第12話 墜落
台風はそれから三日間に渡ってリーゼクルス島を襲い続けた。
その間、アセビはピエリスと寝起きし、携帯食料と野菜を囓り、ランタンの明かりを頼りに黙々と原付を修理した。
「……まあ、現状できるのはここまでか」
フレームの緩みを直し、ハンドルの歪みを矯正して、千切れた配線類を交換し終えたアセビは、油汚れがこびり付いた手をウエスで拭きながら呟いた。
出来る限りのことはした。けれど、カウルにぶち空けられた風穴と、そこから抜き取られてしまったアイリスリットはどうしようもない。
「これじゃ、飛べないよ……」
弱音が漏れる。いけない、と頬を叩いて、アセビは首を振る。
「あいつのアイリスリットで飛べないかな……?」
紫色の燐光を纏って空を飛んでいたピエリスの姿を思い出して、考え込む。
彼女のアイリスリットを奪ったら、どうなるだろう。どうなるって、多分死ぬだろう。
死ぬ、という単語を選んだことに、アセビはハッとする。
「いやいや、あいつ人間じゃないし……」
風呂で傷跡に触れたときの感触、ベッドで馬乗りにされたときに伝わってきた体温が蘇り、アセビの言葉は尻すぼみになる。
「……なんだよ。もぅ!」
ぶるぶると首を振って、アセビは立ち上がった。窓の外を見ると、今朝に比べて、かなり風も雨も弱くなってきている。
「もうちょっとしたら止むかな……」
しゃがんでばかりいて強張った背中を伸ばして立ち上がる。
「あ、そうだ。ビデオ」
この前ピエリスが処分していた不要品からくすねたビデオテープのことを思い出した。テープは、荷物入れに使っていた手提げカバンの中に入ったままだ。
「どっかで見られないかな」
カバンを手に、アセビは校舎の探検を始めた。
アセビが原付を修理していた技術科室があるのは、どうやらそういった特別な授業を行うための教室がまとめられた建物らしい。三つある棟の内、一つはアセビが寝泊まりしている棟、残りの一つは、まだ立ち入ったことがない。
ひょっとしたら、そこにビデオの再生ができる機械があるかも。
渡り廊下を抜けて、未踏の建物に足を踏み入れる。
長い廊下が続き、片側に同じような部屋が幾つも並んでいる。中を覗き込んでみると、ホコリを被った机や椅子が並び、床が一段高くなった所には、壁一面に黒板が貼り付けてあった。
「ここで勉強してたのかな……」
見たところ、机の数は二十以上ある。そんな部屋が、このフロアだけでも五つ。
それが三階建てなのだから、在りし日にはこの建物はアセビと同じ年頃の少年少女で埋め尽くされていたことになる。
「……想像できない」
アセビが生まれ育った街は、月破壊によって分断され漂う浮遊島の中でも比較的大きな街だった。
けれど、この建物をいっぱいにできるほど、アセビと同年代の子供はいなかった。街中の子供をかき集めればなんとか埋められるかもしれないけれど、それはこの学校のかつての姿とは全く別物に違いない。
引き戸を開けて、アセビは教室の中に入ってみる。じめじめした空気がこもっていた。
錆び付いて動かなくなってる窓をガタガタさせて隙間を作ると、涼しい風が吹き込んできた。かろうじてレールに引っかかっている白いカーテンが翻り、埃が舞い上がる。
微かに明るくなってきた空から射し込む僅かな光を受けて、カーテンが床の上に幽霊のような影を落とした。
窓際に残されていた椅子に腰を下ろし、アセビは胸の中に唐突に現れた感覚に呆然とした。
初めて来たはずなのに、郷愁のようなものを感じた。
アセビは記憶を辿る。そうだ、あの感覚に近い。
むかし、母に連れられて亡くなった父の実家を訪れたとき。
親戚の家の匂い、部屋の片隅に置かれた由来の解らない置物、出されたお茶の味。その記憶を思い出すと感じる目眩にも似たなにかが、この教室で風を浴びていると襲ってくる。
決して気持ちの良いものではないのだが、不思議とクセになるような、そんな気分にアセビは身震いした。
慌てて椅子から立つ。そのとき、黒板の脇に布を被せられた四角い物体が目に入る。
「あった!」
布をはね除けると現れた四角くて丸っこいテレビに、アセビの表情がぱっと輝く。
周囲の教卓や棚をガタガタ漁ると、ビデオデッキも見つけた。
くすねたテープと規格も同じようだ。やった、と飛び上がり、早速テレビとデッキのコードを繋いで、テープを射し込む。
「……?」
デッキはテープを半分ほど咥えたところで、ウンともスンとも言わない。記憶の中ではたしか、テープはもっとすんなりデッキに呑み込まれていたような気がするが……
「あ。電気」
ぽん、と手を打つ。電源が入っていなければ動くはずがない。この学校は屋上の太陽電池である程度の電力が賄われているとピエリスが言っていた。勝手に使ったらあとでピエリスに怒られるだろうが、今は好奇心の方が勝った。
教室の入り口付近にあったスイッチを弄ると、テレビが「ぶんっ」と音を立てて画面を明るくした。デッキが吐き出しかけていたテープを押し込むと、「がっちょん」と素直に呑み込んで蓋を閉じた。
おぉ、と感動しながら、再生ボタンを押す。
突然、窓の外が光った。
雷かな? と思った直後、その色が信じられないほど濃い紫だと気付く。
(アイリスリットの臨界光──!)
