第33話 脱出
囚われの身となっていたピエリスを救い出し、二人は再び校舎の中に戻っていた。
目指すは、二人が寝泊まりしていた部屋の屋上。そこに、原付が駐機してある。
教室のひとつに窓から侵入し、二人は中庭を抜けて宿泊棟の屋上を目指すルートを採った。しかし、中庭に足を踏み入れたところで、ピエリスが足を止める。
木の根元に腰を下ろしていた人影が立ち上がり、二人の前に立ちはだかった。腰に吊っていた拳銃を抜き、銃口をピエリスに向ける。
「どこへ行くつもりだ。アセビ」
銃を向け問うリナリアに、アセビは毅然とした態度で応じる。
「あたしは、ピエリスと一緒にケートスへ行く」
リナリアの眼光が針のように鋭くアセビを貫く。
「お前はそんな人間まがいを選ぶつもりか。シオンが知ればお前に失望するぞ!」
アセビは首を振る。リナリアの言葉に頷くことはできなかった。リナリアは、アセビの選択が悲劇を生む前提でしか語っていない。そこが認められなかった。
「ママは失望なんてしない。絶対に。ねえ、リナ姉」
「……なんだ」
「二十年前、月を壊したのは、ママなんだ」
アセビの言葉に、リナリアはしばしの間言葉もなく立ち尽くした。やがて、乾いた笑いがリナリアの口から零れる。
「ふざけたことを言うな」
「本当。この子、ピエリスも一緒だった」
リナリアは困惑の表情を浮かべる。
「何を言ってるんだ、お前は……。だいたい、そんな話、」
「一年前、ママはこの島に来てたの」
「シオンが……?」
リナリアの瞳がゆっくりと見開かれる。驚愕と、希望の色が彼女の瞳に浮かぶ。あのときの自分もこんな顔をしていたのかとアセビは思い、胸が痛くなった。
「どこに行ったんだ! 知ってるんでしょ? アセビ、教えなさい!」
詰め寄るリナリアを、アセビは直視できなかった。
ただ黙って視線を落として、すぐそこの地面を指さす。
リナリアの足が止まる。アセビが指さす先に、リナリアの視線が落ちる。
簡単な墓標が突き立てられただけの墓に。
リナリアが動きを止める。彼女が何を見ているのか、何を思っているのか、アセビにはわかった。
きっと、あのときの自分とおなじだから。
リナリアが墓前に跪く。祈りを捧げるように、救いを求めるように差し伸べられた手が、錆びかけた認識票を掴み取った。
「ママはね、この島の生まれだったの。そこでピエリスと出会って、何かが起きた。ママは月を壊して、この世界であたしを生んだの。リナ姉を助け出して、魔女として育てたの。それで……」
「ちがう、これは、こんな……」
認識票を凝視するリナリアの口から、否定の言葉が切れ切れに溢れ出す。
「ピエリスが、最期を看取ってくれた。ママはね、ピエリスに会うために、この島に来たの」
リナリアの瞳から涙が零れる。堅く引き結んだ唇がかすかに震えていた。
「なに、それ……」
リナリアが立ち上がる。ぽつ、と彼女の足下に水滴がしたたる。
認識票を握り締めたリナリアの拳から溢れる鮮血にアセビは息を呑む。
「リナ姉……?」
肌に食い込むほど強く認識票を握り締めたリナリアの拳から、チェーンを伝ってぽたぽたと血がしたたり落ちる。
「それじゃあ、私は今まで何のために──……」
リナリアが右手を鋭く振る。
持ち上げられた銃口がピエリスを狙い————
夜の校舎に、銃声が木霊した。
ピエリスに覆い被さって押し倒したアセビは、左腕に走る痛みに呻き声を上げた。
「アセビ!」
ピエリスが悲鳴を上げる。アセビの左の二の腕、制服を切り裂いて血が溢れ出していた。
「だい、じょうぶ……! 掠っただけだから」
リナリアは右手に拳銃を、左手に血にまみれた認識票を握り、シオンの墓前にくずおれた。その目は呆然としたまま、墓碑銘すら刻まれていない墓標を見つめている。
「行こう」
アセビは立ち上がり、ピエリスの手を引く。先ほどの銃声で、兵士たちが警戒態勢に入っている。リナリアの傍らを駆け抜け中庭を出ると、二人は屋上へ続く階段へと姿を消した。
リナリアは墓前にへたり込んだまま、そっと左手を持ち上げる。滲み出た血で汚れた手の中で、認識票が鈍く光を照り返していた。
ぽとり、と透明な雫が、認識票を汚す血を薄くにじませた。
「わたしでは、ダメだったのですか……」
◇ ◇ ◇
校舎の中に飛び込んだ瞬間、ピエリスがアセビの腕を強く引いた。
よろけたアセビの傍らを、ひゅん、と銃弾が掠めてガラスを割った。転がるように二人は廊下を走り、食堂に滑り込む。背後で銃声が響き、マズルフラッシュが暗い食堂内を照らし出す。
厨房に忍び込むと、ピエリスが皿が仕舞ってある戸棚を開ける。
