第11話 ビデオテープ

 風が窓ガラスを叩く音で目が覚めた。


 起き上がって窓の外を見ようとした瞬間、左手がグンっ、と引かれてアセビはマットレスに顔面から突っ伏す。

 なによぅ。鼻っ面を押さえながら見れば、手錠で腕とベッドが繋がっている。


「あぁ、そうだった……」


 仕方なくベッドの上に座り、窓の外を見やる。

 腹立たしいほど晴れていた昨日までとは打って変わり、鼠色の雲が空一面を覆っている。

 湿気を含んだ風がビュウビュウ吹き付け、樹が激しく頭を振っていた。

「天気わっる……、あ、原付!」


 運動場の真ん中に突き刺さったままの原付のことを思い出し、アセビは慌てて立ち上がる。その途端にまた腕を手錠に引かれて、ベッドに引き戻される。

 ぼふん、と結構大きな音が出た。ちょうどそのとき、部屋のドアが開いて制服姿のピエリスが姿を見せる。

 罠にかかった鹿のような姿でベッドに突っ伏すアセビの手錠を外しながら、ピエリスが言う。


「台風が接近中です。危ないので、午後からは屋内で待機してください」


 手首をさすりながら、アセビはムスッとした顔でピエリスに言う。


「原付、回収したいんだけど。台車とかジャッキある?」

「運動場脇の倉庫にあったと思います。わたしは仕事があるので、アセビ一人で作業してください」

「……あたしがまた逃げるとか思わないの?」

「そもそも、アイリスリットがない状態でどうやって逃げるつもりなのですか?」

「それはぁ……あーもぅ! 仰るとーりですよ! あたしゃどーせ逃げられませんよ!」


          ◇     ◇     ◇


 ジャージ姿のまま、アセビは運動場のど真ん中に突き刺さった原付を回収に向かった。湿った風が吹き抜ける運動場で、アセビは一人、地面をほっくり返して原付を救い出す。

 主機であるアイリスリットを失った原付は、こうなるとただの鉄とカーボンファイバーの塊だ。試しにスロットルを握ってみるが、何の反応も返ってこない。焦りに腹の底が炙られる。


「絶対、また空に帰してあげるから」


 傷だらけになったカウルを撫でて、アセビは台車を引っ張っていく。

 足下が土からアスファルトに変わった辺りで、湿った風に混じる焦げ臭さにアセビは気付いた。


「え? ちょ、火事!?」


 台車を手放し校舎の裏手に回ると、焦げ臭さが一層強くなる。

 校舎の角の向こうから黒い煙が強くなり始めた風になびいている。ぎょっとしてアセビは走り出した。

 角を曲がると、ピエリスの姿がまず見えた。段ボール箱を幾つも背後に積み上げて、目の前の焼却炉に箱の中身を放り込んでいる。


「……なぁんだ。びっくりさせないでよ」


 胸をなで下ろす。ピエリスは新しい箱を持ち上げて、中身をぽんぽんと焼却炉の口の中に投げ込む。

 教科書や学生カバン、筆箱など、学生の持ち物らしきものを、ピエリスは表情変えずに焼却していく。


「いいの? 燃やしちゃって」


 アセビが声を掛ける。ピエリスは一瞬アセビを見ると、何も言わずに投入を再開した。

 アセビは肩をすくめて、足下に置かれた段ボール箱を覗き込む。蓋を開くと、『リーゼクルス島郷土史』と書かれたハードカバーの本が詰まっていた。手に取ってパラパラとページをめくる。


「この島、リーゼクルス島っていうの?」

「はい」


読書向きの性格ではないアセビは、島の名前が分かった時点で本から興味を失った。本を戻そうとして、ふとアセビの手が止まる。

 本ばかりの段ボールの片隅に、一つだけ別のものを見つけたからだ。

 本よりも一回り小さい黒い長方形。片面にアクリル樹脂の窓があって、そこから黒い磁気テープのリールが見える。


 ビデオテープだ。


 思わず「わぁ」と声が漏れる。ビデオテープはアセビの中で楽しい記憶と紐付けられていたからだ。

 文明が滅茶苦茶になった世界で、文化的な娯楽は多くが失われてしまった。それでも、子供たちを楽しませるため、映画やアニメのビデオテープが集められたびたび上映会が開かれた。

 アセビもそれを夢中になって見つめた一人だった。

 ラベルを見ると、手書きで「二〇〇二年卒業アルバム用」と書かれていた。どうやら映画ではないらしい。

 ひょっとすると、これが噂に聞くホームビデオというヤツなのかもしれない。


「アセビ」

「ひゃいっ!?」


 アセビは飛び上がる。とっさにテープを背中に隠してしまった。ピエリスは焼却炉にゴミを放り込みながら言う。


「バイクを整備するなら、技術科室に工具があります。自由に使って構いません」

「あ。うん。ありがと」


 ぎこちなく礼を言って、アセビは原付を乗せた台車に戻る。

 結局、ビデオテープは段ボールに戻し損ねてしまった。


          ◇     ◇     ◇

 

