第2話 貧血

 運動場のど真ん中に、人が立っていた。


 アセビと同じくらいの年頃の少女だった。

 日焼けを知らない白い肌、対照的に髪は黒く、左右でお下げにしている。

 パリッと糊の利いた白いブラウスに折り目の付いたスカート。紺色のハイソックス、磨き込まれた革靴……。

 少女は原付ごと突っ込んでくるアセビに驚くこともなく、運動場に佇んでいる。


「ひぃいッ! どどど退いてどいてどけぇええええええッ!!」


 とっさに、アセビはアンカーのワイヤーを切り離した。シートを蹴って原付から飛び降りる。

 原付とアセビは少女の左右すぐ脇をかすめて、地面に激突して土煙を上げた。

 ゴロゴロと地面を転がり、身体中まんべんなく土をまぶしたアセビが叫ぶ。


「邪魔ぁあああああああああ〜〜〜〜〜〜〜!!」


 青空に叫んだアセビの苛立ちは、ジェットエンジンの轟音に掻き消された。


「やば……っ」


 アセビは運動場の真ん中に立ち尽くした少女を見やる。すぐ傍らに原付が突き刺さっているが、今は逃げるが先だ。


「ちょっと、あんた! 逃げるわよ!」


 アセビは怒鳴りながら少女の手を引っ張った。次の瞬間、アセビはつんのめる。

 まるで銅像のように少女の身体はびくともしない。その上、アセビが握る少女の腕は、雪に埋められていた刃物のように冷たかった。


「あんた……ちょっと! オルクに襲われるわよ!?」


 耳元で叫ぶと初めて、少女がアセビを見た。

 まるで機械に睨み付けられたかのような不気味さがあった。拍動も吐息も感情も感じさせない瞳で、少女がアセビをジッと見つめ返す。

 その瞳は深い紫色に輝き、まるでアイリスリットの結晶が眼窩に埋まっているかのようで、アセビは言葉に詰まる。


 轟音が近づいてくる。


 アイリス色の少女の瞳がアセビから離れ、対空機銃のような正確さでオルクを追尾する。ジッとオルクを目で追いながら、少女は背後でひっくり返っている原付に向かって、腕をつかんだままのアセビをズルズル引っ張りながら歩き出す。


「ちょちょちょっ! 今から飛んだって逃げられないから!」


 アセビは必死で止めようとするが、少女の歩みは止まらない。アセビを引きずりながら、少女が初めて口を開いた。


「本島への攻撃は即時撃滅対象に指定されます。これより排撃を開始します」


 綺麗な音を出すために作られた楽器が喋ったかのような声だった。


「は? あんた何言って──」


 目を丸くするアセビの目の前で、少女の腕がかき消えた。次の瞬間——

 ざぎんっ

 と、乱暴な音と火花が飛び散り、少女の腕が突き刺さった。

 ——アセビの原付に。


「……は? はぁああああああああああッ!? ぅおおおおおぃいいいい!!」


 アセビの驚愕と怒りの悲鳴を無視して、少女は生身の腕で原付のカウルをベキベコと引き千切っていく。

 それなのに少女の腕には擦り傷ひとつ付かない。


(なに、こいつ……!?)


 解体用の重機が鉄骨を切断するようにして、少女の白魚の手がエンジンの収まっていた金属球を「ばきゃっ」とかち割ってしまう。途端、紫色の光が溢れ出す。


 スイカのように割られた耐圧殻から少女の腕が引き抜かれる。

 オイルまみれになった少女の手には、腕時計の文字盤ほどの大きさの多面体が握られていた。

 いうまでもなく、アセビの原付の心臓部、アイリスリットだ。

 愛機の心臓を引き抜かれたアセビが再び悲鳴を上げる。


「なななぁっ、なにすんのよぉおッ!!」


 少女から結晶を奪い取ろうと詰め寄ったそのとき、少女の手の中で輝きが爆発する。

 真昼にもかかわらず、紫色の光が辺り一面を埋め尽くす。

 少女に握られたアイリスリットを中心にして、空間がぐにゃり、と歪むのを目撃してアセビは背筋が凍った。

 アイリスリットが臨界する……!!

