高校生・大学生の頃、私の胸を熱くした神様のメモ帳。鳴海やアリス、彩花の一言一言が胸に染み、こんなに辛いのになんで惹かれるのか、不思議な物語でした。
それでも彼らの最後なんて見たくなかった私が最終巻を読み終えたのはつい最近です。
今回の話は後日談ということで、積み重ねてきた物語を思い起こす同窓会のようでした。原作未読の方にはわからない内容ですが、ファンの私からすればこんなに嬉しいことはないです。
当たり前ですが日々の中で時間は流れ、記憶は色褪せていきます。それでも、つい昨日のことのように思い返せるすばらしい物語をくれたこと、本当に感謝いたします。
ありがとうございました。
久しぶりに再会したNEET探偵団の面々は現実世界と同じだけ時間が進んでいて、鳴海も30歳になった。
彼らそれぞれに成長があって、でも昔と変わらず楽しそうに過ごしている姿が本当に嬉しかった。
当時、私は高校生~大学生。
気付いたら私も三十路になってしまった。
彼らの成長を見せられ、お前ははたして成長しているのかと投げ掛けられたような気がした。
当時の思いや気持ちがよみがえってくる同窓会のような最高の後日談でした。
本棚の奥にしまってある文庫を引っ張り出してきて久しぶりのまた読み直してみよう。
電撃文庫からもラノベからも久しく離れてしまっていた私が公開日に見つけて読めたのは本当に奇跡としか言いようがない。
普段レビューは全くしないのだけれど、
どうしても作者様に感謝を!と思い、いてもたってもいられなくなって殴り書きしてしまいました。
素敵な作品を本当にありがとうございます!
『神様のメモ帳』はこれからも本当に大切な作品です。
ずっと、藤島鳴海になりたかった。
『神様のメモ帳』を初めて読んだのは、高校二年生の頃だった。
当時の自分は、かつて鳴海がそうだったように「自分が働いている姿をうまく想像できな」かった。
小説家になりたい、という気概だけは持っていて、それ以外のことをしている自分の姿を思い描けなかった。
結局、自分は鳴海のようにはならず、ずるずる進学して、卒業しても就職せず、あちこちを行ったり来たりしていた。
それでも平然としていられたのは、「ニート」という存在にある種のプライドみたなものがあったからだと思う。
ニートへの歪んだ憧憬を植えつけたのが、この『神様のメモ帳』シリーズだった。
シリーズが完結したとき、当たり前だけど作中の藤島鳴海とは年齢がかけ離れていた。(最終巻のラストではひょっとしたら同年代だったかもしれないけれど)
この後日談で、藤島鳴海は30歳になった。
自分も、ほんの一週間まえに30歳になった。
シリーズ完結で止まっていた鳴海たちの時間が、一瞬自分と重なった気がした。
藤島鳴海と自分が、同じ時期に同じ歳になるということが(自惚れた言い方がゆるされるなら)運命めいて思えた。
他の人からどうってことのないことが、とても嬉しかった。
けっきょく、自分は「藤島鳴海」になることはできなかったのだけれど、まあ自分なりに頑張ろう、という気持ちがちょっとだけ芽生えて、ワケも分からず泣けてしまった。
既にレビューとは言えない文章になってしまったけれど、自分にとって『神様のメモ帳』が終わった事実を受け止めるためには、必要な文章なんだと思う。
だから僕はこの作品が読めて幸せだった。このレビューを書けて幸せだった。
おめでとうナルミ。ハッピーバースデー。