とっさにアセビは床に伏せた。不気味な沈黙が数十秒に渡って続く。
ひょっとして勘違いだったかな、と顔を上げかけたその瞬間、まず地面が揺れ始めた。
ドロドロと気味の悪い振動が三秒ほど続くと、突如校舎が揺れるほどの轟音が襲いかかってきた。
ガラスが割れる音があちこちで響く。アセビは頭を覆って床の上でカメになった。
ズズズ、と音を立てて、アセビの目の前で机が一斉に横滑りしていく。
「ちょ、島が傾くってマジ……っ!?」
まさか島が転覆してしまうのだろうか。恐ろしい予感にアセビの身体中に冷や汗が滲む。
だが、横滑りは一回だけで、それ以降は大きな揺れは起きなかった。
「収まった……、かな?」
恐る恐る顔を上げたアセビは、窓の外を見て言葉を失った。
あれだけ立ちこめていた雲が薙ぎ払われ、真夏の空にオーロラが輝いていた。
『月が破壊されたとき、空一面がオーロラで満たされた』
大人から散々聞かされた言葉が蘇る。
アセビは教室を飛び出した。あちこちにガラスが飛び散る廊下を駆け抜け、屋上に続く階段を駆け上る。屋上に続くドアは既に開いていた。
ピエリスが屋上の端に立ち、西の空を見つめている。雲が丸く切り取られ、アルコールが燃えるような光が踊り狂っていた。
「ケートスが主砲を放ちました」
やっぱり。アセビの背中を冷たい汗が伝う。月を破壊した大量破壊兵器、アイリスリット臨界放射線射出装置が、二十年の眠りを破り再び放たれたのだ。
ピエリスが空を睨みながら言う。アセビは考えを巡らせる暇も無く、幻想的とも言えるその光景に目を奪われていた。
大人たちが見たら、目を背けるような光景なのかもしれない。
けれど、アセビはその景色を美しいと思ってしまった。
「なにか来ます」
突然、隣でピエリスが声を上げた。
「なにかって?」アセビはピエリスが睨む先、南南西の方角に目を凝らす。けれど、そこには雲の切れ間から射し込む光の梯と、煌めく海岸しか見えない。
オーロラがゆっくりと空に吸い込まれていく。太陽が傾き、海に半分ほど沈んだ頃、その光にアセビも気付いた。
「火……? 燃えてる!」
何かが火を吹きながら、黒煙を引きながら飛んでいる。
目を凝らす。雲の影に入った一瞬、ずんぐりむっくりした機体と、短い主翼が確認できた。
「船だ! かなり大きい……」
形状からして、アイリスリット搭載型の航空機なのは間違いない。舵と推進装置をやられたのか、針路と速度が安定しない。
だが、間違いなくこの島を目指して飛んでいる。
「見たことない機体……遠くの国の船かな? あっ!?」
船影がはっきりしてきた途端、船の後方で大きな爆発が起きた。十秒ほど遅れ、爆発音が二人の元にも届く。
船体はガクンと前のめりに急降下を始めた。
「不時着するつもりだ」
手すりを掴むアセビの手に汗が滲む。黒煙を吹き出す船と島の海岸までは目測で一キロほど。
上手く着水できるだろうか……。船が海面に航跡を刻みつけながら、着水を試みる。
「まずい。あそこは、」
ピエリスの呟きが聞こえた、次の瞬間だった。
海中から蹴り上げられたかのように、船がバウンドした。
浮き上がった機首が再び落下する。勢いよく着水した機首が海面に潜り込み、つんのめるようにして船体後方が持ち上がった。
船体が真っ二つに折れる。
同時に激しい爆発を起こし、赤い炎と黒煙が船の代わりに海面を突き進んだ。
