独房 Ⅳ

 てっきり正面から出ていくものとばかり思っていたが、シダーズから「イシュベルタスは未だしもカラスたちはお前を許さないだろう。私まで絡まれるのは御免だ。裏から回る」と言われ、階段を素通りして廊下をノロノロと直進する。

 解放されて分かったが非常に体調が悪い。頭から血が垂れているため当然だが、これは脱出する前に果てる結末もあるのではなかろうか。

 ある意味でイシュベルタスが最も悔しがるオチだろうが、妥当な死に場所をまたも逃した今となってはタダで終わる気にもなれず、シダーズに身を委ねてゆっくりと前へ進むのみ。それが更なる苦痛を伴う苦労であろうと、そも人生とは不幸の連続であるということを知っているため、今更弱気にはなれなかった。

 それに、常に不幸せな状態でいるわけでもないと知っている。最奥の一室、シダーズが借りているベッドと本と食料と水を汲んだ桶しか置いていない寂れた片隅にさえ、全く似つかわしくない輝きの女神が待ち受けているような事もあるのだから。

「何だ、君自ら潜ってきたのか」

「勿論!ここ入りやすいし見つかりにくいから来ちゃった!やっぱり酷いことされたんだね。すぐに脱出しよう!」

 辛気臭い男の姿しか目撃していない地下独房に相応しくない若くて明るい女の声。しかもシダーズと互いを認知している様子。

 視界は既に色彩を取り戻してはいるものの頭が回らず、ただ反射的に鈴の音の主を虚ろに捉えることしかできない。

「シシーラか?いや……」

 自らそう言いながらもすぐ誤解に気付いた。

 顔は酷似しているがシルエットが少し違う。その格好は昨夜、広場のステージにて低い位置から崇めたアイドルの様相だ。

 そして、シシーラとは反対に右眼の周りに逆R字の模様がある美女といえば、該当者など一人しか思い当たらない。

「妹の……エリーネか!」 

「名前知っててくれたんだ!そう、私はエリーネ。シシーラの妹だよ。よろしくね、人斬りさん。特別に助けてあげるから、お礼に私を助けてね!」

 ステージでは赤い長髪を結ぶ髪型をしていたが、門番・デルタの言う通りあれはカツラで、実際は姉のシシーラとよく似たショートの黒髪で触覚だけは比較して短い。

 肌もそれほど焼けていない。瞳の色は……ありきたりなものだった。

 姉の目蓋は丸めで、妹のエリーネは少し鋭い。踊る姿から想像した通り、姉よりも溌剌としているイメージそのままだ。

 雰囲気だけでなく、何より服装が違う。ステージに限った衣装ではなかったのか、締めの固いビキニで下にはハーレムパンツを履いており、どれも白や橙色など、冥界の底に在っても存在が際立つ明るいコーディネートとなっている。暗がりの潜入には不向きだが、それがエリーネという女が誇る個性なのだ。

 双子の姉妹とはいえ違いはいくつもある。シシーラがより湿度の高い女に思えるほどの眩い差異が。

 オアシスの女神とは一先ず決裂したが、まだ彼女が残っていた。生きている限り懲りることがないように、エリーネがこの場所に存在しているだけで高揚できる。巻き返しの希望が見えてきた。

「酷い傷……。立ってるのも辛いでしょ?それだと通気口を進めない。先に回復した方が良さそうだね」

「この変態に虐められてな」

「……そうだな。いや、すまなかった。心から反省しているよ」

 シダーズが俺の体をベッドに放り投げ、エリーネも加勢してすぐさまベッドに真っ直ぐ伸ばされた。

 エリーネが膝を突いて寄り添うと、最も痣の濃い腹部に手をかざしてきた。そこから薄緑色の光が放たれて痣は少しずつ小さくなっていった。残留していた痛みも同時に和らいでいく。

