第31話 再会
「爆撃って、だ、誰が!?」
ピエリスが頭上を見上げる。釣られてアセビも天井を見る。ジェットエンジンの排気音が近づき、頭上からパラパラとホコリが落ちてくる。
「このエンジン音……」
アセビには聞き覚えがあった。アセビをこの島に追い詰めた、ふたりが出会うきっかけを作った、あの魚類じみた黒い無人戦闘機。
そのエンジン音、そのものだった。
「爆撃しているのはオルクの戦闘機です」
「ど、どうして!? ひょっとして、あたしのせい!?」
ピエリスは首を横に振る。アセビは関係ない。
「このままでは危険です。脱出を急ぎましょう」
「で、でも! ピエリスはオルクに攻撃されないんじゃないの!?」
「……なにか妙です。予定外ですが、今すぐコルベットを回収、ケートスへ出発しましょう。アセビ、軽二輪車は?」
「体育館脇の駐輪場」
「そこまで走ります。次に戦闘機が通過したら出ます」
「わかった」
校舎を震わせて、轟音が頭上を駆け抜けていく。一度強く握り締めた手を離して、ふたりは目配せすると勢いよく走り出した。
校舎を飛び出して、駐輪場を目指す。校舎と運動場を隔てる並木に身を隠しながら地面を蹴る。
背後からジェットエンジンの咆吼が近づいてきた。思わず背後を仰ぎ見たアセビは、自分たちに向かって突っ込んでくる黒い機影に足が
戦闘機に気を取られていると、いきなりピエリスに突き飛ばされた。
アセビは脚をもつれさせて並木の足下に倒れ込む。
顔を上げたアセビは、戦闘機の機銃が火を噴くのを見た。
ふたりが向かっていた先からこちらに向けて、着弾した弾丸が土埃を間欠泉のように吹き上げながら迫ってくる。
その先には、
「ピエリス!」
アセビは叫ぶ。猛烈な速度で迫る銃撃の射線上に、ピエリスが立ったままだった。ピエリスは道の上に一歩として動かず、迫り来る機銃掃射に対して機関銃を持ち上げた。
ストックを肩に当て、安全装置を指で弾いて解除する。
蒼白になっているアセビに視線をチラリと送る。
心配要らないとばかりに、彼女の口元は薄い笑みをたたえていた。
ピエリスが引き金を引いた。
マズルフラッシュが暗闇を照らし出し、ほとんど連なって聞こえる六発分の銃声が鳴り響く。
ピエリスが放った曳光弾の光跡が、戦闘機の機銃弾と交錯する。
削岩機のような音を立て機銃弾が地面を抉り、粉塵がピエリスの姿を一瞬で掻き消してしまう。
アセビの悲鳴を、着弾音がかき消した。
いても立ってもいられず、アセビは土煙の中に飛び込んだ。
濛々と立ちこめる煙の中に飛び込んだとたん、アセビは何かに衝突して尻餅をついた。
見上げるとそれはピエリスで、アセビは血の気が引いた顔で彼女を抱き寄せ、身体中をさする。
「ピエリス、ピエリス!? だいじょうぶ!? 当たってない!?」
「大丈夫ですよ」
ピエリスが穏やかな表情で答える。直後、上空でボッ、と軽い爆発音が響いた。
見上げると、戦闘機のエンジンから炎が上がっている。
推進力を失った戦闘機はしばらくふらふらと飛んでいたが、突然、全てを諦めたかのように学校裏手の果樹園跡に墜落した。
ジェット燃料が引火して紅い火柱が吹き上がる。数秒遅れて爆発音が二人の元に届いた。
撃墜され炎上する戦闘機を、アセビは呆然と見つめる。
「……ピエリスがやっつけたの?」
「エアインテークから徹甲弾と炸裂徹甲弾を撃ち込みました」
ピエリスは事もなげに言ってのける。たったの六発で、ピエリスは高速で接近する戦闘機の僅かな開口部、空気取り入れ口に機銃弾を撃ち込んだのだった。
ピエリスの正確無比な狙撃を恐れたのか、上空を旋回していた戦闘機たちが距離を取っていく。
