第32話 眠り姫


「起きろ」


 強烈な刺激臭がアセビの意識を強制的に覚醒させた。頭痛と眩暈がひどい。目の前には、気付け薬の小瓶を手にしたリナリアの姿があった。


「ぐ、いったぁ……!」


 首筋に残る痛みに毒づきながら、アセビは自分の置かれた環境を把握する。特別教室棟地下のボイラー室。

 内心、しめた、と思うが、表情にはおくびにも出さずアセビはリナリアを睨む。


「リナ姉、いいこと教えてあげる」

「……言ってみろ」

「月の破片が、地上に落ちる。あたしとピエリスはそれを止めるためにケートスに行くつもり」


 リナリアは鼻で笑う。


「どうせつくならマシな嘘を言え。こっちは貴重な物資や人員を使った正式な軍事作戦だ。お前に協力の意思がないなら、このままここに置いていく」

「それでリナ姉はケートスを手に入れるって? それが魔女のやることなの?」


 反抗的な眼差しのアセビに、リナリアがため息をつく。


「魔女に世界は救えない」


 覚悟と諦めの混じった眼差しで、リナリアは言った。


「数年以内に、この世界は再び戦争に突入する。理由は明白だ。大地から切り離された土地では、人間は生きていけないからだ。資源は刈り尽くされ、人は飢える。オルクを殲滅し、他者の土地であろうとなかろうと蹂躙し占領し支配しなければ、後に残されるのは滅びへの道だけだ」


 リナリアの言うことは正確な現状認識に基づいたものだった。しかし、アセビにはそれがまったく無意味に聞こえる。


「数年後に、戦争をできるほど人類は生き残ってないよ、リナ姉」

「月の破片が地上に落下するからか? だれがそんなことを言った? あの人型のオルクか? そんな言葉を信じて、お前は奴をケートスへ連れていくつもりなのか?」

「ピエリスは、オルクなんかじゃない」

「見た目に騙されるな。アレはオルクだ。ケートスの中央制御装置として作られた人造魔女だ。ケートスへ連れて行ってみろ、何をしでかすか。それこそ、二十年前の二の舞になるだけだ」

「ピエリスはそんなことしない!」


 声を荒げ、アセビはハッとする。ピエリスはそんなことしない。本当に? 二十年前の月の破壊にピエリスは関わっているかもしれない……いや、かもではない。ケートスが主砲を放った以上、そこにピエリスが無関係なはずないのだ。

 言葉に詰まったアセビを尻目に、リナリアは立ち上がる。


「今のお前を見たら、シオンは何というか」


 失望を滲ませたリナリアの声に、アセビはハッとする。


「リナ姉、待って──」


 ドアが閉まり、アセビとリナリアを分け隔てた。ドアが施錠される音が、無情に響く。

 とても大切なことを、リナリアに伝え損ねてしまった。

 リナリアは、シオンの死をまだ知らないのだ。


          ◇     ◇     ◇

 

 窓一つない地下のボイラー室にアセビは閉じ込められた。だが、彼女の顔に絶望の色はなかった。

 アセビは入り口に背を向ける。壁際に大きなボイラーが設置されていた。その裏に回り込む。


「あたしがこの学校からどれだけ脱出しようとしたと思ってんのよ!」


にやりと見上げる視線の先、天井に点検用のハッチがあった。


軟禁部屋からまんまと逃げ出したアセビは、姿勢を低く校舎の陰を走る。校庭が見える角に身を潜め、息を潜めて覗きこむ。


「うわ、カルガモだ」


 アセビはうへえ、と舌を出す。味方にするなら心強いが、敵に回したくない機体が鎮座していた。

 大型の強襲降下艇。

 機体中央には脱着可能な兵員輸送コンテナを抱き、コクピットは機体前方上部に突き出している。

 全体にずんぐりむっくりしていて、「カルガモ」というペットネームが付けられたのも納得の外見だった。


 だが、一見鈍足そうに見えるカルガモは、戦場の最前線に殴り込むため作られた強襲降下艇だ。強力な推進力に高い機動性、装甲は厚く、周囲の敵を一掃するための武装もたっぷり搭載されている。   


