第27話 約束

 空は明るくなりかけてきていた。

 霧のような細かい雨が二人の髪を濡らす。ピエリスが持って来ていた傘をアセビは差して、二人は肩を寄せて歩いた。


 ピエリスが乗ってきた一両だけの列車に乗り込む。てっきり学校に戻るのかと思っていたアセビは、列車が逆方向、つまりアイリスリット鉱山に向けて動き出したことに目を丸くした。


「え。どこ行くの?」

「鉱山です。この路線は鉱山で採掘されたアイリスリット原石を搬出する運搬路に繋がっていますので、そのまま坑道に入ることができます」


 しばらく列車が進むと、大きなトンネルに突き当たった。列車のライトが、深い坑道を照らし出す。

 途中、何度か分岐を切り替え進んだところで、ピエリスは列車を止めた。ライトが照らす先で、トンネルが瓦礫で封鎖されている。


「手を貸してもらえますか?」


 ピエリスが、座席の上に置いてあった木箱を指し示す。せーの、で持ち上げると、かなりの重さがアセビの腕に伝わる。


「こ、これ何入ってるの?」

「爆薬です」

「ばっ……!? まさか、これからアイリスリット掘り出す気!?」


 ピエリスは首を振って、線路を塞いでいる瓦礫を見やった。


「障害物を撤去するだけです」


 ピエリスに指示されるまま、アセビは木箱から取り出した棒状の爆薬を配置して、導線で結んでいった。全ての爆薬の敷設が終わると、導線のリールを転がしながら、ピエリスは列車を安全圏まで後退させた。


「では行きます。三、二、一、爆破」


 カチカチ、とピエリスが手元のスイッチを押す。

 次の瞬間、ドッ、と衝撃波が坑道を駆け抜ける。耳を塞いで伏せていたアセビの身体を震わせた。濛々と立ちこめていた煙が落ち着くのを待って、ピエリスがライトを手に持って列車から降りる。

