第13話 認識票


 最終的に、回収できた遺体はおよそ十二体だった。

 およそ、というのは少女の遺体以外はバラバラになってしまっていて、正確な人数が把握できなかったからだ。

 回収した遺体をビニールシートに包み、アセビとピエリスは学校に戻った。台車に積んだ遺体は、そのまま中庭へと運ばれた。

 少女の墓穴は、アセビが掘った。


「そこに」


 ピエリスが指示した場所は、隣に比較的最近立てられた墓標が立つ空き地だった。ランタンの弱い明かりの下、きつく焚かれた蚊取り線香の匂いの中で、少女を埋める穴を掘った。


 遺体を穴の中に横たえ、アセビは最期にもう一度少女の顔を見つめる。

 アセビには、この少女を埋めてしまうことが恐ろしい罪のように思えて仕方がなかった。土を被せた瞬間、少女が生き返って、恐ろしい形相で叱責されるのではないかと恐ろしかった。


「代わりますか?」

「邪魔しないで」


 ピエリスの申し出を断り、アセビはスコップを握る。掘り返した土を、少しずつ少女の身体に被せていった。顔に土をかけるところは、目をつぶってやった。

 全身が見えなくなると、あとは一気にできた。

 名も知らぬ魔女の墓に墓標代わりの板を突き立て、滴る汗を拭う。


 ピエリスは、バラバラの遺体を検分しているところだった。死臭が漂い始める遺体の一部を、ピエリスは機械の部品を扱うような手つきで並べ、遺留品を観察している。


「これは……共和国の戦闘服です」


 二十年前の戦争では敵だった国の軍服に、ピエリスの声に緊張感が宿る。


「空挺猟兵の装備ですね」


 焼け焦げたハーネスや熱で溶けた小銃のスケルトンストックを触りながら、ピエリスが呟く。

 どうしてそんなに冷静でいられるのだろう。アセビはピエリスとの間に透明な壁を感じる。

 人が死んだのだ。それも沢山の人が、苦しみながら死んだのだ。それなのに、ピエリスの落ち着きぶりはなんだ。

 ピエリスが自分とは違う存在なのだと思い知らされた気がした。そのことが、アセビにとっていちばんのショックだった。


          ◇     ◇     ◇


 全ての遺体を埋葬し終えた頃には、東の空が白み始めていた。気の早いセミが目を覚まし、忌々しい鳴き声を上げ始める。

 台風が大気中の塵を全部吹き飛ばしてしまったせいで、空は馬鹿みたいに綺麗だった。

 猛烈に疲れていた。スコップを振りすぎたせいで、腕と背筋が痛い。頭がぎゅっと締め付けられるような疲労感があるのに、眠気はちっとも訪れてくれない。

 食堂に入り、水道で顔を洗ってトマトを一つ囓った。口の中に血に似た味が広がって、思わず吐き出す。


 フラフラと食堂を後にして、気が付けばアセビは教室に来ていた。

 何でもいいから現実から目を背けさせてくれるものが欲しかった。テレビの電源を入れて、ビデオの再生ボタンを押した。


 ざりざりしたノイズが画面を横切る。

 突如画面が真っ白になる。

 調光の追いついたカメラが青空を映し出した。

 空を飛んでいる映像だ。アセビは感覚的に見抜く。カメラは空から地面に振られ、島の様子を鳥の視点で映し出す。

 浮遊バイクに二人乗りして撮られた映像だということが、画面の端に映り込む操縦者の背中でわかった。

