饗宴 Ⅲ

 デルタからこの国の特徴を大まかに説明してもらった。客人向けのガイドブックを読み上げるような説明口調で。

 砂漠の中にある小国・サンズアラは、人口二千人程度の王政国。

 国の象徴である二つの巨大なピラミッドのうち左が王宮であり、右側は噂の兄妹たちが暮らしているのだという。

 兄妹は二年前、先代の王に認められて他国からこの地に現れたらしく、特に兄の方がかなりのやり手らしい。

 兄・イシュベルタスは、当時のサンズアラ国が抱えていた貧困格差や、外交困難などの土地的問題、今より遥かに狂暴だったというカラスたちとのイザコザを、異邦特有の知見で今日これほどまで改善してみせた。

 国が他にも存在すること自体が俺にとって常識外だが、イシュベルタスは貿易なしで永久に王と民が共生できるサイクルを作り上げたのだという。その貢献により、王宮と同格に値する右側のピラミッドを頂戴するまでに至った。

 イシュベルタスという男は俺とは違い、大陸側から求められてやってきたこの国の救世主に他ならない。

 この国、この大地を地図で見たことがないのは、単に俺が今まで生きてきたのが『東大陸』という括りの世界で、海を挟み、最初に辿り着いたこの国は『西大陸』であったからだ。

 デルタにそのことを話すも、「それはきっと古い地図で、ルーシャスの来た港町を始めに、私たちは東大陸が在ることを知っていたよ」と言われた。東側の出身者が西側に足を踏み入れるのが異例で、地図にはまだ先があるということを東側の人類が知らないから、だと。

 地図の拡張に貢献するつもりは毛頭なく、東側へ戻るつもりもない。西大陸を知る東の人間は、俺を入れて一握りのままとなる。

 港町にはカラスに限らずこの国の人間らしき者も何人かいた。それどころかあの黒船にも乗らず、住み着いているような者さえも。

 それについて問うと、「もうこの国に……いや、この西大陸に居場所がない者たちがあそこに固まっているのだろう」と、らしくない脱力した声で答えた。俺と似た境遇だったのだ。

 幽霊船上での災厄について聞くと、一変してやや見下げたように「地図の外側に行くのは簡単じゃない。そも、こちら側の人間以外があの船に乗れるなんて昨日まではあり得ないことだった」と言う。

 灰青のチビについては、全く知らないと返された。

 東から西へ来た前例が昨日までなかったと、問答を総括するように言い切られた。やはり俺こそが幽霊なのかもしれない。

 国の状態は見ての通り。宴だけあって誰もが明るい顔だが、これが出来るのは普段から充実している者か、この日を楽しみに苦難を乗り越えてきた者に限る。

 有能のイシュベルタスやローブ姿の神官長は怪しいものだが、詮索は無用なもの。客人らしく振る舞っていれば出立まで何事もなくやり過ごせる豊かな国と分かった。

 それに、どうせ碌でもない闇が潜んでいるのは、これだけ民衆が活気と陽気に満ち溢れていることから逆算できる。

 カラスについては昔より大人しくなったと聞くが、まだ蔓延っている時点で根本的には解決していない。見覚えのある三人衆が物陰から踊り子のステージを睨んでいた。

 二本目の葉巻もあと少しで尽きる。売り子から貰ったビールに、クルクル絶え間なく舞い続ける踊り子たちを合わせて酔いが促進させられる。大人しくするつもりでいたが、事と次第によってはそうは行かないかもしれない。

 ほら、穏便には済ませまいと、また新たな刺客がやってきた。


「お前さんだな?剣使いの旅人とやらは」


 男は剃り残しの目立つ薄い髭面の猫背で、暗い赤色の鉢巻きをしていた。

 その貧相な容姿は、祭りに参加することもタダ飯を食らうことも認められていないから……ではなく、単にこいつがこういう奴だからだというのは、余裕のある笑みと周囲が男に対し無関心であることから読み取れる。

