第29話 爆撃
アセビとピエリスはビデオテープを手に、以前アセビがビデオを再生した教室を訪れた。
教室の窓を開けて、夜風を入れる。涼しい風が、昼間の熱気をかすかに残した教室の空気を掃き出していく。アセビはテレビとデッキの電源を入れて、テープを押し込んだ。
前回停止した場所から、映像が再生される。虹色の粒をまぶしたようなノイズが画面上を走ると、唐突に画面が明るくなる。
画面にはシオンの背中が映っていた。
どうやら、前回の映像と同じように原付に乗って上空から撮影しているらしい。原付が旋回を始めると、カメラが地上に向けられる。画面に映るのは学校の運動場。そこに、三十人ほどの生徒たちが集まりカメラに向けて手を振っていた。
『それじゃ、始めよっか。ピエリス、カメラ大丈夫?』
『問題ありません』
テレビから聞こえる自分の声に、ピエリスが身を堅くした。アセビはピエリスの手を握り、画面を注視する。
画面の中では、運動場に集まった生徒たちが人文字を作っていく様子が映し出されていた。
シオンはときおり無線機に向けて『もっと広がって』『左下が曲がってる』と指示を飛ばす。どうやら大きな文字を一文字ずつ作って、後から編集して文章にする予定らしい。
あれこれ苦労しながら文字を作っていく様子を見ながら、これは生徒が多くないとできないな、と頭の片隅で考えていた。
『じゃあ次~、「三年四組」作るから並び替えて』
原付を上空でホバリングさせながら、シオンが無線機に呼びかけている。ふと、画面が揺れた。カメラを持っているピエリスがよそ見をしているのか、カメラのレンズがあさっての方向を映し出す。
『シオン』
ピエリスが、シオンを呼んだ。
『そこの男子三人曲がってる~! ん、なにピエリス?』
『なにか、変です』
シオンがカメラを振り返り、カメラを持っているピエリスがそうしているのか、釣られるようにして空を見上げて訊ねる。
『空が、どうかした?』
『何か、来ます……』
緊張に強張ったピエリスの声。アセビが握るピエリスの手が、かすかに震えていた。
『何かって、』
『シオン! 退──』
ピエリスが何か言いかけた所で、映像が突然途切れた。真っ暗の画面に、白い粒のようなノイズが走っている。
「今の、何……?」
アセビの問いかけに、ピエリスは返す言葉もなくただ首を振る。嫌な胸騒ぎがした。
緊張したピエリスの声。映像が途切れる前、ピエリスはなんと言おうとしていた?
あれは、「退避しろ」と言いかけたのではないか?
アセビがピエリスに話しかけようとしたそのとき、いきなり画面に色が戻った。
先ほどの続きからかと期待したアセビは、画面に映し出された背景がまるで別世界なことに息を呑んだ。
それは、地上で撮影された映像だった。おそらく、島の軍基地がある辺りから島を一望するように撮影されている。時刻は夜。本来なら暗闇が広がるはずの夜景には、しかし異様な明るさが幾つも映り込んでいた。
島のあちこちに、火柱が立っていた。真っ赤な炎が燃えさかり、立ち上る黒煙を不気味に照らし出している。
その火柱の頭上で、巨大なオーロラが踊り狂っていた。
ノイズ混じりのサイレンが響き渡り、島民に避難を促している。地獄絵図と化した島の様相を、安置されたカメラは淡々と切り取っている。
唐突に、人影が映り込む。空を見上げて、掠れた声で、どこか晴れ晴れとした口調で言う。
『これでもう、戦争なんてできないね』
人影──シオンが、空に手を伸ばした。オーロラの向こう側でボロボロと崩れていく巨大な天体の姿が映し出される。
『お互いに殴り合うことだってできないよう、世界をバラバラにして閉じ込めてやる』
シオンが振り返る。身につけた制服は煤で汚れボロボロになり、腹部は血で真っ赤に染まっていた。
『きっとたくさんの人が死ぬ。死ななくていい人たちを、私たちは殺したんだ。それでも私は、あなたに、ピエリスに生きていて欲しい。だから、私はピエリスが生きてるこの世界がすき。多くの人が死なずに済んだ世界より、ピエリス一人が生き残ってくれたこの世界の方が』
破壊された月を背にして、シオンが手を伸ばす。
『ずっと一緒だよ、ピエリス』
画面が砂嵐で満たされる。ビデオテープの再生が終わっていた。
夏の終わりが迫る夜風が吹き抜ける教室で、アセビとピエリスは二人声もなく、砂嵐を移し続ける画面から目を逸らせずにいた。
「どういうこと……」
アセビが震える声を絞り出した。
「これじゃ、まるで、ママがやったみたいじゃない」
荒れ狂うオーロラ、砕け散っていく月、そしてそれを見上げて満足げなシオンの姿。