ドォオオン、と空気が震えた。海岸まで、あと百メートルを切っていた。
「墜ちた……、行かなきゃ……ピエリス!!」
アセビが叫ぶと同時に、ピエリスも駆け出していた。アセビの手を取り、屋上の欄干を蹴る。
二人の身体が宙を舞った。ピエリスの胸で、アイリスリットが紫色の光を放ち落下速度を相殺する。
地面に降り立つと、ピエリスが学校の正門に向かって駆け出す。
「列車があります、それで行きましょう」
◇ ◇ ◇
学校近くの駅に止められていた内燃式の列車を動かし、二人は船が墜落した海岸近くを目指した。
つり革が揺れる車内で、アセビは窓を目一杯開け放ち、海を見つめた。
夜が訪れようとしていた。暗闇に沈みゆく海に、粉々になった船体の破片が炎を纏っている。焦げ臭い匂いが、風の中に混じりはじめた。
海岸には、すでに多くの残骸が打ち上げられていた。油の滲んだ海水が、原形の解らなくなった瓦礫を洗い流している。
その中には、無数の死体も含まれていた。そのほとんどが大きく損傷した身体の一部で、無傷の死体は一つも見当たらない。
アセビは救急箱の肩紐を握り締める。
これほどまで凄惨な現場に立ち会うのは初めてだった。おろおろと砂浜を歩き続けていると、砂浜に横たわる人影を見つけた。
打ち上げられたのではなく、自力で這い上がった跡が砂に残っていた。
「ピエリス! 生きてる人がいる!」
声を張り上げ、アセビはその人物に駆け寄る。うつ伏せに倒れたその人を抱き起こした瞬間、アセビは思わず「あっ、」と息を漏らした。
小柄な身体に大きな軍服を身につけたその人は、アセビと同じくらいの年頃の少女だった。
綺麗なブロンドの髪は焼け焦げ血がこびりつき、肌は青ざめている。震える手で少女の頬に触れると、ゾッとするくらい冷たい。
魔女の訓練で叩き込まれた救命処置の手順を記憶から引っ張り出して、アセビは少女の唇から息を吹き込む。少女の唇は、冷たく、固かった。
「アセビ」
ピエリスに肩を叩かれる。少女の身体に息を吹き込み、今度は心臓マッサージ。薄い少女の胸に手の平を押し当て、全体重を掛けて押し込む。
「アセビ」
肩を掴んだピエリスの手を振り払う。
「邪魔しないでよ!」
「もう、亡くなっています」
ピエリスの顔が滲んで見えた。口の中は、鉄と塩の味でいっぱいだった。
その場にペタンと座り込み、アセビは死んだ少女を見つめる。軍服を着ているが、兵士の体つきはしていない。腕は細いし、手の平だって柔らかい。
「魔女だったのよ。きっと」
志願したのか、強制だったのか、知る由もない。だが、あの船の航行に関わっていたのは間違いないだろう。
手を胸の前で組ませようとすると、少女の拳の中から紙片が飛び出していることに気付いた。
力を入れて拳を解くと、くしゃくしゃになった写真が出てきた。
横たわる少女と、別の女の子が一緒に写った写真だった。アセビの見たことのない、異国の服を身につけている。
二人は仲よさそうに、手を繋いでカメラに向かって笑顔を浮かべていた。
友だちか、姉妹か。いずれにしても、ここまで身に付けて持って来たということは、それだけ大切な思い出の品だったのだろう。
皺を伸ばして、写真を少女の胸ポケットに入れると、アセビは目を瞑り異国の魔女に頭を垂れた。
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