第40話 最期の思い出
◆ ◆ ◆
シオンを撃った拳銃を腰の後ろのホルスターに戻して、男は冷や汗の滲んだ、けれど満足そうな顔で言いました。
「よし。壊れましたね。いやぁ、焦りましたがなんとか納期に間に合いました……わざわざネレイス素体と同じ血筋の人間を「お友だち」にしろと言われたときは、いったいどうなるかと思いましたが……まったく」
悪態をついて、男は煙草をくわえて、無線機を取り出しました。
「こちらネレウス01、オペレーション・フレンドはマイルストーンCを突破。繰り返す、オペレーション・フレンドはマイルストーンCを突破。以降はネレイス1のケートス搭載を最優先」
紫煙を吐き出す男の背後で、ぐらりと人影が立ち上がりました。
「くたばれェッ!!」
凄まじい叫び声と共に、シオンがコンクリート片で男の側頭部を殴打しました。
男は呻き声ひとつあげることなく、棒のように倒れました。
わたしの視界に、鮮やかな色彩が一気に蘇りました。
「シオン!」
わたしは「いっでぇええ……」とお腹を押さえてうめくシオンに駆け寄り、彼女の制服のシャツをめくり上げました。
シオンの脇腹から、どくどく、と赤黒い血が溢れました。
銃創にハンカチを強く押し当てると、今度はわたしがシオンの肩を抱いて立ち上がりました。
「逃げましょう」
直後、激しい銃撃がシオンの原付に襲いかかり、カウルやフレームを粉々にしてしまいました。兵士たちの怒号が飛び交いました。
「逃がすな! 捕らえろッ!」
「こっちへ」
原付を諦め、基地の奥を目指しました。途中、兵員輸送トラックの荷台からメディカルキットを拝借して、更に奥へ。
左右から、そして背後から、兵士たちの足音が迫っていました。
ちらりと振り返れば、地面に点々と残されたシオンの血痕がありました。それでも、足を止めるわけにはいきませんでした。
わたしたちは基地の端に位置した格納庫へ辿り着きました。
このむこう側まで行けば、フェンスの外、島の切れ落ちた崖に抜けられる。
わたしのアイリスリットを使えば、シオン一人なら、抱えて飛び降りることができるはず。
シオンが足をもつれさせ、わたしたちは一緒くたになって倒れこみました。
咳き込むシオンが血を吐いて、指が弱々しく地面を引っ掻きました。
格納庫の扉が爆破され、兵士たちの足音が響き渡りました。
ひゅうひゅうと苦しげに呼吸するシオンが立ち上がり、銃を構える兵士たちに向き合いました。
顔を血まみれにしたYシャツ姿の男が、拳銃を片手に兵士たちの前に歩み出ました。
肩で息をしながら血走った目でこちらを睨む男に、シオンが血で汚れた口元を歪めました。
「あなたには、感謝してる……ピエリスを、私の大切なひとをこの世に生み出してくれたこと」
「このガキ……」
銃声が響いて、シオンの肩から血が噴き出しました。
「これだからガキは嫌いなんですよ……、いいですか? ケートスがあれば、戦争は我が国の圧倒的優位のうちに終わる。余計な戦死者を出さずに、敵国を屈服させられるんですよ……」
ボタボタと血を滴らせながら、シオンが獣のような笑みを浮かべて言いました。
「だったら、戦争なんてできない世界にしてやる。あんたの下らない理屈なんて、通用しない世界にしてやる」
シオンがわたしの手を握りました。
彼女の痛みが、怒りが、わたしのアイリスリットに流れ込んできました。
シオンに抱き寄せられ、彼女の右手がわたしの胸に押し当てられました。
わたしのアイリスリットを入り口にして、シオンの「願い」がケートスに伝わりました。
一瞬怪訝な表情を浮かべた男の顔が蒼白になり、兵士たちへ「殺せ」と命じながら銃を持ち上げ、
「壊れろ、こんな世界」
シオンが囁くと同時、海上で紫紺の光が炸裂しました。
海上に停泊していたケートスの主砲が放たれました。
アイリスリット臨界放射線は光の速度でケートスと島を結び、わたしたちの目の前を「軽く」通過しました。
わたしたちに銃を向けていた男と兵士たちが一瞬で蒸発するのを、わたしの目は捉えました。
衝撃波と熱波でわたしたちも吹き飛ばされ地面に転がりました。
男たちを消し飛ばしても、ケートスの砲撃は止むことはありませんでした。
シオンの願いに従い、島の表面を軽く「撫でた」砲撃は空を駆け上る。
光速に近いアイリスリット臨界放射線は僅か数秒でこの惑星の衛星の一つに着弾し、月面下に埋蔵された多量のアイリスリットを臨界誘爆させました。
巨大なクレーターが月面に生まれ、巻き上げられた岩石が上空に舞い上がり、まるで月から一本の角が生えたように見えました。
赤いオーロラが夏の夜空を覆い始めました。
月の質量が変化したことで、潮汐力が変化して、この惑星表面にも影響がでることが予想できました。
「これでもう、戦争どころじゃなくなったね……」
呪いにも等しいシオンの願いが、アイリスリット臨界放射線を通じて世界中に広がっていきます。
アイリスリットを動力源とするあらゆる無人兵器の中枢に、人々を分断し、閉じ込めろ、という命令が刻まれ、焼き付きました。
月を見上げたシオンが、満足げに呟きました。
「もうだれも、私たちを引き裂くことなんてできない――」
ふらつくシオンの頭上で、ケートスの砲撃を受けた格納庫の天井が軋みを響かせました。
「ずっと一緒だよ、ピエリス」
いまにも消えてしまいそうな笑みを浮かべたシオンに向かって、巨大な鉄骨が降り注ぎました。
飛び出し、シオンを突き飛ばし、轟音と土煙がわたしの視界を埋め尽くして……
「ピエリス! ピエリス!」
瓦礫の向こうから、シオンの声が聞こえました。
ああ、良かった。シオンは無事だ。
起き上がろうとしたわたしは、自分の胸に鉄骨が突き刺さっていることに気づきました。
胸骨のアイリスリットを破壊されなかったのは幸いでしたが、地面に釘付けにされ、動けませんでした。
その上、わたしの背後で轟音が響きました。ケートスの砲撃を受けて崖が崩れて、格納庫の半分が遙か下方の海へ落ちていくのが見えました。
「いま助けるから、待ってて!」
「だめ、ですシオン……これは、あなたの力では……」
「黙って!」
まるで鉄格子のようにわたしとシオンを隔てた瓦礫のすき間から、彼女手を伸ばしました。
地響きがして、わたしの倒れる地面が海に向かって傾き出しました。
「大丈夫です、シオン……わたしは、この程度では死にません……」
「やだ、やだやだ! ピエリス! 手のばしてよッ!」
「おねがい、ですシオン……わたしを、いつか、迎えに」
「わかった、分かったから! だから手を掴んで! お願い!」
わたしの脇を、瓦礫が滑り落ちていきました。もう、地面がもたない。
「やくそく、してください……わたしを、迎えにくると……」
「する、約束するから! 絶対助けるから! 待ってて!」
その言葉で、わたしの心は軽くなりました。よかった。これで、わたしは安心して眠りにつける。
「ええ、やくそく。待ってますからね……シオン」
鉄骨とコンクリートが砕け散り、
わたしの身体は暗闇の中に放り出され、
そして————
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