第34話 旅立ち

 基地に向けて飛ぶ原付の車上、ピエリスが申し訳ない顔で俯いた。


「すみませんでした。屋上に出た直後に銃撃されて、飛び立つほかなく……」

「いいって。ピエリスの判断は間違ってないよ。それに、タイミングばっちりだったじゃない。あたし、すぐにわかったもん。ピエリスがやろうとしていること」


 アセビはいつものように座席の前に収まっているピエリスを抱きしめる。

 ブラウスとスカートだけでは、夜明け前の空は寒かった。いつもはひんやりと冷たく感じるピエリスの身体から、ほのかな温もりが伝わってくる。


「さっきのジャンプもそうだし、ほら、厨房で皿投げたのだって一発で解ったし。ピエリスひと言も言ってないのに。やっぱり、あたしたち相性バツグンじゃない?」


 腕の中でピエリスが身じろぎする。アセビの腕から逃れるのではなく、より身体を密着させるようにシートに座り直した。


「そうですね」


 短く、素っ気なくピエリスが答える。けれど、アセビに抱きかかえられるピエリスの顔は耳まで赤くなっていた。


 原付はまもなく基地上空に到着した。コルベットを格納しているバンカー近くに着陸地点を探して、アセビは原付の速度を落としてホバリングさせる。


 その一瞬を、捕食者は見逃さなかった。


 赤い光が、原付の傍らを空へと駆け上っていった。ほんの一瞬遅れて、削岩機が岩を抉るかのような轟音が二人の足下で轟く。


 とっさにアセビは原付の機体を横滑りさせた。

 直後、無数の曳光弾の光跡が、さっきまで原付が浮かんでいた空間を引き裂いていく。二人の足下には、半壊した蒲鉾型の格納庫があった。その屋根を機銃でズタボロにした犯人が、屋根を突き破って姿を現した。


 トビグモは、「跳ぶ」。


 戦車ほどもある巨体が、原付がホバリングする高度三十メートルまで跳躍した。

 振り上げられていたマニピュレータが斧のように振り下ろされる。


 アセビは原付のスロットルを開く。

 そのままではトビグモの足に自ら突っ込みそうになる機体を、左に横転させる。

 ピエリスもアセビの意図を悟り、身体を倒すと同時にアイリスリットの出力を上げる。横転した状態で吹かされたプロペラが機体をトビグモから遠ざける。

 トビグモに晒された原付の底部スレスレを、鋼鉄の爪がかすめ去って行く。


 直撃の回避に成功したものの、機体を横倒しにしたせいでバランスが著しく乱れた。

 その上トビグモの一撃が生んだ気流に巻き込まれ、軽い原付の機体は木の葉のように振り回される。

 アセビはとっさにアクセルを微調整し、せめてものあがきとしてトビグモからの距離を取る。


 横倒しになった原付が地面に向かって降下していく。地上がぐんぐん近づく。格納庫の隙間、トラックが一台朽ちた道路に墜落していく。


「飛び降りるよ、ピエリス!」


 ベルトを解き、アセビはピエリスを抱いてシートを蹴った。ピエリスのアイリスリットを失い、ただの鉄の塊となった原付が地面に激突する。フレームを歪ませ、主翼をバラバラにさせながら、原付は朽ち果てたトラックに激突した。

 ピエリスはアセビの腕の中で、アイリスリットを輝かせて落下速度を相殺。それでも二人は勢いよく地面に叩きつけられ、数メートル転がった。


「ぐぇうぅ……いっでぇえええ〜……ピエリス、だいじょうぶ?」

「わたしは平気です。アセビこそ、傷が」


 アセビの腕の中から這い出たピエリスが、アセビの腕に触れる。

 リナリアに撃たれた二の腕から、血が流れ出ていた。ピエリスはスカートのポケットからハンカチを取り出して、きつくアセビの腕に巻き付ける。レースが付けられたハンカチに、じくじくと鮮血が染み渡っていく。


