拷問師・シダーズ

 害鳥駆除の裏側より。

「暇だな」

「暇……かなぁ」

 サンズアラの未来を占う決戦へ単騎で赴いた、サンズアラ最大の悪がセーフハウスを去ってしばらく経つ。

 ここに留まり吉報を待つ最後の王家は、諸悪の根源に雇われたもう一人の部外者の呑気に呆れつつも、彼がいつもと同じ毅然とした態度でいることによりいくらか安心を得ていた。

 ザーレと共に勝利を。愛する姉を失ってもなおエリーネの望みは変わらない。現存の脅威を諸共に排除し、熱砂の営みに貢献する無辜の民たちはより健全な平和を獲得する。

 エリーネの性格上、生涯で最も周囲の世界が変化しかけているこの頃に、密室で待機に徹するのは苦難に他ならない。腰を下ろすベッドで安らかに眠っている姉の綺麗な相貌を覗き、どうにか逸る気持ちを戒めるも、ジッとしていられず立ち上がっては紳士に「落ち着け。これで三度目だぞ」と叱られる。

 それが彼女の性分で、思考の方は至って冷静。ザーレが言ったように、この後のサンズアラにて自分がどのように振る舞うべきかの目星はついているものの、今この時にも不安に駆られ、戦地と化した屋外に取り残された者がいたらと考えてしまう。

 眼鏡越しに鋭い視線を向けてくる護衛役とはそこそこの付き合いで、僅かな挙動から情動を読まれてしまうため、「カラス共は人斬りの始末に追われている頃だろう。人斬りも連中以外に凶刃を振るうことはないはずだ」と言われ、幼い頃、今は亡き偉い大人たちと揉めた過去を思い出して自重した。

 溜め息、それから煙草に火を点け、密室に紫煙を撒くシダーズ。王家の娘たちにも構わない中年の不遜に怒る気などエリーネにはない。

 更に考えていたことも同じで、シダーズが遠慮せずそれを発言すると、私はまだ独りじゃないと思えて密かに喜んだ。

「あのオカマ、既にこの国から離れているな?」

「え?」

「君も知らなかったのか……。流石は真のカラス、我々と違って自由なものだ。命の恩人に別れも言わず終いとは」

 この時、この場所にいるべき存在の不在。ザーレに新しい装いを置き、二人が味方についたことからエリーネの無事が約束されたと判断し、工作員のオカマはこの地から脱出した。

 おそらく昨夜、人斬りが治療を終えて目を覚ます頃には既に……と、シダーズは眉を困らせるエリーネに無情な推測をぶつける。

「奴からしてみれば好機だったな。イシュベルタス派の人間がこぞってあの若造に注目していた昨夜から今朝にかけてが引き際に他ならない」

「本当にそうかな?別のどこかに隠れていて、良いとこ取りを狙っているのかも」

「衛兵たちの敵味方が謎とはいえ、この戦争自体は至ってシンプルだ。手間など不要なほどに。全く君は、私にスパイに人斬りと、碌でもない輩までも信じてしまうのだな」

 お人好しそのもの。未来のサンズアラの主役がこれで大丈夫かという杞憂は……実はない。それが彼女の信念なのだと知っているからだ。

 シダーズは過信しがちな甘い女王について、それも良かろうと諦めた。

 

 コン。コン。コン。

 

 不意にセーフハウスの扉が外側からノックされ、エリーネはその場で飛び跳ねかけた。

 嫌な予感がする。ザーレが躊躇わず出ていったせいで妹姫の居場所がそことバレるのは覚悟したが、それが本当になってしまったようだ。

 あるいはザーレが出るより前、エリーネがこの小屋に入っていくのを目撃した民の一人かもしれない、という希望もある。エリーネは猛烈な不安に駆られるも、愛する姉が突如として失われた経験から、あらゆる展開を同時に想定できるほどの極致に達している。


 ガン!ガン!ガン!


 再三のノック。今度は扉を壊す勢いで。

 激しい動悸と乾く喉。憤りを伝える暴力の音は次第にエリーネの心を掻き乱す。

 おもむろ、エリーネは自分から扉を開くつもりで歩き出す。

 シダーズがそれを制した。敵であれ味方であれ、この場所が特定されたのならタダでは済むまいと、保護対象と死した女王の遺体を隠す気もなく、人斬りと同じく豪快に扉を開けた。


「こんなところにおられたとは、エリーネ様」


 外には五人の衛兵が神妙な顔付きで待ち受けていた。

 とても、命の危機に晒されている最後の王家を保護しに来たとは思えない、一人としてエリーネの無事に喜ぶ様子を見せない槍持ちの兵たち。

 彼らは見ず知らずの異分子に侮蔑の眼差しを向け、うち一人が「お迎えに上がりました。エリーネ様、こちらに」と、下手な笑みを浮かべて手を差し伸べる。

 奥に女王の遺体があるというのに、それには誰も目もくれず。

「貴方たちは……」

 親睦はなくとも、どれも見知った顔だった。エリーネは感じている危機感が誤解ではないかと思い始める。

 何よりもう限界だった。外に出て、自分の目で状況を確かめたい。

 自分にとって庇護の対象外とは、サンズアラの安寧を揺るがす悪党のみで、彼ら衛兵は勿論その対象内となる。たとえ彼らが自分や姉ではなく、イシュベルタスを支持する派閥であったとしても……。