 西大陸とは名ばかりの別世界であるのならもう縁が切れたものと期待したが、やはりこちら側にもそれが存在していた。

「魔法、か……」

「うん。東にもあるんでしょ?でも、回復魔法を使える人間は希少なんだって。この国でも使えるのは私だけ。凄いでしょ?」

「四属性なら誰が使えてもおかしくはなかった。だが回復は特別だ。俺の地元でも珍しい」

「四属性って何?」

「火、水、風、土だよ」

「火と水ならサンズアラにも『ゆかり』があるよ。貴方も使えるの?」

「使えるけど使わない。治療は有り難いが、魔法は嫌いなんだ」

 興味津々なエリーネに遠慮して目は背けた。今は必要だと割り切ったつもりでも案の定嫌な記憶が思い出される話題のため、言葉ではなく態度で訴えた。

 目を輝かせていたエリーネだが、それ以上魔法について聞いてくることはなかった。新しい女神は空気を読むのが上手いらしい。シシーラの言った通りだ。

「あんたは何しにここへ来たんだ?まさかそこの異常者と深い関係なのか?」

「ううん。シダーズとはたまに話す仲だけど、今回は違うよ」

「それなら?」

「それならって?」

「それならって……」

 重い体が徐々に軽くなっていく実感を得る中で気が緩み、訝しむどころか恩人に対して少し苦笑してしまった。

 自らの魔力と体力を消耗して救命に励むエリーネは変わって表情に疲れが増していく。そんな真剣な顔を間近で見せつけられては、いつもみたく下らない揚げ足を取ることも憚られる。

 シシーラも同じだった。俺が独房に連行されるきっかけとなったのはあいつの唇だが、ただ俺を貶めるためだけにそうしたわけではないというのは、見ず知らずの浮浪者を既に一度救助している事実から明らかだ。ただ属性が違うだけで、二人とも平和の国のプリンセスに相応しい器に違いない。

 だから噛み合うはずがない。その絶対があるからには、絶世の美女にどれだけ尽くしてもらっても本気で惚れ込むことなど出来やしない。

 あれだけ惹かれた妹さまでもだ。これだけ自分のために尽力してくれて、今後しばらく行動を共にするはずというのに、真心で繋がり合うことが不可能だと分かればやるせない。

 この国に辿り着いて以降、滾るような心地になれたのはあの女だけで、次はない。それすらも今では過ぎた一夜の記憶となった。


 コン、コン、コン、コン……。


 遠くから物音が聞こえてエリーネが廊下を振り返った。部屋の外で見張っていたシダーズが「誰か来る」と小声で言い、釣られて俺も重い首を慎重に動かす。

 視界には一筋の汗を流し、眉を震わせながらも揺るぎない決意の眼差しでいる一国の長がいた。

「お父様やお母様から学んだの。サンズアラの民であれ誰であれ、苦しんでいる人には必ず手を差し伸べなさいって。立場や計略なんて考えず、人の役に立てる女が最も美しいんだって。王として国を守るのが姉さんで、個人を助けるのがこの私。私がそう決めた。貴方はもしかしたら……というより、ほぼほぼ悪い人で決まりだろうけど、私の力で何とかできるのなら、何とかしてあげないとね!」

 エリーネは回復を止めて立ち上がった。両親から受け継いだ(偽りの)献身性をもって異分子の俺を庇うために。

 その決断がどれだけエリーネ個人の意志によるものなのか。本性を表したイシュベルタスを前にして何も出来なくなったシシーラのように、エリーネの信念も確固たるものかどうか怪しい。

 救える命は何であれ救う。報われる術を知らない以上はただその場凌ぎのように治療を施すことしかできない彼女は立派だが独立はしていない。立場に囚われない動きを見せるのは好きだが、その威勢も結局はイシュベルタスのような下郎に貶され、いずれ落胆する未来を迎えるだけだと過去の経験が物語る。

 恩人を相手にこれだけ卑屈に考えるようになった。細い体で俺を庇う彼女の勇姿は、尊さよりも惨めさが勝る。

「それでいいのか?俺を癒したことを後で後悔するかもしれないぞ?」

「そうかもね。でも、まずは自分が信じないと、誰にも信じてもらえないから」

 異性を誘惑する所作は癖なのか。首だけを廊下に出す彼女の後ろ姿に夢中になる。

 それは本能の話だけでなく、シシーラより少しだけ世の中を知っている様子の彼女に対する関心があるからだ。

 ハーレムパンツ越しでもよく分かる彼女の大き過ぎず、しかし実りのある美尻を最後に重症患者は天井を向いて目蓋を閉じた。

 甘えられるうちに甘えておこう。本番はこれからなのだから。

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