「やーだな相手したくないなぁカルガモは……ん?」


 アセビの目が、カルガモの後部ハッチに向けられる。解放されスロープが下ろされたコンテナの奥は見えない。しかし、かすかに紫色の光が漏れ出しているのは確認できた。


「アイリスリットの光……そこか」


 カラカラに乾いた唇をぺろりと舐め、アセビは姿勢を低くカルガモへ近づく。コンテナの中が見える角度に転がり込むと、アセビはそっと頭を上げた。


「やっぱり……!」


 カルガモのコンテナの中、ストレッチャーの上にピエリスの姿があった。

 だが、彼女は身動き一つしない。

 まさか……と最悪の状況を思いアセビはゾッとする。しかし、ピエリス手足や首にアイリスリットの光を放つ機器が取り付けられているのを見て状況を察した。おそらくあれがピエリスの動きを封じている。


 カルガモのハッチ付近には兵士が二人、警戒に当たっている。さて、どう気を逸らそうか。アセビは頭を捻る。


 アイディアはすぐ浮かんだ。カルガモとて、主機はアイリスリットだ。

 となれば、魔女であるアセビにはイタズラを仕掛ける余地はいくらでもあるのだ。

 

 アセビは草むらの中を匍匐前進でカルガモににじり寄る。最後の二十メートルは、身を隠す所のないグラウンドだ。

 見つかりませんように、と一瞬目をつぶって祈る。立ち上がり、可能な限り早く、そして音を立てず、アセビはカルガモに駆け寄った。

 ハッチは警備兵で塞がれている。アセビはいったんカルガモの機体下部に潜り込んだ。飛び跳ねる心臓を落ちつかせ、ホコリも舞い上がらないほどゆっくりと深呼吸する。


 よし。今のところ見つかってない。

 にやり、とアセビの顔にイタズラ娘の笑みが浮かぶ。ずりずりと仰向けに這い、カルガモのメンテナンスハッチの下まで移動する。認識票の縁でネジを緩めてハッチを開くと、内部のケーブルを鷲掴みにした。


「ひっさしぶりにやるなぁこれ……くく、ママとリナ姉にめっちゃ怒られたよなぁ……」


 ケーブル越しに存在を感じるカルガモの主機に、アセビは思い切り「起きろ」と命じる。

 当然ながら、こんなことでカルガモが突然飛び立つわけではない。軍用機のプロテクトを破るほどの技量をアセビは持ち合わせていない。だが、その雑で乱暴な侵入こそ、アセビの狙いだった。


 カルガモのコクピットで、不正なアイリスリット干渉を知らせるアラートが鳴り響いた。


 警備兵が驚きの声を上げ、コクピットに駆け込む音が聞こえる。アセビはカルガモの下から這いだし、兵員輸送コンテナのハッチを覗きこむ。

 ストレッチャーに拘束されたピエリスの姿があった。

 その向こうでは、警備兵二人がアラートに悪戦苦闘している。どうやら操縦は専門外の兵士らしかった。


「おじゃましまぁーす……」


 足音を潜めコンテナに乗り込んだアセビは、意識を失ったままのピエリスを抱きかかえると、一目散にカルガモから走り去った。


「はっ、はっ、ははっ、ははははっ!」


 弾む呼吸に、堪えきれない笑いが混ざり合った。

 暗闇の中を走る足取りは、子どもの頃イタズラの現場から逃げ出すときと同じくらい浮ついていた。愉快でたまらなかった。

 校庭から離れ、体育倉庫や焼却炉がある辺りまで逃げ込むと、アセビはピエリスを地面に下ろした。彼女の手足と首に、アイリスリットが埋め込まれた枷が付けられていた。


 アセビは枷の一つに触れると、慎重にアイリスリットへ干渉する。ばき、と破断音が響いて、枷が真っ二つに割れた。同じように全ての枷を壊していく。


「ピエリス、起きて」


 肩を揺すって囁く。しかし、彼女は目をつぶったままぴくりともしない。

 星の光の下で見るピエリスの寝顔は、まるでおとぎばなしに出てくる眠り姫のようだとアセビは思う。

 そして小さく吹き出した。

 じゃあ、起こす方法はひとつしかないじゃん……!


          ◇     ◇     ◇


 かすかなぬくもりを感じて、ピエリスは目を覚ました。

 自分が地面に横たえられていることを感知し、傍らにアセビの存在を認める。ハッとして起き上がる。


「アセビ、無事ですか?」

「あ、うん。だいじょぶだいじょぶ。そんなことより、ピエリスは? からだ、痛くない?」


 妙に浮ついた、今にも笑い出しそうなアセビの口調に疑問を感じながら、ピエリスは身体を確かめる。どこも問題はない。


 ふと、覚醒の直前にぬくもりを感じた場所を指で触れる。


「い、急ご! このままだと見つかっちゃう!」


 唇に触れるピエリスを、アセビが焦った声で急かした。


「アセビ、わたしに何かしましたか?」

「な、なんにもしてないわよ!」

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