 エリーネは深く考える前に動いてしまった。動けてしまった。

 手を伸ばし、自分を待つ衛兵の男が口角を歪ませていようと、シダーズたちのように義理を守る悪人もいるのであれば……と、話せば分かり合えるなんて本気で思った。

 エリーネは余裕がなく気付いていないが、衛兵たちは揃って笑いを堪えている。味方のように演技しておきながら、いざとなれば力尽くで連行・分からせればいいのだからと、姫君など所詮は温室育ちの子供に過ぎないと、内側に溜まる嘲笑が外界に漏れかけている。

 エリーネは尚も信じた。本気でその手を取るつもりでいた。

 しかし、エリーネの意志は今度も呆気なく無下にされる。

 衛兵たちが『正体』を現すより先、この場にいるべきでない異分子が、誰も気に留めないほどの自然な動作で本懐を遂げるため行動した。


 シダーズが懐から取り出したのは、煙草でも拝借した宝石でもなく、遠目でも鋭利と分かる剃刀だった。

 どうぞ落としてくださいと言わんばかりに手を出した『先頭』の五本指を捌き、それにより衛兵とエリーネの繋がりは断たれたのだ。


 衛兵は膝を突き慟哭した。他四名は転がる指から自らの不幸を想像して青ざめる。特殊な薬の影響など関係なく、灼熱の土地に相応しくない厚着の紳士に対し、カラスがハヤブサに感じる以上の吐き気に見舞われた。

 衛兵たちが包囲するより先にシダーズが前に出た。懐からもう一本、同じデザインの剃刀を取り出し力を注ぐ。

「シダーズ!」

「こいつらは敵だ。偉そうなことは言えんがね、信じるだけでなく疑うことも覚えた方が身のためだぞ」

「でも、証拠なんてないよ……?」

「人斬りが言っていなかったか?誰も信じるなと」

 倒れる指無しをボールみたく蹴り飛ばし、姉妹の潜むセーフハウスを閉じる。

 衛兵たちは額に汗をかきながら槍を構える。

 対するシダーズは満遍なく睨み、自分にはさして関係のない問答を仕方なくやっておくことにした。扉が僅かに開かれ、中から祈りの視線を感じたからだ。

「神話の残像を追う者たちか、または別の刺客か?何にせよ王政を終わらせたい魂胆に違いはあるまい。だが、それにしても数が少ないな」

 衛兵たちは歯軋り、赤面する。怒りと世知辛さが混ざり、その発散に最適な敵を眼前に置き苛立つ。

「衛兵のほとんどがシシーラ姫の派だったということだ。そうだな?」

「多分……。今朝、声の届く衛兵全員にみんなの護衛を頼んだから、今ここにいるということは……」

「そこまで分かっていたのなら断りたまえ」

「だって、心変わりしてくれたのかと……」

「男を見る目がない。まあ、私たちを頼るくらいだからなぁ」

 やれ、と。唇が焼ける寸前まで咥えていた煙草を吐き捨てる。

 この場で最も機嫌を損ねているのは、出し抜き返された衛兵たちだ。窮地とも思っていない男の態度に怒り心頭……。

「それにしても少ない。私もイシュベルタスのことはある程度知っている。ガッデラや神官長は怪しいものだが、奴を崇拝する者の数はそれなりだったはず。……消されたな?」

 そして、爆発した。

「そうだ!決戦は明朝だと聞いて油断していた!大勢の信徒が昨夜のうちに暗殺されていたんだ!」

「なるほどな。カラスの原点に喰われたか」

「ロゼロ……」

 二本の剃刀も黒鳥がシダーズに残していった土産であり、味方のフリをする神派を事前に削いでおく事こそが、今後もこの国で生きていくエリーネへの土産だったのだ。

 何も言わずに去った彼を惜しむも、荒療治とはいえ何も残さず終いではないのが実にロゼロらしいと、エリーネは独り納得した。

 これ以上の屈辱は許されないが、この瞬間を目の当たりにした者全てを排除してしまえば歴史の闇に消せる。僅か五名となった神官たちは、矛先を紳士の心臓に目掛けて距離を詰める。

 しかし、拷問師・シダーズは焦らない。凶刃に包囲されてもなお、歯を見せて笑っている。

「そう力むな。私はあの若造とは違う。殺しはしない。殺してくださいと懇願する時間をいかに引き延ばすかが私の戦いだからな」

「貴様に用はない!エリーネを捕えたら次はあの人斬りだ!」

「つれないことを言うな。私もある意味では千人斬りを遂げているぞ」

 その文句が火蓋の切除となる。

 薬漬けのカラスとは違い、先行する誰かに倣わねば動けない残党は一斉に拷問師へ襲い掛かる。

 そして、次々と、一本ずつ丁寧に、人体を形成するかけがえのない部位を欠損していった。

 エリーネは途中で扉を閉めた。煙草の臭いと、腐敗前とはいえ姉の遺体が置かれた密室で盛大に嘔吐した。

 独房へ運ばれたカラスたちはシダーズが処分したとエリーネは聞かされているが、厳密には向こうから死を要求し、シダーズはがっかりしながら情けをかけただけ。雑兵とはいえ(開始は)五体満足で自らを殺しにかかる敵の登場に西の狂人は歓喜した。

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