三章

第35話 思い出 12


           ◆      ◆      ◆


 

 鳴り響くサイレン、慌ただしい足音、遠くからときおり聞こえる爆発音に、散発的な対空砲の発砲音。 

 スクランブル発進する戦闘機の排気音が入り混じる中、海軍兵器開発局の男は疲労の滲んだ笑みを浮かべ『わたし』を見つめて言いました。


「うん、そろそろ良さそうですね」


 男はわたしの顎を掴んで引っ張り寄せると、じっとこちらの瞳を覗きこみました。わたしの目を覗きこむ男の顔には、今にすり切れそうなロープのような危なげな緊張感と、あと一歩で綱渡りを終えようとする者の歓喜が入り混じっていました。


「……あとひと押しですかね」


 地面がかすかに揺れていました。


 呟く男の手をシオンがはね除けて、わたしを男から引き離しました。

 わたしはぼぅっとした意識のままシオンの胸に抱かれ、ふたりの会話を聞いてしました。


「ピエリスに触らないで! はやく医務室に連れて行かせて!」


 シオンの叱責に、男はやれやれと肩をすくめました。


「医務室? 必要ありませんよそんなものは。それの心は壊れかかっている。それでいいんです」

「こんなときにふざけないで!」

「ふざけてなんていませんよ。なにしろ私の仕事は、それの心を壊すことですから」


 今にも砕けて別の表情が見えそうな笑顔のまま、男が言いました。シオンもわたしも、本当に壊れかけているのは、男の方ではないのかと疑いました。

 足元が揺れ、わたしはシオンの胸にしがみつきました。


「ここまでご協力いただいて、ありがとうございました。いちおう説明責任を果たしておきましょうか」


 地面の揺れが、どんどん、激しくなっていました。


「おっと、その前に。……ちょうど時間ですね」


 視線を腕時計にやって、男が呟きました。


「ほら、見てください。壮観ですよ」


 男が腕を広げ、わたしたちの視線を海の方へ誘いました。

 燃え上がる島の風景の向こう。黒く広がる海原の一部が、大きく盛り上がっていました。

 隆起する海面の下から、まるで深海生物のような輝きが無数に現れようとしていました。その輝きの色は、深い紫色。


 海が割れる。

 ここから距離にして十キロ以上離れているはずなのに、海を割って現れたそれは、まるで目の前にあるかのように大きく見えました。

 首を落とされた鷲のような、巨大な黒い翼。

 身体のあちこちにアイリスリットの輝きを宿し、通常なら自重で崩壊するほどの巨体を、重力を無視して空へ持ち上げようとしていました。


「すばらしい」


 男が自慢げに口を開きました。


「このたび就役する、ケートス型巡航要塞一番艦、ケートスです」


 神話に登場する海の怪物の名を冠した超巨大航空機は、まだ空へ飛び立とうとせず、ゆっくりと旋回すると、まるで生贄を要求するかのように船首をわたしたちのいる島へと向けました。


 「さて」と男は背後に怪鳥を従えわたしたちに向きなおりました。

 そして、わたしを指さし言いました。


「それは、ケートス型巡航要塞搭載中央制御人造魔女、ネレイスシリーズの初号機。つまり、ケートスのコアシステムです」


 見事でしょう? 男が自分の手柄を自慢するようにわたしを指し示しました。

 

「アイリスリットの制御には魔女が必要。けれど、一国を一撃で消滅させられる戦略兵器をたったひとりの個人に操らせるなど論外。だから作ったのです。人造魔女、ネレイスを」

「それがピエリスだったとして、なんでこの子の心が壊されなきゃならないのよ!」


 御託を並べる男に、シオンが噛み付きました。


「まあ最後まで聞いて下さい。ネレイスはアイリスリットとの適合率が高い素体をベースに、極限まで人間に似せて作られました。結果はご覧の通りです。ですが、その代償として、不要な機能を持ってしまいました。わかりますね? そう、心です」


 シオンがわたしを、男から遠ざけるように背後に押しやりました。


「これが本物の魔女だったら、心を壊すなんて非人道的な所業、許されるものではありません。ですがネレイスは我々が造った人工物。問題ないでしょう?」

「問題大ありよ! あなた頭おかしいんじゃないの!?」


 シオンの声が届いていないのか、男は熱のこもった声で演説を続けました。


「心を壊すにしても、そのプロセスがちょっと私だけでは手に負えなくて。ガーデニング、やったことありますか? 私は庭いじりが趣味でしてねえ」


 首を傾げて、突然脈絡のない問いを放つ男を、わたしはそのとき初めて恐ろしいと感じました。


「木を剪定するときにね、小さな芽を摘んでも、またすぐ新しい芽が出てきてしまうんです。だからある程度育って、大きくなったところで……」


 男が指で作ったハサミを「ちょきん」と閉じました。


「こうすると、それ以上よけいな枝葉は育たなくなるんです。まずはステップ1として敢えて情操教育を施します。これにはシオンさん、あなたの協力が不可欠でした。改めて感謝いたします」


 わたしを抱き締めるシオンの顔が、サッと青ざめました。


「そしてステップ2。育った情操の閾値を超える心理的負荷を一気にかける! ね、簡単でしょ?」


 男が、燃え上がる島を手で指し示し、笑いました。

 絶句するシオンの口から、かすれた音が漏れ出ました。


「まさか、あなた……そんなことのために、島を……」

「ん? まさかまさか! 私はこの国の軍人ですよ? 自国民を攻撃するなんて極悪非道、手を染めるわけありません」

「じゃあなんなのよ! この爆撃は!? クラスのみんなが、みんな……!!」


 グラウンドに飛び散った、クラスメイトだったものを思い出し、わたしの心が軋みました。

 声を震わせて涙を頬に伝わせるシオンを、男は不憫そうに見つめました。


「あの爆撃は共和国によるものです。就航前のケートスを狙ったものだったのでしょうが、愚かですね。ケートスの電子妨害技術は世界一です。可害半径にケートスを捉えられたミサイルは一発もありません」


 その代わり、ミサイルは島に降り注ぎ、わたしとシオンの同級生を殺し、灼き払ったのでした。


「ケートスの防空能力も示せましたし、「それ」の心も壊れて一石二鳥。その上、我が国が共和国を叩く大義名分まで手に入れました。まもなく共和国に対して宣戦が布告されます。同時にケートスは「それ」を搭載し出撃。共和国首都を灼き払う予定です」

「このっ……人でなしのクソ野郎!」


 シオンがわたしを手放し立ち上がると、拳を振り上げ男に迫りました。


「じゃああなた代わりますか?」 


 男の言葉に、振り上げられたシオンの腕が止まりました。


「一撃で数千万の命を消滅させる重責を、あなたがそれに代わって引き受けますか? できますか? できないでしょう? できないのなら……」


 銃を。

 立ち尽くすシオンに。

 男が引き金を。

 わたしは。

 動けなくて。

 

「せめてそれが兵器として完成するための、最後のひと押しになってください」


 銃声。

 シオンが倒れている。

 わたしは動けない。

 血が。

 赤黒くて血生臭い液体が。

 真っ黒な水たまりに。

 シオン。

 シオン、

 わたしは


 わたしが


 ひびわれる

 

           ◆      ◆      ◆

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