです。エリーネはたとえ前科持ちのカラス相手でも困っていれば助けてしまう優しい子なので」
「そうだな。あんたと違って自分のやりたいこと、やるべきことが確立している。個人のために動く女だが、それが世のためになっていると気付かないバランスが素敵だ」
「悪党を助けることが世のため?」
「現在は悪だが、連中が正義となる時代が訪れるかもしれない」
「好きなのですか?エリーネのことが……」
「好意的だ。アンタほど手が掛からないし、何より明るいのが良い」
これも初めて見る表情だ。シシーラは舌打ちしかけるくらい奥歯を噛みながら目付きを悪くし、突撃を試みる。
以降の攻撃は先程よりガサツで、彼女らしい品性がない。無意識に嫉妬と自責の混在を表現していた。
時間経過でシシーラの吐息が徐々に大きくなる。負けても死ぬわけではない以上、実戦で感じるような悪寒はないだろうが、それでも焦りのような感情に圧されて余裕がないと見える。
こっちから問い質す気はない。「そっちから言え」というメッセージを眼力に込める。
それに怯むこともなく、シシーラは短剣を弾いて頷き、また後方に飛んだ。
小休止ついでに丁度良いだろう。こっちは迎撃に徹するのみ、向こうがそうしたいのなら合わせるだけだ。元より決闘など想定しておらず、彼女の話を聞く目的でここに来たのだから。
「まずはザーレ、貴方が無事で良かった。それが私の本心です」
全く一緒のタイミングで互いの得物を下ろした。
一先ずシシーラから戦意が消え失せた。汗で肌が濡れ、彼女の肢体がより過激な代物となるも、呑気にそれを鑑賞する暇は与えてもらえない。
「ザーレ、貴方は東大陸で最も危険な人物です。渡された情報だけでなく、私もその事実を自らの力で確認しました」
そういうことで決まりらしい。
「まず、情報というのはどの段階で得たものだ?」
「貴方が砂漠で眠る頃、私たちが出会う少し前です。ハヤブサが来る、そう言われました」
だろうな、と言おうとして堪えた。
どれもこれも推測通りで眠たくなってくる。シシーラの見聞がイシュベルタスの遥か上を行っているのは分かり切っていたことだ。
だからこそ『確認』より『情報』の方に興味が湧き、結論を自ら先延ばしにしてしまった。
「イシュベルタスたちと同じように情報通を雇っているようだな。しょうもない輩を」
「厳密には雇っていません。彼は気分屋さんですから、彼自身が面白くなると感じた時のみ私に情報を提供してくれるのです」
「そいつは一体?」
星々を反射して輝く池を見つめる。シシーラはこう答え、狭い歩幅で距離を詰めてきた。
「研屋を営む彼です。貴方も面識がありますよね?」
「あいつかよ。やれ、繋がっていくねぇ」
「彼は元々、私の父や貴族方の使用する武器の手入れを一任していた専属の研師でした。王家と神以外のみんなが平等の扱いになって以降、国内外問わず命懸けの争いが減り、お店の需要が下がってしまいましたけど、今でも彼は私たちの味方です。貴方の愛剣も宝物庫ではなく彼に預けてありますよ」
情報をリークする者の正体ではなく、シシーラの秘密の方に納得した。
本人の口から告げられなければいつまでも推測のままだが、そこまで事実を明確に握れる代物であれば確かに簡単には明かせない。
公には知られていないはずだがらだ。案内役の門番、神たるイシュベルタス、妹のエリーネ、喋り好きの彼らからもその話は聞かされていない。
シシーラにはもう一つ異能がある。
サンズアラの神も、同じ王家の妹も知らず、明日去る客人になど伝えるべきでない、おそらくシシーラのみがこれまで隠し抜いてきた最高機密。
「もう驚きませんよね。……いえ、貴方は一度も驚嘆なんてしてこなかった。昨日の昼、西大陸と呼ばれるこちらの世界に赴き、この夜に辿り着くまでの間、もう何度も命を脅かされてきたというのに、貴方は一度たりとも慌てる素振りを見せていない」
「東でも死にかけた経験は何度もある」
「そうですね。何より貴方の強者として、男性としてのカリスマ性は群を抜いています。誰も貴方の終わりを認めたがらない。貴方自身が終わりを認めても、誰かが手を伸ばしてしまう。