棚の奥に手を突っ込んだピエリスの腕が「べりっ」という音と一緒に引っこ抜かれる。その手には、テープが貼り付けられた黒い円筒形の物体が握られていた。
手榴弾だった。
「……あんた、学校中にそういうの隠してるわけ?」
「ええ、まあ」
「ひょっとしてあたしたちの部屋にもあったの?」
「あの部屋が一番多いですね」
「マジ……」
はっ、と引きつった笑みをアセビは漏らす。その直後、食堂の暗闇をフラッシュライトの閃光が切り裂いた。
ふたりは同時に口を
アセビは頷くと、勢いよく皿を食堂ホールに向かって放り投げた。宙を舞った皿が、テーブルにぶつかって砕け散る。ホールにやかましい音が響き渡った。食堂に侵入していた兵士たちがサッと反応し、音のした方へとライトの光が向けられ——
兵士たちの背後に、ゴトッ、と重いものが落下する音がした。
「グレネード!!」
一人が叫び、兵士たちがその場を飛び退いて床に伏せる。直後、耳をつんざく爆音と閃光が爆発し、食堂の中を真っ白に染め上げた。
その間に、厨房の通用口が開いて二人の少女が抜け出していくことに気付いた兵士はいなかった。
厨房から抜け出した二人は、建物奥の階段を屋上まで駆け上った。屋上出入り口の脇に置かれていたロッカーを傾けると、底板と床の間から手榴弾が転がり出てきた。
拾い上げようとしたピエリスに前に肩を割り込ませて、アセビが手榴弾を掴む。
「ピエリスは先に行って」
「しかし」
「ピエリスがいなきゃ原付は飛べないんだから。足止めしたらすぐ出るから、準備しといて」
ピエリスは物言いたげな表情を浮かべたが、すぐに立ち上がる。
立ち去り際、いきなりピエリスが腰をかがめた。
しゃがんだままのアセビの額に、ピエリスのひんやりとした唇がやさしく触れる。
「無茶しちゃ、だめですよ」
「な、は……え?」
口をパクパクさせながら額に触れるアセビに、ピエリスが口元に笑みを浮かべて言った。
「さっきのお返しです」
「き……」
アセビの顔が真っ赤に染まる。
「気づいてたんなら言いなさいよぉ!」
怒鳴るアセビの顔を満足げに見ると、ピエリスはドアのすき間から屋上へ駆け出していく。
ピエリスの姿が見えなくなると、徐々にアセビの口元がゆるみ出した。
なんてこった! ピエリスがおでこにキス!?
アセビはこみ上げる笑いにその場で足をジタバタさせた。
「黒髪の方は無力化しろ。どうせアイリスリットにしか用はないのだ」
そのとき、階段下から兵士たちの声が響いた。にやけきっていたアセビの顔が一瞬で真顔になる。
手榴弾のピンを固定していたテープを剥がして、慎重にピンを抜く。怒りと一緒に手榴弾を階下に放り込んだ。
「ピエリスに近づくな、バカヤローッ!!」
カンカンッ! と手榴弾が転がる音と共に、兵士たちが慌てふためく声が響き渡る。爆発音が校舎を揺らし、アセビは「おととい来やがれーッ!」と捨て台詞を残して屋上に躍り出る。
ドアを開けたとたん、頭上で銃弾が跳ねた。屋上建屋のコンクリートが削られて、アセビの頭に降り注ぐ。慌ててその場に伏せると、向かいの屋上で兵士が怒鳴った。
「その場を動くな! 動けば撃つぞ!」
「うっさいバーカ!」
気丈に怒鳴り返したアセビだったが、屋上にピエリスの姿がないことに凍り付いた。
まさか、撃たれたの……?
アセビを凍り付かせた恐怖は、しかし耳慣れたプロペラ音で溶け去った。
アセビは立ち上がって走り出した。兵士が慌てて銃を構える。
放たれた銃弾がアセビを掠め、足下で跳弾するがそれでもアセビは足を止めなかった。一瞬背後を振り返る。アセビの予想は間違っていなかった。
校舎の壁スレスレに、まっすぐこちらに突っ込んでくる原付の機影。
ひび割れだらけの屋上をアセビは強く蹴った。細い手すりの上に飛び乗り、そのまま走る。向かいの屋上で、勘違いした兵士がアセビを制止している。唇の端を持ち上げて、アセビは手すりを蹴って屋上から宙に身を投げた。
一瞬の浮遊感、直後にアセビの手をひんやりした手が掴み取った。指を絡ませた手を引いて、アセビは原付のシートに滑り込む。
身体の前には、ずっと前からそうしていたように、ピエリスの小柄な身体が収まっている。急な重量増に原付が沈み込む。ピエリスがアイリスリットの出力を跳ね上げ、アセビはスロットルを開いた。
プロペラが甲高く鳴り響いて、二人を乗せた原付が空に駆け上る。
「じゃ~ね~!」
屋上であんぐりと口を開ける兵士に手を振って、アセビは原付を急旋回させた。
目指すは空軍基地跡。
赤いコルベットが待つ、旅の出発点だ。
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