第24話 月

 沿岸環状地帯での調査から帰還して、一週間が経過した。


 ピエリスは破壊されたトビグモから回収したデータの解析に追われていた。

 学校の特別教室棟の一角。ピエリスが組み上げた演算装置の筐体が所狭しと並び、熱暴走対策で冷房が常時稼動している。断熱のために窓や廊下側の扉は断熱材でぴったりと塞がれ、明かりがなければ真昼だろうと真っ暗闇になる。その室内で、たったひとつだけ点灯しているウィンドウの前にピエリスは着いていた。


 進捗は、はっきり言って何もなかった。

 破壊されたトビグモは、記憶素子を徹底的に破壊され、わずかに回収できたデータも、ズタズタに引き裂かれたようになって、復元の目途も立たなかった。

 一応、任務の一環として真面目に取り組んでいたピエリスだったが、そろそろ諦めてもいいかと思い始めていた。


 イスの背もたれに寄り掛かって、ピエリスは天井を見上げる。ここ最近、こうしてぼうっとすることが多くなった。そうしている間、ピエリスの頭に浮かぶのは大抵、アセビのことだった。

 無意識のうちに、ピエリスは手の平を握り締めていた。

 痛みを堪えるように握られる拳を、ピエリスはまるで他人の手のように見つめる。

 環状地帯の調査以降、ピエリスは自分の身体に起きる奇妙な変化に悩まされていた。

 作業への集中力が下がり、ときおり、胸の奥が締め付けられるような苦しさを感じる。しかし、身体的な不調はない。となると、心理的な反応と考えるほかない。

 脈絡もなく、環状地帯の砂浜で、線香花火の華を見つめながらアセビが口にした言葉が思い出される。


 『一緒に旅ができたら楽しいよね』


 嬉しい、と思った。

 言葉に形があったら、綺麗な箱に仕舞って、ときどき取りだしてこっそり眺めたい。そんな奇妙な想像をしてしまうほど、アセビのあの言葉は特別なものになっていた。


 けれど、そう思っていることをアセビに伝えることはできなかった。ピエリス自身、自分の妄想を伝えるのが恥ずかしいという気持ちもあった。そもそも、自分がそんな妄想をしたこと自体、ピエリスにとっては驚きだった。

 結局、キャンプの夜は「一緒に飛びたい」というその場凌ぎの願いで自分を満足させてしまった。


 ……もし、あのとき言っていれば。

「わたしも、アセビと一緒に旅がしたい」と。


 そう言えなかったことが悔しくて、アセビに申し訳ないことしてしまった気がして、それがアセビに伝わるのが怖くて、ピエリスはこの一週間、アセビに誘われても仕事を理由に飛ぶことを断ってしまっていた。

 今日は飛べる? と期待が込められた瞳で訊ねられる度に、ピエリスの胸は奇妙な痛みに襲われた。


 ため息をつき、ピエリスは再びデータ解析に戻る。諦める前に、もう一度だけ。

 しかし、すぐ全く関係ない記憶が蘇る。アセビと飛んだ、夜空のこと。

 ふるふると首を振って、目の前の課題に集中しようとする。だが気を抜くとピエリスはあのときのアセビを思い出してしまう。

 アセビと空を舞い、語り笑い合って、そして交わした口づけ……。


 知らずピエリスは頬が熱くなる。再び首を振る。

 そうして顔を覚ましている内に、ふと、自分が何に引っかかっていたいのか思い出す手掛かりがあの夜間飛行にあったことを思い出す。

 アセビと口づけを交わして、空を見上げた。壊れた月が夜空に黒い穴を空けていた。


 そうだ。あの月。


 妙な胸騒ぎがした。浮ついていた気持ちが、急激に冷やされ現実に引き戻される。

「……まさか」


 そんなわけがない。

 ふと浮かんだ可能性を、ピエリスは自嘲と共に否定しようとする。しかしどうしても気になってしまう。あり得ないと笑い飛ばすことができない。嫌な予感が胸の奥にこびり付いて剥がれない。

 ピエリスは端末のひとつに、軌道計算ソフトを立ち上げる。


 偵察型オルクが収集した観測データを入力し、軌道計算を行う。

 杞憂に決まっている。そんなことあるはずが無い。そう願いながら。

 結果はすぐに出た。

 ピエリスは、計算結果を直視する勇気がなかった。

 馬鹿馬鹿しい。どうせただの気のせいだ。

 わざとらしくため息をついて、ピエリスは視線を上げ、計算結果を直視する。


「————そんな……」


 思わず口からこぼれ落ちる。もう一度。計算をやり直す。しかし結果は変わらない。


「そんな、まさか、まさか……」


 何度計算をやり直しても、結果は同じ。

 呆然として、ピエリスは白い光を吐き出す画面を見つめる。

 だが、呆けていたのも一瞬。

 猛然と、ピエリスは新たな計算を開始した。

 

「どうすれば、どうすればいい……」


 何百通りのシミュレーションを行い、何千パターンもの解決策を検討した。

 それでも、結果は同じ、絶望。

 だが、ただひとつ。

 たったひとつだけ、絶望を塗り換える方法があることに、ピエリスは気づく。


「しかし……これでは……わたしは……」


 息を呑み、手の平に爪が食いこむほど強く握りしめ、目をつぶる。

 

「アセビだけは……必ず守らなければ……」


 ピエリスは目を開く。

 


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