「あーあ。血塗ちまみれになっちゃうよ」


 もったいない、と呟くアセビに、ムッとした顔のピエリスが言う。


「わたしと違ってアセビの身体はもろいんですから、わたしを守って怪我するのはやめてください」

「でも、あたしの方が身体大きいでしょ? だから必然的に抱っこされるのはピエリスの方」

「抱っこ……、そういう話をしているのではなくて、」


 ズン、と地面が揺れる。ベキベキと建物がひしゃげる音が近づいてきた。


「……今度はわたしが注意を引き付けます。アセビがコルベットの発進準備を」

「わかった」


 アセビは頷いて、ピエリスを抱きしめた。


「すぐ迎えに行くから、死んじゃだめだよ」

「もちろんです」


 一瞬の抱擁を解き、二人は別々の方向へと走り出す。


          ◇     ◇     ◇

 

 バンカーに駆け込んだアセビは、前もって運び込んでおいた燃料タンクからコルベットに燃料を補給する。

 燃料計のゲージがゆっくりとしか上がっていかないのがもどかしい。そうしている間にも、ピエリスがトビグモと交戦している音が聞こえてくる。音は少しずつ遠ざかっていくのが解った。このままだと、ピエリスが取り返しの付かない場所まで離れてしまうのではないかと恐ろしくなる。


「はやくしなさいよ!」


 ポンプを叩く。ちょうどそのタイミングで、燃料計が満タンを示した。

 ホースを引っこ抜いて、アセビはコルベットの操縦席に滑り込む。主機に点火。グン、と唸りを上げてコルベットの巨体が貨車の上で浮き上がる。

 焦るアセビがエンジンに点火しようとした瞬間、ガクン、と機体が揺れた。アセビはコルベットが貨車にロープで固定されていることを思い出す。このままでは飛び立てない。


「んもう!」


 悪態をついてアセビはシートから飛び降る。ロープを解こうとしたそのとき、建物が崩れる音が聞こえた。基地のターミナル駅の方向だ。ピエリスがまだ戦っている。このままトビグモを残して飛び立てば、背後から撃ち抜かれかねない。冷静になれ。アセビは目を閉じて、一度深く息を吐く。


「助けなきゃ」


 目を開いたアセビは、覚悟を決めた瞳で、コルベットが乗った貨車の車止めを蹴り飛ばした。


          ◇     ◇     ◇


 ピエリスはトビグモ相手に手間取っていた。

 広いスペースが多い基地の敷地内はトビグモの独壇場だった。

 

 ピエリスの手には爆薬が握られている。コルベットを隠していたバンカーの入り口を吹き飛ばすのに使った余りだ。

 布で包み、グリスを塗りたくった即席の粘着爆弾は、トビグモを撃破するには威力は充分。しかし、いかんせんトビグモの動きが速すぎて、接着することができない。よしんば設置できたとしても、起爆までの数秒間トビグモの動きを止めなければこの程度の粘着力では簡単に剥がされてしまう。

 一瞬でいい。トビグモの動きを封じる必要があった。だがそれをトビグモは許さない。

 ピエリスはジリジリと後退しながら、トビグモを基地のターミナル駅に誘い込んだ。鉄骨で組まれた天井を落としてぶつければ、トビグモの動きを封じられるかもしれない。


 アセビは上手くいっているだろうか。

 ふとピエリスは心配になる。燃料を補給して、主機に点火して、コルベットが安全に飛び立てる場所まで動かさねばならない。やっぱり彼女一人に任せるのは失敗だっただろうか。自分が一緒にいてあげた方が良かったのではないだろうか。けれど、そうしたらアセビまでこのトビグモに襲われることになってしまう。


 それに、自分が手こずったせいで兵士たちに追いつかれてしまったら。最悪の場合には、アセビだけでも逃げて欲しい。自分と一緒では、ずっと危険と隣り合わせになってしまう……