 

 ゴゴゴ……と轟音が響く。見上げれば太陽を背に、オルク戦闘機の機影が死に神のように迫る。


「伏せることを推奨します」


 少女はそう言いながら、アイリスリットを握ってゆっくりと身体を捻る。

 まさか、とアセビが蒼白になった次の瞬間、猛烈な勢いで少女がアイリスリットを投擲とうてきした。

 投擲されたアイリスリットが音速を超え衝撃波を撒き散らす。

 オルクがレーダーで捕らえる間もなく、砲弾と化したアイリスリットはオルクの主翼付け根に突き刺さった。


 複合素材の主翼を食い破りながら、突き進むアイリスリットの形が突如崩れる。

 次の瞬間、アイリスリットはほとんど黒に近い紫紺の球体と化して膨張し、そして。

 大爆発を引き起こした。

 真夏の空に火球が生まれ、衝撃波が地面に叩きつけられる。


「ぎゃふっ?!」


 思わず成り行きを見つめていたアセビは身体をくの字に折り曲げて吹っ飛ばされ、再びグラウンドの土まみれになった。

 遠雷のような轟きを残して、爆煙が晴れていく。バラバラと粉々に砕け散った戦闘機の破片がアセビの周囲にも降り注いできた。


「な、な、な……」


 ジャリジャリと砂まみれの口をぽかんと開け、アセビは空を見上げる。

 そこにはもう、紫色の輝きはない。初めて単独飛行してから、一万時間以上、共に空を飛んだ原付の魂であるアイリスリットは、一片の欠片もなく消し飛んでしまっていた。


「なにすんのよぅッ!!」


 涙目のアセビが少女に掴みかかった。アセビよりも頭一つは背の低い少女だが、アセビに胸ぐらを掴まれてもぐらりともしない。


「あああんた、よくもあたしの原付をッ! どど、どうすんのよっ!? これじゃ、飛べないじゃないっ!!」

「自衛のためには必要でした」

「だからってなんであたしの原付のエンジン使うのよぉッ!!」


 アセビの叫びに、少女は若干眉をひそめる。


「自分の身の安全より、乗り物の方を心配するのですね」

「ったりまえでしょうがッ!! どんだけ大事な物だと思ってんのよ! あれがなきゃ——」


 ぐらり、とアセビの視界が傾いだ。

 あれ? と思った時にはアセビは地面に膝を突いていた。

 視界の枠が黒ずんで、耳鳴りがわんわんと響いている。吐き気がこみ上げて、まっすぐ立っていられない。


「——ママを、追いかけられないじゃない……」


 焦燥感の滲む声を絞り出したところで、アセビの意識はぷっつりと途切れた。



          ◇     ◇     ◇ 



 二十年前、戦争があった。


 戦争は、人類文明を崩壊させた。

 莫大なエネルギーを放出する大量破壊兵器、アイリスリット臨界放射線射出装置が使用されたことが原因だった。

 その結果、この惑星の二つある月のうち、一つが破壊された。

 月の破壊は惑星の潮汐力を乱し、巨大な津波が世界中を襲った。

 だが、本当の災厄は別にあった。

 この惑星の大陸は、多くの浮遊鉱石アイリスリットを埋蔵している。

 潮汐力の乱れが地殻変動を引き起こし、アイリスリットを含む大地を地上から引き剥がしてしまった。

 大陸の大部分が浮遊島と化し、ありとあらゆるインフラを破壊。文明社会は壊滅的な打撃を受けた。

 災厄はまだ続く。

 月の破壊後、各国で使われていた無人兵器、いまでは総じて「オルク」と呼ばれているものが暴走、人々を襲うようになった。

 アイリスリットを動力源としていることから、月の破壊時に放出された莫大な量のアイリスリット臨界放射線が原因ではないかと言われているが、本当のところは不明のままだ。


 オルクは何故か、人間たちが移動することを拒んだ。


 引き裂かれバラバラになった浮遊島や大地で暮らす人々が、自分たちの土地を離れて移動しようとすると、オルクたちは襲いかかってきた。大人しく自分たちの土地で暮らしていれば、オルクも大人しかった。