 吹き飛ばされた瓦礫の向こうは、線路が複数に枝分かれしたターミナル駅のような場所だった。


 ピエリスが持った強力なライトが、線路上で台車に乗せられ布を掛けられた巨体を照らし出した。鋭く尖った二等辺三角形のようなフォルムが、布の上からでもよく解った。

 そのシルエットが、アセビの心を大きく揺らした。

 巨体に駆け寄り、布を止めているロープをもどかしく解いていく。乱暴に布を払うと、真っ赤なカウルが光を跳ね返した。

 大型の浮遊バイクが姿を現した。コルベットと呼ばれる、二人乗りの高速高機動機。

 ハチドリのくちばしのように長いノーズが攻撃的な印象を与える。後部の短い前進翼の付け根には、二発のジェットエンジンが搭載されている。

 真っ赤に塗装されたこの機体を、アセビは誰よりもよく知っている。


「ママのコルベットだ……」


 カウルを指で触れる。埃で汚れるのも気にせず、アセビはコルベットの冷たいボディに頬を寄せた。

 機体のあちこちには、傷や弾痕が刻まれていた。シート付近に、大口径の弾丸が貫いた痕跡を見つけて、アセビの表情がぎゅっと険しくなる。


「ずっとね、乗りたかったんだ……。十二の時にさ、こっそり飛ばそうとして、エルロンぶつけてママにはちゃめちゃ怒られて……」


 ぽろ、と水滴がアセビの頬を転がる。頭の中に、母と共に空を駆けた思い出が次々と現れては消えていく。


「隠していてすみませんでした……これの存在を教えれば、アセビが逃走してしまうと思っていたので」


 アセビの背後でピエリスが呟く。アセビは目元を拭って、苦笑する。


「そだね。ちょっと前のあたしなら絶対そうした」


 アセビの手が後ろから握られる。小さくて冷たいその手を、アセビは握り返して振り返った。


「これでまた一緒に飛べるねっ! どこ行こっか、ピエリス?」


 笑顔で問いかけたアセビは、ピエリスの表情が想定と違い強ばっていることに気づく。


「ケートス」


 ピエリスが言った。問いに対する回答なのだと、少し遅れて気づく。


「け、ケートス? に、行きたいの? なんで?」


 急に、温度が下がった気がした。

 ピエリスがポケットから小さな端末を取り出し、アセビに見せた。画面に表示されていたのは曲線グラフだった。

 グラフの途中までまっすぐ水平を保っていた線が、徐々に降下に転じて、ある一点でグラフの底辺にぶつかっている。


「……なにこれ」

「先程、計算したものです」


 いつも簡潔明朗な話し方をするピエリスにしては、もったいぶった、話の先が見えない言い方だった。


「夜間飛行のとき、違和感を覚えたんです」


 ピエリスの声が地下道に響く。天井から滴り落ちる水滴が一定のリズムを刻む。その音がアセビには、徐々に間隔が狭まるカウントダウンのように聞こえる。

 ピエリスはグラフを指さして言う。


「これは、軌道計算です」


 嫌な予感がした。いやだ、聞きたくない、アセビは本能的にそう思う。しかしピエリスの言葉を遮る方法を思いつくより先に、ピエリスが答えを口にしてしまっていた。


「あと一週間で、月の破片が地上へ堕ちます」


          ◇     ◇     ◇


 二十年前に破壊された月は、大小無数の破片となって惑星の軌道上を漂っていた。そのひとつ、地上から見上げればほんの芥子粒ほどの大きさに見えるそれが、地上へ落ちる軌道を描いている。


 原因は、ひと月前。ケートスが主砲を発射したあの日。大型船がリーゼクルス島目前で墜落し、乗員全員が死亡した、あの事件。

 発射されたケートスの主砲、アリスリット臨界放射線射出装置の砲撃は、共和国の輸送船だけでなく、その遙か彼方の軌道上をも射貫いていた。

 軌道上を漂う月の破片のひとつが、運悪く直撃を受け爆散。無数の破片が散り散りとなった。破片は衝突に衝突を重ね、そのうちのたったひとつが、ビリヤードの球のように安定した軌道から弾き出された。

 ほんの僅かな変化は、しかし時間と共に取り返しの付かないレベルまで亀裂を広げ、そして。


「……一週間しかないの?」

「はい」

「落ちたら、どうなるの……?」

「破片の大きさは約1.5キロ。落下予想地点は大南洋沖900キロ。高さ五百メートル以上の津波が世界中を襲います。浮遊大陸も巻きこまれる高さです。そのあと、猛烈な熱波によって火災が発生、地上の四十パーセント以上が灼き尽くされる可能性があります。火災が収まっても、舞い上がった粉塵により太陽光線が遮られ、数年単位で惑星は寒冷化。多くの動植物が息絶えるでしょう」 


 これがもし、二十年前の文明が健在だった世界だったらまだ希望はあっただろう。しかし、今の分断され滅びかけた人類にとっては、トドメの一撃としか言いようがなかった。


「で、でも。なんとか……なるんでしょう?」 


 ピエリスから説明を受けても、アセビはまだ絶望していなかった。

 ピエリスはケートスへ行くと言った。それはきっと、ケートスならこの危機を打開できるからに違いない。たとえば、


「ケートスの主砲で破片を撃ち抜くとか?」


 アセビの提案に、ピエリスは首を振る。


「ケートスが最後の砦になることは間違いありません。ですが主砲はもう使えません」

「なんで!?」

「ケートスの主砲は二十年前の月破壊の際、過剰なエネルギーの流入で壊れていました。そこに、ひと月前の砲撃です。既に砲身は損壊し、ケートスに戦略兵器としての能力はありません」

「じゃあ、どうやって……」


 口にしかけ、気づく。


「ケートスが最後の砦って、言ったよね?」

「はい」

「ケートスはもう、主砲が撃てないんだよね?」

「はい」 

「……まさか、「ケートス」で月の破片を受け止めるつもりなの……?」 

「……はい」


 ほかに方法がありません、そう言うピエリスの顔が前髪で隠れる。


「月の破片を受け止めたら、ケートスはどうなるの?」

「正確には受け止めるのではなく、衝突の直前で主機のアイリスリットを臨界させ、破片ごと消滅させます。なので……」


 ピエリスの視線は足元に落とされたままだった。 


「ピエリスは、ケートスの一部、なんだよね?」


 アセビの口調は、知らず責めるような語調になっていた。 


「……はい」

「ケートスが破壊されると、ピエリスはどうなるの?」


 落としていた視線を持ち上げて、ピエリスがアセビを見つめる。


「……アセビ、わたしはあなたと過ごしたこの夏が、ずっと続けばいいと思いました。これまで、こんなこと一度もなかったのに」


 まただ。ピエリスが回りくどい話し方をしている。

 出会ったばかりの頃のピエリスからは想像もできない、悩み多き少女のような話し方。今はそれが許せなかった。


「ごまかさないでよ! ケートスが堕ちるとピエリスはどうなるの!? はっきり言ってよ!」


 ピエリスの顔に貼りついていたぎこちない笑顔がしぼんでいく。

 良かれと思ってやったことで叱られる子どものようで、アセビの胸が締め付けられる。それでも怒鳴らずにはいられなかった。


「言ってよ!」

「……死にます」


 アセビははっきりと首を横に振った。


「やめよ。ケートスには行かない。月の破片だって、落ちたって大丈夫だよ。二十年前だって世界はめちゃくちゃになったけど、それでも今こうしてあたしたちは生きていられるでしょ?」 

