第39話 さよならアイリスウィッチ

 艦橋に一人残ったピエリスは、対空レーダーを睨み付ける。

 さっきの一撃以外にも、細かい破片が近づいている。


「全艦、対空戦闘用意」


 ピエリスの一声で、艦橋の全コンソールが起動する。

 ピエリスの目前に、ケートスの火器管制システムのディスプレイが投影される。

 勇猛な騎士たちが整列するように、全兵装がピエリスの命令を待っていた。


「全対空火器、全弾発射。欠片を一つも地上に落とさないで」


 ケートスの船体各所から、白煙と炎が噴き上がる。

 被弾した炎ではない。対空ミサイルのVLS垂直発射システムセルがミサイルを吐き出す、ときの声だった。


 無数の火の玉が、白煙の尾を曳いて空を駆け上る。

 それを追いかけ、対空機銃が曳光弾の光を打ち上げる。

 上空でパッと火花が散った。

 降り注ぐ月の破片に対空ミサイルが一発、もう一発と食らい付く。 

 それでも破片すべてを防ぐことはできない。

 小さな、といっても自動車ほどもある破片がケートスに降り注ぎ、そのいくつかがミサイルセルを、対空機銃を叩き潰していく。


「全兵装を対空迎撃に転化運用。対地、対艦ミサイルの誘導装置に強制介入」


 歯を食いしばり、ピエリスは流れ込んでくる莫大な情報量を捌ききる。

 本来対空戦には使えない兵器を、強引に遠隔操作して月の破片に向けて打ち込んでいく。

 艦橋付近に直撃弾。

 艦橋前面の耐爆ガラスが吹き飛び、猛烈な風が吹き抜ける。

 操縦桿にしがみつき、ピエリスは祈る。


 どうか、アセビだけでも……!



 アセビが駆け込んだとき、すでに駐機場は被弾し暴風が荒れ狂っていた。

 床面に設置されたレールを手掛かりに、アセビは強風に吹き飛ばされないようコルベットへ近づいた。

 シートに飛び乗ると、無線機に向かって叫ぶ。


「ピエリス! コルベット確保!」

『さすがですアセビ。すみませんが、こっちは操艦と迎撃で手一杯で……』

「迎えにいく?」


 アセビが冗談半分で言うと、わずかな沈黙の後にピエリスの弾んだ声が返ってくる。


『おねがいします。艦橋から飛び出すので、空中でキャッチしてもらえますか?』


 はっ! アセビは甲高く笑う。

 簡単に言ってくれる。


「任せなさいっての!」

『カタパルトへのエレベータシャフトが衝撃で使用不可能になっています。ハッチをこちらで爆破するので、そこから飛んで出られますか?』

「あたしを誰だと思ってんのよ」


 無線機越しに、満足げな笑い声が聞こえる。


『では行きますよ。急激な気流の変化に注意を。三、二、一』


 轟音と衝撃が駐機場を揺るがし、直後、外に吸い出される空気の流れがアセビの鼓膜をきしませる。

 スロットルを開き、繋留ケーブルを切断。

 浮き上がったコルベットを、アセビは吸い出される空気に従い奔らせた。


 飛ぶには狭すぎる駐機場と、カタパルトへ至るエレベータシャフトをアセビの駆るコルベットが駆け抜ける。ミサイルで吹き飛ばされたエアロックをくぐり抜け、アセビは巨鳥の腹から躍り出た。


 空気が薄い。

 肌が切り裂かれるように寒い。

 それでも目を凝らし、アセビはケートスの艦橋を目指す。

 次々とケートスからミサイルが吐き出され、降り注ぐ月の破片へと撃ち込まれていく。

 撃ち漏らした破片がケートスに突き刺さり、あちこちで火の手が上がっている。

 まるでピエリスが傷だらけになっているような気がした。

 涙があふれる。早く、もっと早く。


 視線を上げ、アセビは息を呑む。

 頭上に、巨大な彗星のごとき天体が迫っていた。

 色とりどりの光の尾を曳いて、無数の破片を軍勢のように引き連れ、月の破片が一直線にこちらへ落ちてくる。

 恐ろしい風景のはずなのに、アセビの口からは不思議と「きれい」と感嘆が零れていた。

 

 艦橋が近づく。

 耐爆ガラスが吹き飛び、隔壁シャッターも半分近くが引き裂かれていた。

 ほとんど全壊に近い艦橋内部に、立体投影ディスプレイを何枚も展開したピエリスの姿が見える。


 再び破片がケートスに直撃する。

 コルベットは木の葉のように煽られる。

 運悪く直撃を受けたミサイルセルが誘爆し、大爆発が起こる。

 艦橋に接岸している時間がない。ピエリスが言ったとおり、荒技で切り抜けるしかない。


「ピエリス!」


 声の限り叫んだ。果たして聞こえただろうか。

 いや、聞こえたに決まってる。

 アセビはコルベットを艦橋脇をすり抜ける軌道に乗せる。


 展開していたディスプレイをピエリスが閉じるのが見えた。

 走り出す。よし、タイミングばっちりじゃない!


 アセビは口の端を釣り上げて、スロットルを固定してピエリスを受け止めるために両手を広げた。


 ぐらり、と艦橋が揺れた。

 ピエリスの背後で、耐爆与圧ハッチが弾け飛ぶのが見えた。


 ピエリスが飛ぶ。

 アセビが手を伸ばす。

 あと少しで指先が触れる。


 次の瞬間、誘爆から生じた爆風が艦橋を吹き飛ばし、二人を直撃した。

 アセビの視界から、ピエリスの姿がかき消える。


 とっさにアセビはコルベットのシートを蹴った。


 空中に躍り出たアセビが、錐揉みしながら落ちていくピエリスに衝突する。


 絶対に放すもんか……!


 ぶつかった勢いで振り回され、引き剥がされそうになる。

 歯を食いしばり、アセビはピエリスを抱き寄せる。 

 ピエリスは意識を失っている。

 ピエリスを抱いたまま、アセビは空中を漂うコルベットを目指す。

 腕を広げ、

 勢いを殺し、

 コルベットを追い越さないよう調節して、

 あと少しで手が届く。


 操縦桿を、掴んだ。


 身体を引き寄せ、コルベットのシートに滑り込んだ。

 不安定な姿勢のまま、アセビはスロットルを全開、ケートスから退避するコースを取る。

 ケートスの主機の臨界までもういくばくもない。

 そうなれば、「この」ピエリスが消えてしまう。


「ピエリス! ピエリス起きて! お願い!」


 アセビのアイリスリット色の瞳からあふれた涙が夜空に散っていく。


 お願いだから、最後に声を聴かせてよ!


「……アセビ?」


 腕の中で、ピエリスが身じろいだ。

 薄く開いた瞳に、アセビの顔、そしてその先に見えるケートスと月の破片が映り込む。


「あたし、ピエリスと会えて良かった! ありがとう! 大好きだよ、これからもずっと!」

「わたしも、わたしも大好きです、アセビ。全部忘れても、またあなたのことが好きになる。ぜったいです。今なら、ぜったいって言えます!」


 コルベットの狭いシートに身を寄せて、二人は額を触れ合わせる。


「さよなら、アセビ」

「またね、ピエリス」


 アイリスリットの紫紺の臨界光が全ての音を、光を、抱き合う二人を包みこんだ。

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