 アセビの母、シオン・フウセンカズラは、分断された世界を繋ぐ魔女だった。

 この世界において魔女とは、「アイリスリットを体感的に操ることのできる女性」を意味する。


 アイリスリットは浮遊鉱石であり、動力源でもあり、通信、記憶媒体ともなる万能鉱石だ。

 ただし、それを操るためには高度な科学技術か、あるいは魔女の血を引く女性の力が必要だった。


 戦争が起き、月が破壊され、大陸は引き裂かれ遊弋ゆうよくし、人々は分断され、文明社会は崩壊した。

 それでも魔女はアイリスリットを操る力で空を駆けることができた。その上、オルクはアイリスリットを動力源とするために、魔女にはその気配を常人より早く感知することができた。

 魔女のその優位性にシオンはいち早く気付き、分断された世界を浮遊バイク一台で繋ぎ合わせていった。


 手紙を届け、小包を運び、時に人を乗せ、引き裂かれた世界を行き来した。そして、訊ねた先で出会った男性との間に、アセビが生まれる。


 アセビはシオンのお腹の中に居るときから、空を飛び続けていた。まだ赤ん坊のアセビを抱いてシオンは空を飛び、操縦桿片手にお乳をあげて、おしめを替えた。空で育ったアセビが母と同じ道を選んだのはごく自然な成り行きだった。

 アセビの父はアセビがまだシオンのお腹の中にいるころに事故で亡くなってしまった。だが、母から父の話をよく聞かされていたので、会ったことのない父を遠く感じることはなかった。


 死んだ父にしても、他の人々の関しても、シオンはよくその思い出をアセビに語って聞かせた。


「出会った人との思い出を、魔女は人一倍、大切に守らなきゃだめよ」


 シオンはよくそう言った。分断され通信もできない世界で魔女の使命は、ただ人や物を運ぶだけではないのだと。


 母の言葉を思い出す度に、アセビはとある母の横顔を釣られて思い出す。

 シオンは、心がどこか遠くへ飛び立っているように思える瞬間が度々あった。

 今声を掛けたら、母の心は戻らず、抜け殻になってしまった身体がガラスのように砕けてしまう。

 そんな恐ろしい妄想にアセビは取り憑かれた。だから母の視線が遠くを見つめているときは、アセビはなにも言わず、身動きせず、母が気がついてくれるのを静かに辛抱強く待ち続けた。


 年を経る毎に、シオンのそうした様子は増えていくようにアセビには思えた。

 そして、アセビが十七歳の誕生日を迎えた。晴れて、アセビは正式に魔女の一員として認められた。

 喜びが爆発して、胸に飛び込んできたアセビを、シオンは優しく抱きしめてくれた。母の香りに包まれながら、アセビは母が小さく「これでもう、大丈夫ね」と囁くのを耳にしたのだった。


 そして翌日、シオンは姿を消した。


 愛機のコルベットと、魔女の装備一式と共に、シオンは忽然と姿を消してしまった。

 当初は、何か極秘の任務を請け負ったのかとアセビは思った。魔女には時折そうした秘匿性の高い依頼が来ることもあったからだ。だが、今回ばかりはなにか違うと、アセビの第六感が囁いていた。

 その日のうちに、アセビは自分の原付に荷物を括り付け、故郷を飛び立った。


 シオンがどの方角へ飛んだのかすら、分からなかった。それでも飛び出さずには居られなかった。がむしゃらに飛び回り、街を巡り、情報を集めた。

 一週間が過ぎ、ひと月が過ぎ、一年が過ぎたある日、ついに手掛かりが舞い込んだ。

 コルベットに乗った魔女が海の方へ飛ぶのを見た。

 時期は一年前。シオンが姿を消した時期と重なった。ようやく掴んだ希望だったが、「海」という言葉にアセビは背筋が凍った。


 人間の領土ではない海は、問答無用でオルクに襲われる超危険エリアだ。アセビやシオンでさえ、近づくことのない隔絶された領域だった。

 それでも、そこにシオンがいるのなら……。アセビは海へと舵を切った。

 それから一ヶ月後、アセビはオルク戦闘機に追われ、辿り着く。


 オルクの少女がたったひとりだけ住まう、絶海の浮遊島に。

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