第41話 最終話 夏の終わり、旅の始まり


 ピエリスが目覚めると、夜の砂浜に横たわっていた。


 自分は崖から転落して……頭上を見上げるが、落ちてきた崖が見当たらない。

 あたりを見渡す。広く長い海岸線。

 リーゼクルス島にここまで大きなビーチはない。

 打ち寄せる波の音に、ピエリスは海の方を見る。そして気づく。 


 空が一面、赤いオーロラに覆われていた。


 シオンと共に月を破壊して、莫大なエネルギーの放射でオーロラが吹き荒れた。

 その残りだろうかとぼんやりとした頭で考える。

 だが、奇妙なことに気づく。


 空を覆う、リング状の破片。

 月の破片に違いはない。

 だが、軌道上を覆うほど破片が広がるには、かなりの時間が必要なはずだ。

 自分はどれくらい眠っていたのだろうか。

 ピエリスはケートスとの戦術データリンクを開こうとして、ケートスが全く応答しないことに首を傾げた。


 背後で、砂を踏む足音が聞こえた。

 足音からして若い女性。ピエリスは振り返り、その名前を呼んだ。


「シオン!」


 びくり、とピエリスに歩み寄っていた少女が動きを止めた。

 その少女を、ピエリスは驚愕と困惑の眼差しで見つめる。

 少女は、シオンではなかった。

 だが、シオンにとてもよく似ている。

 今にも泣き出しそうな瞳は、シオンと同じアイリスリット色。

 切れ上がった目元も、シオンにそっくりで……


「ピエリス」


 少女がピエリスの名を口にした。

 どうしてわたしの名前を? ピエリスの手が、浜の砂を握り締める。

 なにか、とても大切なものが指のすき間から零れ落ちた気がした。


「あなたは……誰ですか……?」


 助けを求めるようなピエリスのつぶやきに、シオンによく似た少女の瞳から透明な雫が頬を伝う。

 少女が俯き、手の甲で目元をごしごしと乱暴に擦る。

 呼吸を整えて、顔を上げた少女が言った。


「あたしは、アセビ。アセビ・フウセンカズラ」

「フウセンカズラ……」


 シオンと、おなじファミリーネーム。

 でもシオンに姉妹はいなかったはず。胸の中で言葉にならない熱が暴れ出した。

 気がつくとピエリスは口を開いていた。


「アセビ」


 アセビがハッと顔を上げる。涙の欠片が散り、オーロラの光を受けて輝いて見えた。

 ピエリス自身も、自分の声に愕然としていた。

 どうして、自分は彼女を呼んだのだろう。

 どうして、彼女の名を呼ぶ声はこんなにも切ないのだろう。

 どうして、彼女の名前を呼ぶだけでこんなに胸が痛むのだろう。


「わたしは……あなたのこと……」


 そこで声が止まる。どれだけ探しても、つづく言葉が見つからない。

 ついさっきまで、確かにそこにあったはずなのに。

 今あるのは、穴の空いた胸の痛みだけ。


「大丈夫。大丈夫だよ、ピエリス」


 アセビがピエリスの手を握った。

 彼女の手の温もりに、ピエリスの瞳から涙が零れ落ちる。

 慌てて目をこする。このまま涙を流し続ければ、胸の中にかすかに残った言葉の欠片まで流れ出てしまう気がした。


「あたし、ピエリスに話したいことがいっぱいあるんだ」

「わたし、も……なにか、いっぱい、あなたに……伝えなくちゃ……でも」


 アセビがピエリスの頬を伝う涙を拭い、首を振る。


「ピエリスには、ピエリスにしか話せない思い出がきっとある。それを教えて?」


 アセビの手を、ピエリスは自分の胸にかき抱いた。そこにあるアイリスリットが、懐かしむように震えた気がした。


「すこし、時間がかかります。それでもいいですか?」

「もちろん」


 ピエリスは目をつぶる。

 胸はまだ痛む。けれど、それを拒む気持ちはもうピエリスになかった。

 この痛みは、きっと喪ってしまったものの証なんだ。


 どこから話そうか。

 やっぱり、あの子と出会った夜からだろう。


「あの子が空から落ちてきた夜のことを、いまでもはっきりと憶えています————」

  

               


                                   了

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さよならアイリスウィッチ 森上サナオ @morikamisanao

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