その恩人に対して貴方はちゃんと情愛を感じられる。お礼をしないと気が済まない、正しい精神がある」
やたらと持ち上げてくる。憐れむための前置きというのは誰でも分かることだ。
「だけど、そんな恩人や、心を許した相手に裏切られても貴方は何も感じない。それは……おかしい。
ザーレ、貴方の心は透けるように彩りを失くし、空っぽのまま流されていくばかり。矜持など、今の貴方は持ち合わせていない。貴方自身が言ったように罪を感じることがなく、同時に傷付くこともないのですから」
知ったような口を利く権利が……彼女にはある。
他の誰よりもシシーラは『ザーレ』を知っている。
だから、憤りも気味悪さもない。ご指摘いただいた通り情熱が欠けているから、ムキになれない。
彼女も承知の上だ。これだけ言ってしまってはもう後には引けないと、真っ直ぐ俺と向き合うシシーラの眼差しが覚悟を証明している。
それならこのまま続行させるのが命を救われた者としての礼儀だろう。
枯れた心、ただ息をしているだけの何者か。
そんな、人間の姿形を象っただけの無意味なものに成り果てようと、できることは山程ある。
「俺について知る術はいくつもある。しかし、あんたのは規格外だ。何せあんたがやっているのは情報収集の域を越えた事実確認だからな。あらかじめ俺の全てを把握している。それは本来あり得ない。仮に東大陸の古い知り合いがあんたに化けていたとしてもまだ足りない。
さっき俺が自分の出自を話した時、あんたは落ち着いた様子で知っていると答えたな。一切の動揺もなく。誰に話しても引かれる内容だというのに」
「……特に平和の国の王であれば、いくら生き死にの駆け引きに臨む気概があるとはいえ、多少は動揺して当然……ですよね?」
「そうだ。ただでさえあんたら姉妹はリアクションがデカいからな。平静の方が疑われるから気を付けろよ。ただし、あんたが明かしていない『もう一つの異能』が本物であれば認めざるを得ない。それはあらゆる矛盾を黙らせる最強の根拠だからな」
間合いに来た瞬間、先程より一段重く短剣を振るうと、シシーラが驚く顔を見せた。
仕掛けるはずが先手を取られてしまい、力及ばず強引に吹き飛ばされるシシーラ。尻もちを着くところで空いている左手を地面にそっと置き、そこから後方へ飛び綺麗に着地した。
「ノーヒントでよく正解を導き出せましたね。本来あり得ないと分かっているはずなのに」
「あり得ないものが存在しないなどあり得ない。それに気付いていないようだが、あんたにも結構な隙があった」
「そうですか。そうですね……」
シシーラが揺れる胸に手を当て、荒れた呼吸を抑えつける。ようやく決意を固めたようだ。
迷いのない、歴戦を物語る眼差しだった。
「正解です。私は口付けを交わした相手の過去を視ることができます。最近の出来事に限定したものでなく、その者の誕生から接吻一秒前までの情報全てを一瞬で理解することが可能なのです。
一度目の口付けでは、貴方が東大陸で過ごした全日程を見させてもらいました。……とても一人の人間が背負えるはずのない業と共にここまで来た貴方を知っています。
そして、二度目の接吻で貴方が研屋さんと接触したのを知り、何人ものカラスを殺め、スカベロ殿とまぐわったことも知りました」
あり得ない言葉を並べ立てているが、否定はできなかった。
異能は疑わない。それは今まで自分が生きてきた世界にも存在していたもので、夢幻でもなければ虚言でもないからだ。ただ『過去視』とはまた新しいが……。
驚きはない。畏怖もない。あり得ないものに人生を束縛された女との経験が糧となり冷静でいられる。
そういった過去も、真実を知ればもどかしい気持ちになることも、俺がつまらない男になったターニングポイントも……この女は俺がオアシスで目を覚ますより前の段階で熟知していたのだ。
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