 指輪にネックレスにピアスまで、どれもルビーの煌めきを発しているため、これで貧乏は通じない。

「ルーシャス、彼は――」

「デルタだろ、どうせ」

「そう、デルタだ!よろしく、ルーシャス殿!」

 握手を求められたがシカトして踊り子を鑑賞する。ホームレス同然の老けた男よりあっちの方が葉巻の味を引き立ててくれるに決まっているからだが、そういえば俺も似たようなものだと思い出しては最悪の味に吐き気がした。

「で?あんたは何のデルタだ?うん?」

「俺は研屋のデルタだよ。今はイシュベルタスのせいでクソ平和になっちまって需要は減ったが、刃物なら何であれキレキレのギンギンにしてやるのよ」

 そろそろ引き上げて王宮で享楽を愉しむつもりだったため機嫌が損なわれる。こいつが現れた理由は分かっているが、それに応じるつもりも、話し込む気も起きないため無言で立ち上がった。

 次いで門番のデルタも立ち上がる。研屋を鬱陶しく思う素振りはなく、何本目かの骨付き肉にありついているものの、こっちのデルタは空気が読める。

「旅の人間は珍しいか。しかし悪いが、俺は祭りの出し物じゃない。失礼させてもらうよ」

「確かに珍しい。もう現れないものだと思っていた。だが、俺が惹かれているのはお前さんとお前さんの得物だよ。なあ、ちょっと触らせてくれよ。その、くどいほど血の香りを漂わせている獣の爪をよぉ」

 適当にほざいているだけかもしれないが執着は本物か。

 この国では人を斬っていいのかと聞き忘れていた。何で誰も彼も名前が『デルタ』なのかは俺には関係ないから放棄したが、より肝心なことを確認していなかった。

 それに、まだ爪を露わにしておらず、今のが適当な評価だったとしても、こいつの言っていることは紛れもなく真実だ。

 歴戦の猛者であればすぐに気が付く臭いに、今まで誰も気付いてこなかったのだから。


 ――例の三馬鹿がステージに乱入した。

 俺としても見飽きて、この研屋でさえ関心のない短剣を以てセンターの女神に襲い掛かった。

 しかし、連中の攻撃はどれもこれも空を切り、隙だらけの部位をエリーネに柔らかく返され、蹴られ、踏まれていく。

 他の踊り子も音楽隊もまるで危機を感じておらず、観衆もそれを演目として優雅に観戦していた。

 カラスたちはわざと遅れてやってきたような衛兵たちにより取り押さえられた。


 そうだ。これは祭りだ。俺もこの研屋を暴力で黙らせてもいいのだ。

 ……つまりは気まぐれで、何となく剣を預けてみるのも一興なのだろう。

 葉巻を吐き捨て、踏み躙って火を消す。それから「見せてやる」と言って抜刀から直接研屋の首へ刃を持っていった。

 同時に音楽が止み、踊り子たちもフィニッシュを迎える。エリーネは右手の親指と一刺し指で円を作り、それで模様のある右眼を囲った。小さな太陽みたいだった。

 呆けた顔で俺たちを眺めていた周囲の男女が短く悲鳴を上げる。女王の妹が殺されかけるのは日常茶飯事だと分かった。

 研屋のデルタは瞬きさえせず、妖怪の笑みのまま鞘から飛び出た銀色の閃光を最後まで見つめていた。

 これでビビるようなら帰らせるつもりだったが、酔狂に乗ってやるくらいの器量はあると判断して剣の柄を預けた。

 門番のデルタが肝を冷やしたように息を吐く。囲う野次馬は暫し静止したままだった。

 パフォーマンスを終え、ファンの拍手喝采に手を振るエリーネが俺を見て逆R字の模様がある右眼でウインクを送ってきた。肩を上下させてそれに応えた。

 同じ王宮前の広場とはいえ、絢爛から遠い暗がりに違いない。研屋は俺たちから背を向けて光眩しいステージの方へ剣を掲げていた。背中でも腐った瞳のままの高揚が伝わってくる。