 ネガティブな思考に引きずられ、ピエリスの注意が一瞬疎かになる。

 その結果、普段の彼女なら絶対にしないであろう、レールにつまずくというミスを犯した。


「あっ……」


 線路上に倒れたピエリスを、巨大な影が覆う。即座に地面を蹴って、ピエリスは頭上から自分を押し潰そうとしたトビグモの巨体から逃れる。


 後ずさったピエリスの背が、コンクリート壁にぶつかる。駅のホームから一段下がった線路上で、ピエリスはトビグモに追い詰められた。トビグモが長い脚を左右に広げ、ピエリスの退路を塞ぐ。

 巨大な油圧カッターの光るマニピュレータが、ピエリスの胸からアイリスリットを引きずり出そうと迫り——


 轟音が、ターミナル駅に近づいてきた。

 

 ジェットエンジンの排気音。

 とっさにピエリスは空を仰ぐ。しかし空に機影はない。エンジン音はどんどん大きくなっていく。


 エンジン音に、突撃を鼓舞する雄叫びのような、あるいは単なる悲鳴が混じる。


「うおらぁあああああああああああああッ!!」


 次の瞬間、コンテナを積んだ貨車がトビグモの土手っ腹に衝突し、ピエリスの視界からその巨体を消し去った。

 衝撃と火花をまき散らし、突き飛ばされたトビグモは線路の終わりでコンクリート壁とコンテナに押し潰された。衝突の勢いで持ち上がったコンテナの後部が地面を叩き、激音がターミナル駅を震わせる。


 コンテナ貨車をここまで押しやってきたのは、貨車に縛り付けられた真っ赤なコルベットだった。恐怖と興奮に目を血走らせたアセビが拳を突き上げ吠える。


「どおだぁオラァあああーッ!!」


 ピエリスは立ち上がり、衝突で舞い上がった粉塵の中に飛び込んだ。トビグモはまだ生きている。

 センサーポッドを苛立たしげに振り回し、ひしゃげたコンテナにめり込んだ脚を引き抜こうと藻掻いていた。

 トンッ、と軽い音を立てピエリスがトビグモの胴体に飛び乗る。即座にピエリスを撃ち抜こうと旋回した機銃に対して、ピエリスは右足を一閃。根元からへし折られた機銃が宙を舞った。


 ピエリスは機銃とセンサーユニットの間にある、ノート一冊程度の大きさしかないハッチに粘着爆弾を押し付けた。

 時限信管を叩いて起動させる。ほぼ同時にトビグモの脚がコンテナから引き抜かれてピエリスを弾き飛ばそうと振り払われるが、そのときには既にピエリスの身体は空中にあった。