「急ぎましょう。今のうちに」
「え、今ので追い払ったんじゃないの?」
駐輪場に駆け込み、軽二輪にアセビは跨がる。機関銃を手にしたピエリスが後ろにしがみつくように座ると、キックスターターを蹴り込む。
エンジンが景気のいい叫び声を上げる。
「いえ、こちらの射程外から誘導弾を撃ち込むつもりでしょう」
「誘導弾!? み、ミサイルなんてどうすんのよ!?」
「問題ありません。接近する飛翔体は全て撃ち落とします」
平然と答えるピエリスに、アセビの顔が引きつる。
だがそれも一瞬のこと、すぐにイタズラ娘の笑みに変わった。
「じゃ、任せたわよ!」
アセビは軽二輪を発進させた。島沿岸部を走る環状線にぶつかったところで後輪を滑らせながら左折。海を背に、畑の中の一本道を駆け昇る。
「……来ました」
背後を振り返ったピエリスが呟く。夜闇を切り裂いて突っ込んで切るミサイルのバックファイアがミラーに映り込む。
「そのままの速度で直進してください」
ピエリスを信じて、アセビは速度を一定に保ち、ハンドルも切らずに直進する。
ピエリスはアセビのお腹に左腕を回したまま、鍛えた大人が両手で扱う重さの機関銃を、指揮棒を振るような軽さで空に向けた。
ピエリスのささやく声が聞こえた。
「撃ちます」
ピエリスが発砲した。
激しく揺れるバイクの上から、片手で、しかも暗闇の中を、ピエリスは正確無比な銃撃をミサイルの針路上に撃ち込んでいく。
曳光弾、徹甲弾、炸裂徹甲弾の順に放たれた弾丸とミサイルが、お互いはじめからそう打ち合わせていたかのように空中で衝突する。
曳光弾がミサイルのノーズコーンを突き破り、徹甲弾がレーザーシーカーを破壊して、炸裂徹甲弾が炸薬を装填された弾頭を引き裂いて炸裂する。
ミサイルが脇腹から炎を吹き出し、頭を叩きつけられたように地面に突っ込んだ。爆風がアセビの首筋を炙る。後輪が滑った軽二輪のバランスを取り直して、アセビは再びスロットルを開く。
ミサイルの第二射、第三射が襲いかかってくる。それら全てをピエリスは片腕一本で機関銃を操り、最小の手数で確実に沈めていく。
「なんでこんなにめちゃくちゃ撃たれなきゃなんないのよ!?」
スロットルとギアを絶え間なく操作しながらアセビが叫ぶ。ピエリスが抜け目なく空を見上げて答える。
「このオルクたち、何者かに操られている可能性があります」
「は? 操られてるって!? 誰に?」
銃声が弾ける。ピエリスは一斉射してミサイルを叩き堕としながら答える。いとも簡単に超絶技巧の射撃をこなしながら、しかし彼女の声は悔しげだった。
「もっと早く気づくべきでした。環状地帯で見つけた破壊されたトビグモ。あれを破壊したのは、友軍……おなじオルクです」
「……んっ!? どういうこと!?」
「何者かがプログラムをハックして、命令系統を書き換えたんです。このオルクたちも、同じように……」
「できるの!? そんなこと」
「ええ。高度な技術を持った、魔女なら————」
「魔女!? あ、」
アセビは唐突に思い出す。
環状地帯で破壊されたトビグモの傍らに残されていた足跡。自分と同じ、故郷の魔女たちが使っていたブーツと同じ足跡のことを。
「まさかそんな、ッ!?」
そのとき突如、アセビの背筋に電撃のような、魔女の勘とでも言うべき直感が襲いかかった。
考えるよりも先に、アセビはハンドルを切っていた。
二輪車をほとんど横倒しにして制動をかける。ピエリスが慌ててアセビにしがみつき、手放された機関銃が道路を転がっていく。
直後、アセビとピエリスの頭上を、巨大な腕がかすめた。猛烈な風圧が頬を叩く。もしあのまま走っていたらと想像し、アセビはゾッとする。