 ピエリスの言葉通り、その日の午後からリーゼクルス島の空は大荒れになった。

 湿った風は雨を纏い、横殴りの暴風雨になった。雨が窓ガラスを洗い、時折雷が校舎を震わせた。

 昼過ぎまで原付の修理を続けていたアセビだったが、窓ガラスを叩きつける風の強さと薄暗さに不安を覚えてその日の作業を中断した。

 部屋に戻ると、先に戻っていたピエリスが窓辺に立って雨粒に洗われる島の風景を見つめていた。

 憂いを感じさせるその横顔はさながら深窓の令嬢だ。大人しく黙ってりゃ可愛いのに、とアセビは苦笑する。


「……あんたは、というかオルクってさ、どうして人が移動するのを邪魔するの?」


 ふと、思いついた質問をぶつけてみる。

 考えてみれば、質問に答えてくれるオルクなんて初めて出会ったのだ。まあ、まともな答えが返ってくる期待はできないが。

 ピエリスは白波の立つ沖を見つめながらしばらく黙り込んでいたが、


「願われたからです」

「願われた……? なにそれ。命じられたの間違いじゃないの?」

「いいえ。願いです。人々を閉じ込めてほしい、という願望です」

「嘘でしょ……?」

「いいえ。本当です」

「ちょっと待ってよ。じゃああんたら、誰かにお願いされたから月を壊して人を襲ってるってわけ!?」

「そうですね」

「なによそれ……!」


 アセビは呆然とする。今の話を戦前生まれの大人が聞いたらどう思うだろうか。

 少なくとも、オルクに「お願い」した人間はただでは済まないだろう。

 だがアセビは……一度は怒鳴ろうとした口を閉ざした。

 ここで怒りを露わにするのは、戦前生まれの大人なら自然な反応かもしれない。だが、アセビは戦後生まれ、「月の破壊があったから生じた出会いから産まれた命」だ。

 身勝手で理不尽な願いだろうと、それによって運命が歪められ、アセビの今に繋がっている。吐き出そうとした怒りがUターンして、胸の中で出口を見失ってグルグルと旋回する。

 枕に頭を沈めて、アセビは唸る。苦しくなってきた。ごろんと仰向けになって、ランタンがぶら下げられた天井を見上げる。


「……人を閉じ込めろ、って願われたの?」

「はい」

「だからあたしもこの島に閉じ込めるの?」

「はい」

「出て行ったら、寂しい?」

「はい……はい?」


 バッと跳ね起きて、アセビはピエリスを指さして笑った。


「はい、って言った! 今「はい」って言った!」

「……言ってません」

「いや、言ったじゃん」

「すこし注意が散漫になっていただけです。揚げ足を取らないでください」


 唇を尖らせて、ピエリスがアセビを睨んで言った。


「……あんた、この先ずっとここに住むつもりなの?」


 すこしは話ができるようになったな。ベッドの下に逃げ込もうとする猫の尻尾を引っ張るように、アセビはピエリスに訊ねた。


「はい。任務上必要な場合を除き、そのつもりです」

「つまらなくないの?」

「退屈する、しないの問題ではありません。任務ですので」

「つまらない奴」


 ピエリスは雨粒が打ち付ける窓ガラスに映ったアセビを見て言った。


「アセビはどうして島を出ようとするのですか?」


 どうして、か。アセビは改めてよく考える。


「小さい頃からママに言われて育ったの」

「……?」

「出会った人との思い出を、ひと一倍大切にしなさい……って」


 虚空に向けてアセビは手を伸ばす。ランタンの光が、輪郭のぼやけた陰を壁に映した。


「世界は分断されて、行き来できるのは魔女だけになって、だれとも会えないまま、いなくなるひとがたくさんいて……だから、多くの人と顔を合わせる魔女は、出会った人のことを忘れずにいなきゃいけない。大切な任務の一つなんだって」

「任務……」

「でもさ、やっぱり忘れちゃうよ。だって記憶なんてあいまいで、ちょっと頭打っただけで忘れちゃうんだよ? だったら、会いに行きたいと思うじゃん? あたしは魔女なんだし。空を飛べるんだし。会いたい人はどこにいるかわかんないけど……それでも、飛んで会いに行きたい。だからあたしは行かなきゃいけないの」


 強く握ったこぶしを、ごん、と壁に押しつける。影はくっきりと濃くなり、そしてこぶしに隠れて見えなくなった。


「だから、あんたがなんと言おうと、あたしはここから出て行くから」

「だめです」

「即答!」


 はっ、と笑ってアセビは寝転がる。いいのだ。どうせピエリスはそういう奴なのだ。

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