 ピエリスの身体が空中で仰け反り、一回転する。

 同時に、爆薬が起爆する。数少ないトビグモの弱点が、爆発で生じた衝撃波とメタルジェットによって吹き飛ばされる。

 トビグモのセンサーが明滅し、やがて光が消える。振り回していた脚が力尽き、ホームのコンクリートの上に叩きつけられた。

 ピエリスは危なげなく着地すると、コルベットに歩み寄る。


「ありがとうございますアセビ。おかげで助かりました」

「あ、あはは……めっちゃ怖かった……。あれ? ピエリス靴下片っぽどうしたの?」


 放心しかけていたアセビが、右足だけ生足を晒しているピエリスに首を傾げる。


「くっつき爆弾に使いました」

「……くっつき爆弾〜〜?」


 ピエリスが普段言いそうもない語感に、アセビの語尾が跳ね上がる。


「靴下に爆薬を入れて、グリスでべとべとにするんです」

「それで、トビグモ倒したの……?」

「はい」


 涼しい顔で頷くピエリスに、アセビの張り詰めていた緊張の糸がぷちん、と切れた。


「く、靴下で、トビグモを……くくっ、くっつき爆弾……」

「どうして笑うのですか?」


 腹を抱えてゲラゲラ笑うアセビに、ピエリスが不満げな顔になる。


「い、いや、すごいなぁって? んふっ、靴下でトビグモ倒したエリーちゃん、んふっ」


 肩をヒクヒク震わせ、口元を押さえて顔を背けるアセビ。ピエリスはムッとした顔でコルベットの後席に滑り込むと、ドス、とアセビの背中に拳をぶつける。


「笑ってないで行きますよ。わたしは早く飛びたいんです」


 その言葉に、アセビの表情がぱっと華やいだ。目尻に涙の粒を光らせて、アセビが応じる。


「あたしも!」


          ◇     ◇     ◇


 コルベットが飛び立つときは普通、アイリスリットで安全高度まで上昇してからジェットエンジンで加速していくものだ。だが、二人が置かれた状況下では、呑気に上昇などすれば撃墜される恐れがある。


「だからといって、これは危なくはないですか?」


 かすかに不安の滲むピエリスの声に、アセビは笑って答える。


「だぁーいじょぶだって。ピエリス、ひょっとして怖いの?」

「アセビが怪我するのが嫌なんです」


 ピエリスの言葉に、アセビはにやけそうになる口元を隠した。

 コルベットを乗せた貨車は基地のターミナル駅を出て、島の南斜面を下る線路上に停車していた。緩やかに下る真っ直ぐな線路を、アセビは滑走路代わりに使おうというのだった。


「大丈夫大丈夫! それにもう戻る時間ないでしょ?」


 どうあってもこの離陸方法を試したいアセビにピエリスは溜息をつく。


「わたしが危険と判断したら、即座にロープを切りますからね」

「はぁ~い」


 アセビが間延びした答えを返すと、腰にピエリスの腕が回された。


「ピエリス?」

「事故を起こして投げ出されては困りますから」

「大丈夫だってば。ほら、ちゃんとベルトだってしてるし……」


 前後に並ぶコルベットの座席はそれぞれシートベルトが装備されている。バイクの二人乗りのように運転手の腰に腕を回す必要はないのだが……

 ピエリスの顔を覗き見たアセビは、ピエリスの頬がほんのりと赤らんでいることに気付いて口を閉ざす。


「わたしが、こうしていたいんです」


 ボソッと、ピエリスが呟く。


「うん……! わかった。それじゃ、行くよ?」

「はい」


 前に向き直り、アセビはスロットルをゆっくりと開く。ジェットエンジンが蒼い炎を後方に伸ばし、ブレーキを掛けられた貨車がぐっ、と前方に沈み込む。


 東の空が明るみ始めていく。夜闇の中から、島の全貌が照らし出されていく。一匹だけ鳴いていた気の早いセミが、轟音に驚いてジジッと一鳴きして飛び立った。


 アセビは貨車のブレーキレバーに結びつけたロープを勢いよく引く。ブレーキが解除されると、まるで見えない足に蹴られたようにコルベットを乗せた貨車が走り出した。

 真っ直ぐな下り坂を、ジェットエンジンで加速されたコルベットが駆け抜けていく。潮の匂いを孕んだ湿った風がアセビの髪をはためかせる。

 機速計を見る。もう充分だ。


「今!」


 叫びながらアセビは左側、ピエリスが右側でロープを切断する。

 アセビが操縦桿を優しく引くと、レールから伝わる振動がフッ、と消える。そのまま更に操縦桿を引く。二人を乗せたコルベットが、ジェットエンジンを轟かせながら夜明けの空に飛行機雲を刻み付けながら駆け上っていく。上昇負荷で身体がシートに押し付けられる感覚が心地よかった。


 島の風景が遠ざかっていく。この一月の記憶がアセビの中で浮かんでは消えていく。名残惜しくなり、アセビは旋回しようと操縦桿を倒しかけた。だが、その手はすぐに止まる。

 これで見納めなんかじゃない。絶対、ピエリスと戻ってくるから。

 胸の内にこみ上げる不安と感傷を振り払い、アセビはピエリスに問う。


「ケートスは?」

「東へ」

「了解!」


 アセビはコルベットの機首を東へ向ける。

 雲を突き抜けると、リーゼクルス島の姿はそれきり見えなくなった。

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