軽二輪車を引き起こすことができず、タイヤがアスファルトを擦る耳障りな音が鳴り響く。アセビはピエリスと一緒に車体から放り出され、地面を転がった。
「ぐっ……いっつぅ〜……」
地面に這いつくばったアセビが顔を上げると、すぐそこに鋼鉄製の爪があった。視線を上げると、迷彩色の脚と関節、その先に砲塔を備えた多角形のボディ。
トビグモだ。
「アセビ!」
凍り付くアセビに、ピエリスが地面を這うように駆け寄る。その姿が、突然かき消えた。
一瞬の後、轟音が鳴り響き路肩で土煙が上がる。朽ち果てていたトラックの車体に、ピエリスがめり込むように叩きつけられていた。
アセビは悲鳴を上げ、ピエリスに駆け寄るべく立ち上がろうとした。
ガチ、と。
アセビの後頭部に、冷たい金属が押し当てられた。
「こんなところで何をしている。アセビ」
何者かの問いかけの声に、アセビは思わず涙がこぼれそうになった。
恐ろしかったからではない。懐かしかったからだ。
けれど、感動の再会にあふれかけた涙は一瞬で干涸らびて、疑問と恐れがアセビの脳裏を支配した。
「なんで……どうして……」
ゆっくりと、アセビは振り返る。
まず見えるのは、自分に向けられた銃口。
その先に、銃を握った白い手。
懐かしい手だった。幼い頃から毎日、バイクの上で、食卓で、ランプの明かりの下ベッドの中で、見つめてきた、尊敬する先輩の手だった。
その手の先にある、懐かしい顔。
「リナ姉……」
シオンの指導のもと、アセビの先輩として共に空を飛んでいた魔女、リナリアがそこに立っていた。
振り返ったのが間違いなく自分の妹分であることを確認したリナリアは、忌々しげに目を細めると、銃口を逸らした。
その銃口が、トラックに叩きつけられ昏倒しているピエリスに向けられる。
「「アレ」はケートスの制御ユニットだ。アセビ、なぜお前が一緒にいる」
「リナ姉こそ、何してるの? なんでここに? あの爆撃も、リナ姉がやったの!?」
「そうだ。ケートスを奪取するために我々は行動している。詳しい説明は後だ。アセビ、私の指揮下に入り作戦に協力しろ」
リナリアの口調に、アセビは違和感と反感を覚えた。
もともと冷たい印象を与える話し方をする女性ではあった。だが、自分の妹分に銃を突きつけ服従を強制するような人ではなかったはずだ。
「……イヤだ」
「なんだと?」
「あたしたちはやることがあるの。邪魔しないで」
「「たち」? お前、何を企んでる?」
「……教えない。今のリナ姉に言っても無駄な気がする」
リナリアが舌打ちする。アセビは視線をさっと動かし、倒れた二輪車までの距離を測る。トラックの傍らに倒れたピエリスは意識を失っているのか、ぴくりとも動かない。
リナリアが苛立ったため息をついて、何か言おうとした。その瞬間、アセビは勢いよく腕を振りリナリアの拳銃を弾き飛ばした。ギョッとした顔のリナリアを置き去りにして、アセビは二輪車へと駆ける。
ハンドルを掴んで、倒れた車体を一気に起こそうとした。
直後、
アセビの手から力が抜けた。
「あ、え?」
膝から力が抜けて、視界がガクンと揺れる。
首筋にじわじわと痛みが広がっていく。
身体が言うことを聞かず、二輪車の車体に寄り掛かるようにしてアセビは倒れこんだ。
意識が遠のいていく。
すぐそこにピエリスが倒れている。
ピエリスに手を伸ばそうとした。
その手が、誰かの手で踏みつけられる。
何人もの兵士に銃を向けられていることにアセビが気づくと同時に、彼女の意識は暗闇の中に転落した。
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