 女子生徒だ。アセビが身に付けているのと全く同じ制服を着た女子生徒が、機体を傾けスロットルを開く。

 バイクが旋回を始める。

 カメラが旋回の中心点にある建物を捉える。学校だ。運動場は綺麗に均され、今みたいに雑草は一本も生えていない。

 周囲を取り囲む畑や果樹園には、ちらほらと働いている人の姿が見える。

 やがて、バイクは学校の屋上に着陸した。

 操縦者の女子生徒がキーを捻る。推進プロペラの唸りが消えて、セミの鳴き声や、楽器の音、運動をする生徒たちのかけ声がマイクに拾われる。

 操縦者の少女が背伸びして、太陽に手を伸ばす。


『やっぱり、飛んでる方が涼しいね』


 軽やかにスカートを翻し、操縦者の少女が屋上に降り立った。ヘルメットとゴーグルを付けた少女の姿に、アセビの目が奪われる。


 息が止まった。


 少女がゴーグルを首に下ろして、ヘルメットを脱ぐ。夕日のような赤い髪が、屋上を吹き抜ける風に煽られる。


「そんな……なんで……」


 カメラを構えた同乗者が、少女の名を呼ぶ。


『シオン』


 目がくらみそうな日差しを手で受け止めていた少女が振り返る。


『なあに?』


 ゴーグルを首にかけたその少女は、アセビに瓜二つだった。


「……ママ」


 アセビは画面を前に動けなくなっていた。


『手を貸してください』


 操縦者──シオンがカメラに歩み寄る。

 画面が揺れて、カメラが手渡されたことが解る。画面に、バイクの後席に跨がった少女の首から下が映り込んだ。

 日焼けを知らない、真っ白な肌。新月の夜闇のように綺麗な黒髪をお下げにした、小柄な少女。差し出されたシオンの手を握り、少女がバイクから身を翻す。

 まるで空から舞い降りるように、少女が屋上に着地する。

 黒髪がふわりと重力に逆らい、やがてゆっくりと少女の頬を撫でる。

 少女の華麗な着地を捉えたカメラが、少女に語りかける。


『はい、チーズ。エリーちゃん』


 シオンにポーズを求められた少女が、ムッとした顔でカメラに手を伸ばす。

 レンズが手で押さえられるまでの、時間にすればほんの二、三秒の間。アセビは画面に映る少女のむくれ顔に釘付けにされた。


「ピエリス……」


『だから、わたしの顔は映さないでくださいと言っているじゃないですか』

『ごめんごめん、ついね』

『何度目の「つい」ですか。夜な夜なバイクで暴走して、わたしに取り押さえられるのも、「つい」ですか?』

『あはは。だからあれは~? ピエリスに会いたくて~?』

『もうその言葉には騙されません』

『嘘じゃないってばぁ~』


 画面の中で、二人の少女が楽しげにじゃれ合っている。

 カメラを持ったシオンがのらりくらりと屁理屈をこねるのを、ピエリスがくそ真面目に論破していく。


 アセビが聞いたことのあるピエリスの声より、テレビから聞こえてくるそれは柔らかく無邪気に聞こえた。


 画面が暗転する。

 張り飛ばす勢いでテレビに電源を切り、テープをデッキから引っこ抜いてアセビは教室を飛び出した。


          ◇     ◇     ◇


 教室棟を走り抜け、特別教室棟を一階から三階までドアを吹き飛ばす勢いで覗き込み、中庭を見下ろし、自室に飛び込み、汗で目が滲み始めた頃、ようやく食堂でピエリスを見つけた。