「その考えは楽観的すぎます。わたしの計算では————」

「計算なんて!」


 ピエリスの肩を掴む。


「ピエリス、分かってる!? あんた、自殺しようとしてるんだよ!?」


 これまで何度組み伏せようとしてもびくともしなかったピエリスの身体が、されるがままに揺さぶられる。 


「わたしひとりの命で、アセビやこの世界を救えるのなら上出来でしょう」


 その一言に、アセビの理性は決壊した。

 気がつけば、右の手の平に火に触れたような熱と痛みが走っていた。目の前で、ピエリスが左の頬を赤くして顔を背けている。地下道の暗闇に、ぱぁん、とかすかな木霊が吸い込まれて消えた。


「馬鹿なこと言わないでよ! しょうがないことみたいに言わないでよ! なんで、どうしてそんな平気な顔で言えるの!?」


 涙のにじむ瞳で、アセビはピエリスを睨む。そして気づく。ピエリスの拳が硬く握り締められ、かすかに震えていることに。


「アセビ」


 ピエリスに呼ばれ、アセビはなぜかたじろぐ。ピエリスがまっすぐにアセビを見つめて、握り締めた拳を胸に当て、言った。


「あなたのことが好きです、アセビ」


 頬を張られたかと思った。


「あなたは、わたしを変えてくれました。アセビのお母様のこと……わたしが忘れてしまった過去の存在も気づかせてくれました。アセビと過ごしたこの夏が終わってほしくない、そんな気持ちにさせてくれました。

 わたしはケートスの一部。結局は兵器の部品です。そんなわたしがこんな感情を抱くのは、本来ならば間違ったことなのでしょう。

 でも、今それを咎める人は居ません。それでもわたしはこの二十年の間、理由も目的も分からないまま漫然と兵器であることを選び続けていました。

 アセビがくれたこの夏の日々が、わたしを、自由にしてくれたんです。

 前にアセビは言っていましたね、出会った人との思い出を、ひと一倍大切にする、と。

 だからどうか、忘れないでください。わたしのこと、わたしと過ごしたこの夏のことを。

 あなたがこの夏を忘れずいてくれるのなら、兵器ではなく、アセビにとって大切な存在としてわたしは最期を迎えることができます」


 アセビは言葉もなく、ただ震える手を振り上げた。ピエリスは観念したように目を伏せ、

 ぱあん、と甲高い音が鳴り響く。ピエリスがハッと顔を上げる。

 アセビが、自分の頬をはり飛ばした手を握り締め、真っ赤になった頬に涙のかけらを散らして、ピエリスをまっすぐ見据えていた。


「ごめんピエリス。やっぱり、納得できない」


 寂しげに顔を伏せたピエリスは「でも、」と続いたアセビの声に顔を上げる。


「世界が壊れるのは嫌。だって、これからピエリスと一緒に旅する世界だから」


 ピエリスが息を呑む音がした。


「あたしとピエリスなら、世界を守れるのよね?」

「はい」

「あたしは、どうすればいい?」

「わたしを、ケートスに連れて行ってください」

「わかった。ピエリスをケートスへ連れていく。それがあたしへの依頼。いい?」

「はい」

「依頼は絶対に達成する。だからその後は、ピエリスもあたしに協力して」

「アセビ……?」

「あたしは諦めない。絶対にピエリスを死なせない! なんとかしてピエリスをケートスから自由にしてみせる」


 溢れ出る涙をそのままに、アセビは語気を強める。


「二人で行って、二人で帰ってくる。そのために最期の最期まで足掻く。約束よ」


 ピエリスの身体から緊張が抜けていく。柔らかく穏やかな微笑みを浮かべて頷く。

 アセビが一緒にいてくれる。たったそれだけで、ピエリスの胸には安堵と喜びが広がっていく。


「はい、約束です」

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