「ママが、月を壊したの?」
アセビは隣に座り込んだ少女に問う。頬が青ざめて見えるピエリスは、かすかに口を開き、何か言葉を紡ごうと必死に見えた。しかし、結局何一つ言葉は溢れず、ピエリスは唇を固く結ぶ。
「ねえ、ピエリス……本当に、憶えてないの?」
アセビが問う。ピエリスは、俯いてゆるゆると首を振った。
「ごめんなさい……」
その言葉に嘘はなかった。映像に残っている光景を、ピエリスは自分の記憶の中に見つけられなかった。
アセビが知りたがっていることを、自分は経験しているはずなのに答えられない。ピエリスにはそれがアセビに対する重大な裏切り行為であるかのように感じられて、アセビを直視することができなかった。
「なにか、少しでも覚えてないの……? ちょっとしたことでもいいの……!」
アセビがピエリスに縋り付く。必死だった。アセビが幼い頃から無意識に抱いてきた母への信仰心とも呼べるものが、大きくひび割れようとしていた。
母は、魔女として分断された世界を繋いできた。そんな母を、アセビは幼い頃から尊敬の眼差しで見つめてきた。それなのに、母が世界の分断を引き起こしたというのか。
ビデオの映像も、コルベットのログの音声も、母が月の破壊に関わっていると告げている。
でも、どうして。なんでそんなことを。
ピエリスを失ってしまうかもしれない不安に、母の隠された過去が重なってアセビの心を押しひしぐ。
息が苦しい。無意識のうちにアセビは歯を食いしばり、呼吸も忘れて虚空を睨み付けた。
「アセビ」
ピエリスの手の冷たさが、アセビの手を包みこんだ。きつく結ばれた指をピエリスの指が解きゆるく絡みつく。溶けるように火照りが消えていく。
「ゆっくり息を吸って。大丈夫です。落ちついて……」
そう言いながら、ピエリスは空いた手でアセビの背をさする。優しく触れた手の感触に、アセビは荒く息を吸った。
「ケートスへ行けば……」
「……?」
「二十年前の、わたしが失ってしまった過去の記憶のバックアップが、ケートスにはきっと残されています。ケートスへ行き、データを調べれば、アセビの知りたいことも、きっと分かるはずです」
その言葉が、アセビを目の前の現実に引き戻した。絶望に暮れてる暇なんてない。とにかく動かなきゃ。
「うん……そうだね、……そうだよ! やるしかないんだ。行こうピエリス。ケートスに!」
アセビは立ち上がり、ピエリスの手を握り返して力強く言った。
そのとき。
ごぉ、と遠い雷鳴のような音が響いた。
音は轟音に変わり、そして激しい振動と変わる。
アセビが不安な表情でピエリスを見つめた。次の瞬間、
閃光が爆発し、アセビの視界を真っ白に埋め尽くした。
衝撃波が学校中のガラスを粉々に吹き飛ばし、校舎を揺るがす。
アセビが目を覚ますと、ホコリまみれになったピエリスに抱き締められ床の上に倒れていた。
教室の中は粉塵が立ちこめ、外で何が起きているのか全く分からない。
耳鳴りに顔をしかめながら立ち上がろうとするアセビを、ピエリスが乱暴に腕を引っ張り床に引き倒す。ピエリスの薄い胸が顔に押しつけられ、アセビは息が詰まる。
そこに、二度目の閃光が襲いかかった。
爆風が押し寄せ、身体が舞い上がる。ピエリスに抱きかかえられたまま壁に叩きつけられ、アセビは再び意識を失った。
激しい上下動と、風切り音でアセビは目を覚ます。
アセビは自分がピエリスに抱きかかえられて移動していることに気づいた。いわゆるお姫様抱っこだ。
「ちょ、ピエリス、自分で歩ける!」
真っ赤になって叫ぶアセビをピエリスがそっと地面に下ろす。ふたりがいるのは教室棟の二階の踊り場だった。
「歩けますか?」ピエリスの問いかけにアセビは頷く。ピエリスが飛ぶように階段を駆け下りるのを、アセビはもつれる足を必死に動かして追いかける。
校舎の一階まで降りると、ピエリスがいきなり廊下の掃除ロッカーを押し倒した。ロッカーの裏のコンクリートが縦に細長く抉られていて、そこに無骨な鉄の塊が立てかけてあった。
ピエリスはホウキを握るくらいの気軽さで鉄塊を引っ掴むと、弾倉から弾帯を引っ張り出し装填し、レバーを引く。
じゃきん、と硬質な金属音が響いて、初弾が薬室に装填された。
重機関銃を軽々と持ち上げるピエリスを目にして、アセビの口からようやく疑問の言葉が漏れる。
「ピエリス……何が、起きてるの?」
機関銃を構え、いつでも発砲できる姿勢でピエリスが答える。
「島が爆撃されています」
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