 門番のデルタが「これからどうする?」と聞くため、「王宮で世話になる」と答えると、先に話をつけてくると言って離れた。話が早くて助かるが、これは研屋の話が長くなるという意味だ。

「見事だ。うん。刃こぼれは最悪で、本来の切れ味も引き出せない状態。それでも切っ先から真ん中手前までに血痕が溜まっていることからツボを押さえていると分かる。まあ、やっぱり技量が全てだもんな。何より柄とその鞘が黒曜石というのは洒落ている。妖刀ではないのに、それよりも妖しく見えて魅惑的だ。香りも良い。これほどの得物は滅多にない。一言で言えば、女みたいな剣だな」

 詳しく解説しているようで、妥当か適当な評価ばかり。もうやめるつもりだったが、つい三本目の葉巻を咥えたところ、傍に火がないのを失念した。

「ほら、礼だ」

 気付いたデルタが懐からオイルライターを取り出して投げてきた。

 受け取って着火し、大きく一口目を含む。まるで、まだこいつの戯言を聞く気があるのを非言語で伝えるように。

「昔は吸ってたんだが、今はやめちまってね。お守り代わりに持ち運んでいたが、もういらんから使ってくれ」

「もう吸わないのか?」

「ああ。体に悪いからね」

「そうなのか。初めて知ったよ」

 酔いが本格化してきたか、または久々だからか、あれほど絶品に思えた毒煙が苦痛でならない。

 手汗をかき始めた。旅の疲れがあるとはいえ、これでは睡眠にも支障をきたす。

「この剣よ、もしかして折れないのか?」

「何故そう思う?」

「その絶対があるからこそ手入れをサボってきたんじゃないのか?」

「剣なんて折れたら新しいものに替えればいいだけだろ。しかし、替える機会そのものが減ると分かっていたから、何でも斬れる剣より絶対に折れない剣を選んだ。それだけさ」

「ほーう。もう分かり切っているが、あんた相当の悪党だな?」

「ああ。この平和を台無しにするかもしれない。だからもう返せ」

 本来ならこの程度で引き下がる男ではないのだろうが、それでも大人しく従い返却してきた。

 相変わらずニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべているが、悔しいことにこいつは俺と気が合うと直感した。

「急ぎの旅でもないんだろ?それなら明日うちに寄れよ。東門の近くで切り盛りしている。客はいないからすぐに対応できるぜ。それとも――」

 デルタは宮殿へ連行されていくカラスたちを見据えてこう言った。

「これからおっ始めるつもりか?それなら急ぎ清掃しなくちゃな」

「何の話だ?」

「いやらしい男だねぇ。祭りの後にあるものといえば、祭りだろ?」

 デルタは俺の肩に手を置き、少し声量を落としてこう続けた。

「東区にはカラスが何匹も蔓延っている。非戦闘がこの国の掟だが、奴らを一匹でも多く狩ればそれだけ民衆から感謝されるものさ。さっきのステージみたいにな。旅人のあんたであれば後腐れもない。葉巻に酒、肉や女。そんなもんでは潤せない、特別な喉の渇きにお悩みの最中じゃないのか?」

「悪いが受けてきた教育が違くてね。お前の伝えたいことがさっぱり理解できなかった」

「そうか、そうか。それは残念なことで」

 あくまで白を切る俺の瞳を覗き、デルタは野次馬だった連中を再度立ち止まらせるほど大笑した。それから俺の肩を三度叩き、心底愉快そうに夜の東へ消えていった。

 葉巻を咥え直す。左の口角が釣り上がっているのにはこの時気付いた。

 一夜を共にしたい踊り子たちも、知り合いになった者たちとも一先ず別れ、異邦の地で改めて孤独となる。

 遠く、高みから誰かが俺を見ている。その視線の方向を見返すもそれ以上は何もなく、しばらくしてから東へ向かった。視線は右側のピラミッドの頂点より僅か下から感じた。

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