 背筋を伸ばしてキュウリを囓っているピエリスに駆け寄りアセビは叫んだ。


「どういうこと!? なんで黙ってたの!?」

「……なんのことですか」


 僅かに目を見開いて、ピエリスがごくん、とキュウリを飲み下す。


「このビデオよ!」

「それは……。処分するはずだったものです。どうしてアセビが?」


 目を細めるピエリスに、アセビは怒鳴り散らす。


「そんなことどうでも良いでしょ。どうして二十年前のビデオに、あんたとママが一緒に写ってるのよ?」


 ピエリスの目が、アセビを見つめる。アイリスリット色の瞳がかすかに動揺している。


「わたしが? アセビのお母様と? まさか……」

「しらばっくれないでよ! あんたこの学校で何してたのよ!? どうしてママが同級生だったって、教えてくれなかったのよ!?」

「ま、待ってくださいアセビ」


 珍しく上ずった声で、ピエリスがアセビを遮った。


「わたしは、そのビデオを一度も見たことはありません。なので、何が写っていたのか、本当に知らないのです」

「だとしても撮影したときのことは憶えているでしょ!?」


 アセビににじり寄られ、ピエリスは叱られる子供のように縮こまった。


「……わたしの記憶は、十八年前からしか残っていないのです」


 ぽかんとして、それからアセビの口から舌打ちが漏れる。

 そう言えば、温泉でそんなことを言っていた。背中にあった傷、鉄骨が突き刺さったとか、そのせいで記憶が飛んだとか……


「なにか、なんでもいいから知っていること教えなさいよ!」

「ですが、そのビデオはわたしのものではなくて……」

「はぁ? じゃあ誰のよ?」


 ピエリスが答える。


「一年ほど前に、この島に来た──」


 その言葉に、アセビが飛びつく。


「三十才くらいの女の人!? 赤いコルベットに乗った!?」


 ピエリスはコクンと頷く。


「ママだ!」


 目を輝かせて叫んだアセビに、ピエリスの瞳が見開かれる。それに気づかず、アセビはピエリスの隣に腰を下ろして、彼女にせっつく。


「ママがどこに行ったか知っている!? 知ってるでしょ!?」

「あの、アセビ……」

「なに!?」

「その人は……」

「うん!」

「島に辿り着いたときには……既に深手を負っていました」

「……うん?」


 鳴き喚くセミの声が、一気に遠くなる。


「出来る限りの手は尽くしました。でも……」


 ピエリスがアセビから視線を逸らす。彼女の視線を追うと、窓の外に広がる中庭が。


「……は? やめてよ」


 ピエリスは何も言わない。


「ねえ、ピエリス? こっち見て。……こっち見てよッ!!」


 テーブルを殴りつけても、ピエリスは振り返らない。


「先ほど、アセビが埋葬した少女の隣……」


 それだけで記憶が鮮明に蘇る。妙に新しい墓があると思った。

 今思えば、墓標に、何か引っかけてなかっただろうか。

 そう、ちょうど認識票のような。


「そんなわけない」


 椅子の脚が床を擦って嫌な音を立てた。

 中庭で焚かれている蚊取り線香の匂いが強くなる。

 草むしりをして綺麗になった地面を踏みしめ、真新しい土盛りができあがっているその隣で、アセビは足を止めた。


 記憶違いであって欲しかった。認識票なんて、かかっていて欲しくなかった。

 墓標には、銀色のチェーンで繋がった、見覚えのある形の楕円形のプレートがぶら下がっていた。

 息が苦しい。まて、落ち着け。ひょっとしたら他の地域でも認識票はこういう形をしているのかもしれない。

 錆び付いたプレートを指先ですくい取る。赤茶色の錆が指先を汚す。

 夜明け前の中庭は薄暗くて、文字がよく見えない。いっそ、読めない方が良いのかもしれない。今ならまだ引き返せる。手を離せば、違う未来を選べるかもしれない。


 そんなアセビの逡巡を嘲笑うように、夜が明ける。朝日が校舎の隙間から射し込み、アセビの手に握られた金属片に打刻された文字を浮かび上がらせた。


【シオン・フウセンカズラ】


 身体が芯から冷たくなる。貧血を起こしたときのように、視野が狭くなって音が遠くなる。


「ち、ちがうよ……? たまたま、名前が一緒なだけ、だもん。そうでしょ?」


 認識番号を目が追う。無秩序な数字とアルファベットの羅列が、記憶に染みついたそれとぴたりと重なる。


「違うッ!!」


 叫んで、アセビは認識票を手放す。チリン、とぶつかり合ったプレートが軽い音を立てた。


「アセビ」


 ピエリスが後ろに立って、肩に触れようとしていた。


「やめてッ!」

「落ち着いてくださいアセビ。わたしは、あなたに伝えなければならないことが、」

「聞きたくない!」


 それ以上聞けば、この悪夢から目覚められない気がした。

 そうだ。これは悪夢だ。

 悪夢は目覚めさせなければならない。

 アセビは後ずさり、身を翻して走り出した。

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